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2011年8月22日 (月)

エルクとブラームス

ルートヴィッヒ・エルクは19世紀後半に活躍した近代ドイツ民謡学の巨星だ。つまりブラームスと同時代ということになる。ブラームスは自他共に認める民謡愛好家だから、当然ながらエルクを知っていた。知ってはいたが、ブラームスはエルクを評価していない。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻ホイベルガーの項105ページ以降しばしば、エルクが話題に上る。エルクの高弟ベーメが、エルク亡き後その遺志をを次いで1893年に刊行した「ドイツのうたの宝」についてホイベルガーと交わした会話が記録されている。

元々ブラームスは書物や楽譜が新しく刊行されるとすかさず入手して、論評を書き込む癖があった。エルク&ベーメの「ドイツうたの宝」も例外ではなかった。ところがブラームスの評価は芳しくない。芳しくないどころか「怒り心頭」というニュアンスで語られている。

  1. 歌の善し悪しではなく骨董的価値が収集の基準になっている。
  2. モチーフからメロディを立ち上げる手順がワンパターン。
  3. 収集の地域がブランデンブルクに偏っている。

あまりの怒りに本来人には見せないはずの論評を発表しかねない勢いだったという。誰かが止めたのか自重したのかは明かではないが、結果としてブラームスは論評を避けた。その代わりに発表したのが「49のドイツ民謡集」WoO33だった。ホイベルガーが刊行後に「エルク&ベーメの歌集に対する反論ですね」と冗談交じりに突っ込むとブラームスは「論評はいつまでたったも完成しないが、これなら未来に残るからな」と真顔で答えたという。

ブラームスの剣幕だけは伝わって来るばかりでエルク&ベーメの歌集のどこがブラームスの逆鱗に触れたのか情報が不十分だが、手がかりはある。8月20日の記事「民謡のタネ本」をご覧頂く。ブラームスにテキストを供給した民謡集を一覧表にしたものだ。この中にエルクの息のかかった歌集が無いことは象徴的だ。

エルクの歌集は19世紀中頃から次々と刊行され、各方面から称賛されてきたからブラームスが知らなかったといことはあり得まい。知っていながらテキストとしての採用を見送ったのだ。

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