三顧の礼
陣営に不可欠な重要人物を招聘する際に手厚く礼を尽くすこと。出典は大好きな三国志だ。前半のヤマ。主人公劉備玄徳が、隆中に隠遁中の伏竜こと諸葛亮を配下に加えるために、草庵を三度訪問して説得した故事にちなむ。諸葛亮は説得に応じ君臣水魚の交わりをなす。以降、劉備亡き後も蜀の屋台骨を支える活躍をする。てゆうか彼本人が屋台骨そのものだ。
現代でも選挙の出馬や、監督人事を報ずる際に用いられることがある。
ブラームスにもあった。
1843年のことだ。ブラームス最初の教師コッセルは、ブラームスの才能をさらにワンランク上へと押し上げるために、自らの師であるマルクゼンに推挙する。10歳のブラームスの才能こそ認めたものの、マルクゼンは今のままで充分と判断し要請を断る。数ヵ月後今度はブラームスの父がマルクゼンを訪れて、弟子に加えることを要請する。
これでマルクゼンは折れた。週一回のレッスンに応じたのだ。劉備よりも1回少ない。いわば「ニ顧の礼」だ。1回分はブラームスの才能により割引があったと見る。
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