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2011年8月13日 (土)

受容の裾野

ブラームスのウィーン進出は、ハンブルク女声合唱団との別れを意味した。総勢40名にも及ぶ乙女たちとの記憶を胸にブラームスがウィーンに旅立ったことはほぼ確実だ。40名の乙女たちというのが、重要だ。彼女たちは一部の例外を除いて、結婚した。ほぼハンブルク近郊の出身者で占められていたハズだが、結婚を契機にドイツあるいは欧州中に散っていったと思われる。そして子供を産み母となった。それぞれの家庭の音楽シーンの中で、母となった彼女たちは、必ずブラームスに言及したに決まっている。

ウィーンに雄飛して、めきめき頭角を現すブラームスのニュースを聞くにつけ、夫や子供に自慢する。「私は彼の指導を受けたことがある」「彼の新作を初演したことがある」「今も手書きのパート譜を持っている」などなどだ。やがては孫にだってその話を繰り返し聞かせることもあっただろう。

そうした受容の地盤が、ドイツ中に広がっていたのだ。彼女らの家族や子孫がブラームスの名声を下支えしたと思って間違いない。ドイツの家庭には音楽の下地がある。その流れの中に、ブラームスの話が自然に定着していたことを疑うことは出来ない。

ハンスリックが音楽誌に寄稿する論文が、強大な影響力を持った空軍だとするなら、彼女たちによる口伝は、精鋭の集まった歩兵部隊だ。空爆だけではけして都市を制圧することは出来ない。歩兵部隊の活躍は必須でさえある。

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