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2011年9月17日 (土)

ゲルネ爺さん

ルイ・ピンクは、エルクの次、あるいは次の次の世代の民謡研究家だ。本業は牧師である。その著書「滅び行く調べ」の中で、民謡収集のフィールドワークの実態を紹介している。その中で彼は民謡が楽譜を伴った形で刊行されるようになったのは19世紀中葉だと述べ、それ以前は口頭伝承だったと指摘する。驚くほど多くの民謡が口伝されていたとも証言する。

ピンクが口伝の民謡を楽譜に書きとめる過程での出会いを生き生きと報告している。

現在フランス領のロートリンゲン地方でのことだ。1914年にピンクは一人の老人と出会う。彼の名が「ゲルネ爺さん」だ。当時84歳だから生まれは1830年ということになる。歩きながら口ずさんでいた歌がどうにも気になって自宅に招くと、昔そらんじている歌を数えたことがあり、273曲だったというではないか。ここからゲルネ爺さんへの聞き取り調査が始まった。

母や祖母から聞かされた歌に加え、近隣の若者同士で歌を教えあったという。何しろたんくさんの歌を覚えている者は英雄視されたらしい。「自分の歌う歌を相手が知っているか」「相手の歌う歌を自分が知っているか」で競ったという。飲み代を賭けての個人戦あるいは集落対抗の団体戦もあった。彼はこの手の歌バトルのことを歌合戦と称した。郷土と名人歌手の誇りを賭けたバトルだったと思われる。

ピンクは1918年までにゲルネ爺さんから164曲の民謡を聞きだした。もっと早く来れば、もっとたくさん覚えていたのにと嘆かれたという。

ブラームスと同時代を生きたゲルネ爺さんは1923年に93歳で亡くなった。

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