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2011年11月30日 (水)

Schnadahupfel

例によって「u」はウムラウトだ。「シュナーダヒュップフェル」くらいの発音。南ドイツあるいはオーストリアに伝わる戯れ歌。ソロと合唱が4小節毎に交代して行くが、ソロに部分には決まった歌詞が無く、もっぱらアドリブだ。大勢の仲間が集まって順番にソロを担当する。即興に詰まって歌えなかったものがその場の飲み代を払うというお遊び歌だという。

ベートーヴェンの第九交響曲の日本初演が、徳島県だったことは割と知られている。第一次世界大戦中、ドイツの捕虜収容所で演奏されたという。同じような話が千葉県にもあった。

千葉県は何かと旧日本軍の施設が多かった。その跡地が文教施設や公園になっていることも少なくない。第一次大戦当時1914~1919年に習志野に捕虜収容所があった。収容されたドイツ兵たちは故郷を偲んで仲間とよく歌を歌ったらしい。音楽の素養がある者がいたのだろう。それが楽譜に残されていた。講演のために習志野市を訪れたドイツの研究者によりその楽譜がもたらされた。そのタイトルが「Narashino Schnadahupfeln」だ。習志野市のHPでその経緯と楽譜を見ることが出来る。

講演でその旋律を聴いたある男性が、母が口ずさんでいた旋律だと気付いたそうだ。その女性は当時日常生活のお手伝いにと収容所にたびたび出入りしていたという。そこで聴いた旋律を楽譜も無しに覚えてしまったというわけだ。その男性も母から聴かされた旋律を覚えていたということだ。民謡の伝播の本質的な部分が説明出来る。本来ドイツ語だったテキスト抜きで、旋律だけだったことも考えられる。ドイツと日本は遠くない。

収容所にいたのは約1000名のドイツ人だ。各方面に才能ある者も相当数混じっていた。音楽、美術、文学、醸造、調理など驚くほど多彩な活動をし、同時に地域との交流もあったという。オーケストラまで組織されていたらしい。

さてこの話、実はブラームスにこじつけることが出来る。1896年6月21日付け、亡きリーズルの夫ハインリッヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルクに宛てた手紙の中に出てくる。ブラームスは「4つの厳粛な歌」のことを「シュナーダヒュップフェル」と呼んでいる。「4つの厳粛な歌」を気に入ってもらえたお礼というニュアンスで「シュナーダヒュップフェルが気に入ってもらえて嬉しい」と満足気である。

2011年11月29日 (火)

ドイツ民謡の沃野

記事「ルードヴィッヒ・エルク」でエルクが取り扱った民謡が20万から30万と述べた。断片も含むし、類歌もあろうが、それにしてもな量である。

一方でブラームスのドイツ民謡への傾倒は周知の通りだが、生前に民謡集として出版された作品は78曲。没後の出版を加えると160を数える。さらにテキストを民謡詩に求めつつ、曲を付した作品が独唱、重唱、合唱を合わせて71曲ある。

一方民衆の間で歌い継がれてきた歌は、もの凄い量がある。そのほんの一部をブラームスが自らのセンスで取り込んだ。ブラームスへの民謡情報のインプットは、出版された作品数に比べればもっと多かったと思う。それを自らのセンスで和声を施し、ピアノ伴奏を付与したと解したい。現在流布する民謡集は、ブラームスというフィルターを通して回収された抽出物だと位置づけられる。

ブラームスにとって民謡は、作品の題材として無限の沃野だったと思われるが、何から何まで無制限に取り込んだわけではない。作曲家ブラームスの眼力に照らし、後世に残すべきか否かという厳密な基準が存在したに決まっている。

骨董品の収集とは一線を画していたことは確実だ。

2011年11月28日 (月)

ヴァイオリン弾き

4月30日に毎年ドイツ・ブロッケン山で開催される魔女たちの大宴会については、2007年4月30日の記事「ワルプルギスの夜」で言及した。ブラームスの重唱曲op75-4に、そのものズバリの「ワルプルギスの夜」がある。

ブラームスが編曲したドイツ民謡の中にもワルプルギスが出現していた。「49のドイツ民謡集」WoO33の中の36番だ。「ヴァイオリン弾きがフランクフルトに住んでいた」という民謡だ。このフランクフルトはマイン川沿いのフランクフルトだ。民謡に具体的な地名が出てくるのは大変珍しい。

今回の主人公のヴァイオリン弾きは「bucklichter」と形容されている。「背の曲がった」という意味だ。腰が曲がったではないので「老人」の描写ではない。彼がワルプルギスの祝宴に集まった魔女たちの前で、素晴らしい演奏を披露したところ喜んだ娘の一人が彼の背中に手を入れてコブをすっかり取り除いてしまった。おかげで彼はスラリと背筋が伸びた。「これで誰とでも結婚できるわ」と囃し立てられて幕となる。

「背の曲がった」はいわゆる「せむし」なのだということが明らかとなる。

2011年11月27日 (日)

ギター伴奏

高校時代にのめりこんだビートルズの基本的な編成は、3本のギターにドラムスだった。ディレクターが余計なことせん限りこれが基本だ。ポピュラー系の歌は、ビートルズに限らずギターで伴奏されるパターンが大変多い。昔はあこがれたものだ。ところが、クラシック系の歌となるとギターは隅っこに追いやられる。ピアノが圧倒的に優勢だ。

マリアーナ・リポヴシェックというメゾソプラノが録音したブラームス歌曲のCDは、通常のピアノ伴奏に混じってギターデュオ伴奏バージョンが収めれられている。

  1. あの娘のもとへ op48-1
  2. 日曜日 op47-3
  3. 娘の歌 op85-3
  4. セレナーデ op14-7
  5. 太陽はもはや輝かない WoO33-5
  6. 娘さんごいっしょに WoO33-11
  7. 月が明るく照らなければ WoO33-35
  8. 元気で楽しく WoO33-32
  9. 昔美しいユダヤ娘が WoO33-9
  10. 騎士 WoO33-23
  11. かよわい娘が歩いていった WoO33-21
  12. お母さんほしいものがあるの WoO33-33

これがなかなか味わい深い。特にセレナーデ系の作品は、いかにも恋人の窓辺で歌いかけるような雰囲気がしてくる。上記4番までの作品はブラームスオリジナルなのだが、民謡と区別がつきにくい。

2011年11月26日 (土)

どこにも無理がない

一昨日の続き。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻106ページ、またまたホイベルガーと民謡談義に花が咲いた。

おそらくこのとき出版間近になっていた「49のドイツ民謡集」WoO33の中の1つをブラームスが弾いて聴かせたのだろう。曲を知らなくてゴメンと恐縮するホイベルガーを「ここいらでは誰も知らないから」とブラームスが慰める。実際ホイベルガーは民謡には明るくないようだ。彼のことだ、もし聴いた作品のタイトルが判っていれば記録に残したと思う。

ブラームスはある作品の冒頭の楽譜を指して、「アンタもプロならこれがどうして美しいか判るだろ」と水を向ける。そして「どこにも無理がない」と指摘するのだ。

私はプロじゃないから、全く判らない。仮にどの作品か判明したところで、実感出来ないだろう。作曲上の無理とはいったいどういうことをいうのだろう。

旋律の進行とテキストの割付、旋律とベースの関係などなど妄想は広がるが、理詰めで感じることが出来ない。

2011年11月25日 (金)

コンバート

持ち場変更のこと。とりわけ野球の世界で、守備位置を変更すること。試合終盤のやりくりで発生する一次的な対応とは区別されるのが普通だ。

次女にもささやかなコンバートがあった。セカンドヴァイオリンのパート内での持ち場変更だ。一般にオーケストラの弦楽器のパートが分割される場合、上下どちらを受け持つのか事前に決まっている。トップ奏者は上であることが普通だし、譜めくりを担当する者は慨して下のことが多いような感じだが3つ以上に分割されるケースもあって複雑だ。

次女はセカンドヴァイオリンに決定してからずっと下を担当してきたのだが、このほど上になった。セカンドにしては高い音を求められることもあるから、下から上へのチェンジは大変だとも言っている。上下がオクターブで動くことも多いから音はわかっているのだが、フィンガリングが変わってしまうので、暗譜への影響が大きいらしい。「パパが思っている程楽じゃないよ」と言われた。極楽な会話。

本日は21回目の結婚記念日。

2011年11月24日 (木)

イ長調4分の3拍子

リヒャルト・ホイベルガーという人物がいた。ブラームスのお友達で作曲家だ。相当親しい間柄である。ブラームスは「49のドイツ民謡」を出版前の段階で彼に見せている。そのときの様子が音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻の中でいきいきと記述されている。

ブラームスはホイベルガーに批評を請うた。あまり遠慮するのも申し訳なく思ってホイベルガーは一箇所指摘したという。「イ長調4分の3拍子の作品の後奏が弱いかと」と恐る恐る指摘すると、ブラームスも同意だったという。

今ではWoO33を背負う「49のドイツ民謡集」の中のどの作品なのかというのが本日の話題だ。手がかりは「イ長調4分の3拍子」ということだが、実は鮮やかなことにWoO33の中にこの条件を満たすのはただの1曲しかない。作品の批評に際して「イ長調4分の3拍子」という言い回しをする以上、作品の特定が完璧でなければなるまいが、さすがにそこはツボをおさえていた。

「Soll sich der Mond nicht heller scheinen」WoO33-35である。2007年7月6日の記事「フライデー理論」で日曜日に似ていると指摘した曲だ。

実際に楽譜を見ると歌が終わったあとに後奏がある。しかし、このときのホイベルガーの指摘によりブラームスが改訂したのか、そのまま放置したのかは我が家の楽譜を見る限り判然としない。

2011年11月23日 (水)

民謡という下地

ブラームスはドイツ民謡を愛した。少なからぬ言動からそう推測出来る。私はブラームスを愛する者の端くれとして、当然のように民謡にスポットを当てた。ブラームスがくれた水が、あんまりおいしかったので、それを汲んできた泉を見てみたいと思った。案の定凄かった。単においしい水が湧いているわけではなかった。周囲の自然が美しいから、その果実としての湧き水だったのだ。周囲の自然が破壊されまくっているのに、おいしい水だけが何故か湧き出るなどということはあり得ない。

民謡関連の記事を書くために、ブラームスに話を限定せずに情報を集めた。ルートヴィッヒ・エルクとの関連に足を踏み入れる頃から、どうも風向きが変わった。ブラームスとエルクの間に発生した静かな論争について調べるうちに、ドイツ民謡全般についての好奇心に取り憑かれた。どうもエルクの立場にも一理あるような気がしたことが発端だ。

調べれば調べるほど面白い。ドイツ語、ドイツ史、民俗学、音楽、文学などの総動員が必要になる。ドイツ民謡を背景にブラームスを置きたいといつしか思うようになった。ブラームスが残した161曲という民謡編曲の厚みを、膨大だと感じていてはあまりに一面的だ。19世紀後半に開花したドイツ民謡学を構成する一つの流れではあるが、ブラームスとてあくまでもワン・オブ・ゼムだということが身に沁みた。「裏民謡ベスト20」は、そうした反省のささやかな表明である。

民謡特集を一読いただく読者に、私の反省と目覚めを追体験していただけるように記事を配置したつもりだ。

2011年11月22日 (火)

Totenklage

WoO36-1は「Totenklage」というタイトルになっている。「死の嘆き」というくらいの意味だ。何気なく譜例を見て驚いた。何と「静かな夜に」(In stiller Nacht)WoO33-42と同じだ。独唱用がWoO33-42、混声合唱用がWoO34-8になっているが、こちらは女声3部合唱用だ。

WoO36の素性を考えてみる。出版は1968年だが、元になった資料は1859年~61年に遡る。作曲の時期もその時期だ。ハンブルク女声合唱団との交流の中から生まれた作品群だ。成立をこの時期と見ると、「In stiller Nacht」の原型は、この女声合唱版だという可能性もある。興味深いのはタイトルだ。同じテキストでありながら、女声合唱版にだけ「Totenklage」というタイトルが掲げられている。WoO36はブラームス没後の出版で、タイトルに本人が関与していないとも感じるが、要注意だ。ハンブルク女声合唱団のメンバーが持ち帰っていた楽譜が情報ソースだが、故意にタイトルを後付けするとは考えにくい。ハンブルク女声合唱団のレパートリーだった頃には、「Totenklage」というタイトルが付けられていて、混声合唱版や独唱版の出版の時に削除されたと解したい。

つかみどころのない「In stiller Nacht」の歌詞を理解するヒントになると思う。

2011年11月21日 (月)

ベーメ

Franz Magnus Bohme(1827-1898)ドイツの音楽学者。近代ドイツ民謡学の巨星ルードヴィッヒ・エルクの弟子。1883年にエルクが没した後、1893年になって「ドイツうたの宝」を亡き師匠エルクの追編者として刊行の主役となった。だからその本は「エルク&ベーメの民謡集」と呼ばれることが多い。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻105ページ以降、ブラームスとホイベルガーの会話の中にしばしば現れる。8月22日の記事「エルクとブラームス」でも述べたとおり、この両者ウマが合わなかった。

ブラームスの憤りはエルク本人に向けられたものとその後継者にして共同編者のベーメに向けられたものが混在している印象だ。ブラームスの友人でバッハ研究の泰斗でもあるフィリップ・シュピッタが、エルクとベーメについての印象をブラームスに書き送っている。

ベーメへの評価は惨憺たるものだが、エルクへの評価は「お人好し」というものだ。どちらも積極的なプラス評価ではないが、少なくとも「エルク>ベーメ」であることは間違いあるまい。

偉人の後継者への評価はしばしば厳しいモノになりがちだ。ベーメも同時代の学者たちから酷評されている。ブラームスが持っているエルクへの印象のうちのなにがしかはベーメへの評価が反映したものだと感じる。

それでもブラームスの遺品となった蔵書のヤマの中に、エルク&ベーメの「歌の宝」が入っていた。

2011年11月20日 (日)

WoO34の位置づけ

「混声合唱のための14のドイツ民謡」というのがWoO34の正体だ。名高い「49のドイツ民謡」は、WoO33という一つ若い番号だが1894年の出版で、WoO34よりも後だ。ブラームス生前に出版されたドイツ民謡はWoO31、33、34の3種だけ。合唱用はこのWoO34だけとなる。

出版は1864年で、出版社は声楽得意のリーダー・ヴィーダーマン社。ウイーンジンクアカデミーに献呈されている。前年1863年にジンクアカデミーの指揮者に就任しているから、その挨拶代わりだと考えて間違いない。14曲のうち2、3、8、9及び13番の5曲は、ジンクアカデミー指揮者在任中に初演している。

とりわけ目を引くことがある。最晩年1894年に出版された「49のドイツ民謡」で採用する曲を選ぶ際、このWoO34に収載された曲との重複を避けている点だ。49曲のうちWoO34と重複しているのは「In stiller Nacht」ただ1曲だけだ。

没後出版の諸集を整理すると独唱用の補遺に相当するWoO32、混声合唱の補遺に当たるのがWoO35、ハンブルク女声合唱団由来の女声合唱がWoO36~38ということだ。没後の方には相互の重複がゴロゴロあるから、WoO33とWoO34の棲み分け振りに特段の思い入れが感じられると同時に、独唱にも合唱にも採用された唯一の作品「In stiller Nacht」の特殊性が際立つ。

2011年11月19日 (土)

Juche nach America

「いざアメリカへ」くらいの意味。ドイツ民謡を調べていて見つけた。「ミシシッピだって渡ってやるぞ」と勇ましい。18世紀に遡るドイツ傭兵の歌だ。米国の独立戦争における英国軍において、ドイツの傭兵は中心勢力になったらしい。その数3万とも5万とも言われている。英国王はハノーファー選帝侯を兼ねているなど、ドイツの領邦は英国との結びつきも深い。

農民の子息などが、お金で雇われてアメリカに送られた。当時の農民の生活は貧しく、傭兵にでもなった方がはるかにマシだったから、たちまち数が集まったとされている。先般話題にしたゲルネ爺さんの父親は、こうした農民を集めて軍隊に送り込む仕事をしていたという。実質的には「人買い」である。この稼業が姿を消すのは1871年の普仏戦争後だ。何のことはない、戦勝により成立したドイツ帝国が国民皆兵だったから、商売にならなくなったのだろう。

さて米国ではこうした傭兵たちのことを「Hessian」と呼んだ。傭兵たちの多くがヘッセン出身だったから、いつのまにかそうなった。

これらの兵士の半分はドイツに戻らなかったという。もちろん戦死もあるだろうが、自ら新大陸にとどまった者も多い。現在でもペシルバニアから五大湖をへてウイスコンシンにかけての地域とミズーリ州にはドイツ系の住民が多く暮らしている。なるほど、ミルウォーキーやセントルイスではビール醸造が盛んだ。

やがてこうした人々が、米国におけるクラシック音楽や市民合唱団の担い手になって行く。

2011年11月18日 (金)

踏み台としてのWoO32

「49のドイツ民謡集」WoO33がブラームスの収集したドイツ民謡の集大成だったと書いた。独唱&ピアノ伴奏用としては「子供のための14のドイツ民謡集」WoO31以外で、生前出版された作品はない。

1894年だからブラームスが没する3年前のことである。ジムロックはおそらく集大成という意味を十分にわかっていた。ブラームスに支払われた原稿料は15000マルクだ。つまり交響曲1曲と同等なのだ。和音進行やピアノの伴奏パートに工夫が凝らされた珠玉の歌曲集だ。舐めているとブラームスに叱られる。

一方その一つ前の番号WoO32は日陰者だ。「28のドイツ民謡集」である。こちらはブラームス死後の出版だ。一般には芸術的価値は低いとされている。集大成たる「49のドイツ民謡集」に漏れた作品群という位置づけた。これはこれで一理あるが、「古いミンネリート」WoO32-17のような絶唱も混入しているから油断が出来ない。これはWoO35の混声合唱に納められた「別れの歌」と同じだ。

引く手あまたのWoO33に比べるとCDの入手という意味では悲惨だ。私も持っていない。楽譜はあるがCDはお手上げだ。何としても手に入れて「古いミンネリート」を独唱で聴きたい。

2011年11月17日 (木)

MDG

ドイツのCDレーベルの名前。「Musikproduktion Dabringhaus und Grimm」のイニシャルだ。DabringhausさんとGrimmさんの共同経営らしい。何と申しても本社所在地がデトモルトというのがおしゃれである。

さてさて、小さな街の田舎レーベルかと思いきやとんでもないグッドジョブに出会った。「Das Lieben bringt gross Freud」というタイトルのアルバム。演奏者はアマルコルドAmarcordという男声五重唱(テノール2、バリトン1、バス2)と、ライプチヒ弦楽四重奏団のジョイントで、20曲のドイツ民謡が演奏されている。

これだけでも十分驚きだ。

ジョイントと言っても両者の共同演奏は全20曲のうち3曲だけ。「菩提樹」の男声五重唱の弦楽四重奏伴奏が聴ける。

以下8曲は弦楽四重奏だけの演奏だ。以下に曲を示す。

  1. Das Fuchslied
  2. Das Schwabische Brunnele
  3. Muss i denn
  4. O du lieber Augstin
  5. Ist mir alles eins
  6. Ach, wie ist's moglich denn
  7. Loreley
  8. In eine Kuhle Grunde

いやいやお宝。編曲はモーリッツ・ケッセマイヤーという人。1831年生まれで1884年に没したからブラームスと重なっている。ウィーン宮廷歌劇場のヴァイオリニストでのちに指揮もした。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻40ページ。ホイベルガーとの会話の場面で、ブラームスがケッセマイヤーの葬儀に参列したことが明らかとなる。「光り輝く音楽家、善良なる人物、栄えある同胞」というのがブラームスの見立て。作曲や編曲にも才能を見せたらしく、名高いドイツ民謡を弦楽四重奏に編曲している。ここにある8曲も超有名どころだ。1番は大学祝典序曲の中にも出てくる「新入生の歌」だ。編曲も凝っていて飽きさせない。

アマルコルドはライプチヒ・トマス教会の少年合唱団の出身者らしく、ライプチヒ四重奏団とはライプチヒつながりの競演だ。技あり連発の嬉しいCDである。

2011年11月16日 (水)

WoO33再考

「49のドイツ民謡集」は1894年にジムロック社から刊行された。ジムロック社がブラームスに支払った原稿料は15000マルク。交響曲1曲の値段と同じだ。ブラームスの民謡研究の集大成たる位置づけが裏付けられている。

さて当時の民謡研究の大家エルクとブラームスがしばしば見解を異にしていたことは既に何度も述べてきた。エルクは文献学あるいは考古学的立場から網羅的な収集を試み、さまざまな切り口の分析から民謡の始原の姿を追究した。そうした姿勢で追究した結果、民謡がけして自然発生することはなく、必ずや誰かが作曲しているという結論に到達した。19世紀になって頻発した民謡風歌曲だけを「始原的でない」として排除することに積極的意味が無くなる。

ブラームスはこうしたエルクの立場に反対した。丹念な収集分析自体を否定するものではないが、何でもかんでも律儀に印刷されることに異を唱えた。芸術的な価値がある民謡だけを選んで刊行すべきだと考えた。彼の姿勢に弱点があるとすれば「芸術的価値の有無」という基準がきわめて曖昧であることだ。

ブラームスはエルクとの立場の違いについて公共の場で発言したことはない。「芸術的価値の有無」という自らの基準を公表したこともない。

「49のドイツ民謡集」WoO33は、そうした立場から再考されるべきだと感じる。つまりブラームスが心の中に設定していた基準を適用した結果、選び込んだ49曲だと解されるべきだ。自らの内なる基準を作品の羅列で示したと考えたい。

2011年11月15日 (火)

集大成としてのWoO33

1894年、ブラームスの命があと3年になった頃、「49のドイツ民謡集」が刊行された。

ブラームス作曲ではなくてブラームス選編曲になっているから、作品番号はついていない。WoO33という番号が後世の学者により奉られた。WoO番号は、生前本人が出版に踏み切らなかった作品や、本日話題の民謡集のように厳密には作曲と呼べないが生前に出版された作品が、混在しているから注意が必要だ。

「49のドイツ民謡集」WoO33は、ブラームスのドイツ民謡研究の集大成の位置づけにある。裾野広き研究のホン一部にあたる。WoO31からWoO38までにまたがるドイツ民謡の頂点を形成している。シューマンの遺児たちに捧げられたWoO31「子供のための14のドイツ民謡集」を例外として、演奏の形態から下記の通りに分類出来る。

  • 第1群 独唱&ピアノ伴奏 WoO32、WoO33
  • 第2群 無伴奏の混声合唱 WoO34WoO35
  • 第3群 無伴奏の女声合唱 WoO36、WoO37、WoO38

赤文字にしたものが生前の出版だ。WoO33はその他の番号でくくられた作品群からの満を持した抜粋と考えられる。作品の重複はほぼ上記3つの群をまたがる形で起きている。

ブラームスは1859年から1861年の間に関与したハンブルク女声合唱団のためにドイツ民謡を編曲した。それがWoO36から38までの作品群だ。そこから抜粋して混声合唱に仕立てたのがWoO34と35ということになる。それら全てを別途収集していたWoO32を土台に仕上げたのがWoO33だ。

とりわけピアノ伴奏が興味深い。合唱を独唱に転用することで生じる和声の隙間を、巧妙に埋めている。このあたりの手際の良さが際だっている。粋に通じるものがある。この伴奏があることでオリジナルの歌曲に匹敵する品格が付与されていると感じる。

出版はもちろんジムロック。ブラームスに支払われた金額は15000マルクだ。49曲の集合体とはいえ交響曲1曲と同額だ。ジムロック社としては最大限の評価だと感じる。

民謡が交響曲に匹敵する創作の柱と位置づけられている。

2011年11月14日 (月)

合唱用の民謡

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」全3巻は、ディープな情報の宝庫だ。繰り返し読むたびに発見がある。

本日は民謡にまつわる疑問だ。

第2巻107ページのホイベルガーの証言。1894年3月13日のやりとりだ。WoO33の「49のドイツ民謡集」についてブラームス自身が「7曲ずつ7セット」といい、「縁起のいい数で作るのが好きなのさ」と語っている。問題はこの後、「少し前に作った合唱用民謡集、あれも49曲」と言っている。WoO34は49曲ではないから謎は深まるばかりだ。

全49曲からなる合唱用の民謡集とは、どの作品を指しているのだろう。マッコークルにも見当たらない。未出版で終わったからマッコークルが言及していないのだろうか。気になる。

2011年11月13日 (日)

御大ディースカウ

昨日の記事「Das Liederprojekt」の続き。現代ドイツ音楽界渾身の民謡プロジェクトでドイツのあらゆる歌手、合唱団、声楽アンサンブルが参加していると書いた。そこに大歌手ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウが名を連ねている。20世紀最高の歌手に推す向きもあるばかりか、史上最高の歌手と信ずる人も少なくないと聞く大御所だ。

彼の演奏は第1巻の27番目に出てくる。解説によればバレンボイムとの1978年の録音で音だけで参加している。民謡プロジェクトの精神的支柱とも位置づけられている。

そしてそして嬉しいこと。彼が歌っているのはブラームス作曲の「あの子のもとへDer Gang zum Liebchen」op48-1だった。彼はこの演奏を民謡プロジェクトに献呈しているというのだ。ブラームス編の民謡を選ばずに正規に作曲された歌曲をプロジェクトのために献じているということに他ならない。

実際にCDを鳴らして27番目にこの曲が立ち上がったとき鳥肌がたった。民謡プロジェクトの中でブラームスは特筆すべき位置にいる。ブラームスを名誉総裁か何かに据えるべきだ。

本プロジェクトの主旨に心から賛同する。

2011年11月12日 (土)

Das Liederprojekt

本日のタイトルはちゃきちゃきのドイツ語だが、和訳が要るとも思えない。ドイツに伝わる愛唱歌の集大成を試みるプロジェクトだ。

コルネリウス・ハウプトマンという歌手の発案で、CarusというレーベルとSWRという放送局がタイアップして始まった。ドイツ中の一流演奏家を集めて「子守唄」「民謡」「子どもの歌」「クリスマスソング」を集大成するという試みが2008年に立ち上がった。

歌手のみならず伴奏者にも一流どころを集めるほか、合唱や重唱の団体も参加する。出来る限り最新のアレンジを用い、最新の録音をする。成果は書籍、CD、ネットなどのあらゆるメディアから発信される。CDの売り上げ1枚ごとに2ユーロがチャリティに回る。

我が家には「民謡」の1巻と2巻がある。これだけで62曲の民謡の集合。ほぼ一組1曲の参加だ。圧倒的な楽しさ。こういうことに対する徹底ぶりはさすがにドイツ人だ。著名な歌手たちが手弁当で参加して嬉々として歌っている感じ。ヴァイオリンやファゴット、アコーディオン、ヴィオラダガンバなどの楽器だけの演奏も混じっている。無理やりどれか1曲といわれれば、迷った挙句に「菩提樹」。1巻に収められていた「Calmus ensemble」の演奏を選ぶ。気が利いた編曲もなのだが、ハーモニーの超絶さが何より。少々大げさに申せば「菩提樹」観が変わるという感じ。先に紹介した彼らのCDには収録されていないからいっそう貴重。

1枚2500円だが分厚い冊子がついていて貴重な情報のヤマ。ドイツ語と英語のテキストだが電子辞書片手に何とか意味がわかる。どうやら3巻も出ているらしいが未入手。原則新アレンジなのだが中には既存アレンジの曲もある。

  1. Da unten im Tale WoO33-6
  2. Wach auf,meins Herzens Schone WoO35-7
  3. Ich fahr dahin WoO32-17
  4. Feinsliebchen WoO33-12
  5. Die Schwalble ziehet fort op7-1
  6. Der Gang zum Liebchen op48-1
  7. Schwesterlein WoO33-15
  8. Des Abend WoO35-12

62曲中上記8曲においてブラームス編曲版を採用している。いわゆるクラシックの作曲家では図抜けた量で、民謡の大御所ジルヒャーに匹敵する。別CDの「子守唄編」には「子守唄」や「砂の精」が入っている。プロジェクトの主旨を考えるとき、8曲もの大量採用をブラームスは心から喜ぶと思う。

最後に肝心なこと。聴いていて楽しい。これが何よりだ。上記3番は記事「民謡ベスト10」で1位に輝いた曲「別れの歌」だ。WoO32-17という没後出版のバージョンで聴けるとは、これだけで2500円の価値がある。しかもそれはピアノ伴奏をヴィオラダガンバアンサンブルに差し替えている。

2枚購入済みに私は4ユーロの寄付というわけだ。

2011年11月11日 (金)

二人の王子聴き比べ

2011年11月11日の「1並び」を記念して、慣れないCDコレクションネタを発信する。柄にも無い「聴き比べネタ」だ。交響曲、協奏曲、室内楽やピアノ曲についてやるほどの耳もコレクションも備えていないから、お気に入りのドイツ民謡で真似事をやってみる。題材は「二人の王子」だ。

  1. エーリヒ・クンツ 小編成のアンサンブルによる伴奏は私としてはマイナス評価だが高名なバリトン歌手だけあって歌唱に破綻は無い。クラシック系の歌手が民謡を歌うとコネ回す感じになることもあるが、この人は淡々と語りかけてくる。
  2. ドレスデンカンマーコール レーガー編曲。例の民謡集23曲のトリを飾る演奏。いやはや絶妙だ。
  3. コンツェルトコールダルムシュタット これもお気に入りのアルバムから。実はレーガー編曲。上記2番との比較が面白い。甲乙付けがたい。
  4. レーゲンスブルクカテドラルコール 他の団体とは少しメロディが違う。微妙な歌い崩しの味わいがある。
  5. ヴェルニゲローデ少年少女合唱団 ギターのシンプルな伴奏に乗って淡々と歌われるが絶妙。2コーラス目のソプラノ独唱の清らかさ、それに続いて3コーラス目に合唱が復帰するところの味わいが計算ずくとわかっていても感動的。
  6. キングズシンガーズ これまた素晴らしい編曲。3コーラス目でテノールが1小節おくれでおいかけるカノンの効果が劇的。
  7. ユリアーネ・バンセ ピアノ伴奏と独唱。特筆すべきは唯一第7コーラスまで歌ってくれていることだ。ギリシャ神話に題材を求めたバラードであることを考えると貴重だ。ブラームスのお友達ユリウス・レントゲンの編曲というシャープなオチがついていた。
  8. カルムスアンサンブル レーガー編曲。本来合唱用なのだがこれを声楽六重唱で聞かせてくれる。鳥肌モンの色艶。上記2,3の合唱版と比べると、かえって濃い感じがする。

Singer purSingphonikerが「二人の王子」を収録していないことがつくづく残念だ。

2011年11月10日 (木)

日本の中のドイツ民謡

小中学校の音楽の授業で習い覚えた旋律が、実はドイツ民謡だった経験は、誰にもあると思う。明治になって西洋音楽が日本に導入されて、それが学校の授業にも反映された。その過程でいくつかのドイツ民謡に日本語の歌詞があてられて広く普及することとなった。そういう歌は得てして記憶に残っているものだ。時を経てドイツ民謡に接するようになると、どこかで聴いた感じに頻繁に遭遇することとなる。

このほどその感覚を現実のものとしたCDを購入した。「Deutsche Volkslieder in Japan」というCD。「教室で歌ったドイツ民謡」というズバリな副題がまぶしい。日本の音楽の時間に習った歌と、その元歌がペアで収録されている。その数30組。日本語版は全てピアノ伴奏で、元歌はギターかリコーダー伴奏。

「霞か雲か」「夜汽車」「ムシデン」「ちょうちょ」「ガウデアムス」「こぎつね」「ローレライ」「もみのき」「きよしのこ夜」「野ばら」etc。中にはすでに本国ドイツでは歌われなくなってしまった歌もあるという。ブラームスが関与した曲は現れないが、桁はずれの楽しさ。学生歌でもある「ガウデアムス」は、通常ラテン語の歌詞なのだが、本CDでは2コーラス目がドイツ語になっていて貴重。あるいは「夏の曙」と題された「ターラウのエンヒェン」の美しさは鳥肌モノだ。そして59曲目に登場する「さよなら」を聴いて衝撃を受けた。

なかよし、なかよし

これで今日はお別れしましょう

さよなら、さよなら

というテキスト。鮮やかに記憶がよみがえった。幼稚園の頃、お帰りの支度が出来た後、最後にみんなで歌った曲だ。私が幼稚園の頃だ。これもドイツ民謡だったかという驚きもさることながら、私の脳味噌にこの歌が刻印され続けていたことが凄い。

日本人のソプラノ歌手とそのご主人でオーストリア人のプロデューサーの意欲作。心から拍手を贈りたい。

2011年11月 9日 (水)

Gluckauf

「Gluck」の「u」はウムラウトだ。これで「やあ」とか「ごきげんいかが」などという訳が当てられている。「Gluckauf、der Steiger kommt」という民謡がある。「やあ、鉱夫がやってくる」くらいの意味だ。18世紀初頭の鉱山歌集に採録されているが、作者不詳だ。

曲を聴いて驚いた。WoO31-11の「子守唄」に似ている。山男たちの愛唱歌の割にはと言っては悪いが、敬虔な感じがする。

それもそのはずだ。「Gluckauf」とは坑内に入って行く鉱夫たちに「ご無事で」と声をかけるニュアンスなのだ。落盤や浸水の危険と背中合わせの過酷な仕事に向かう者たちを送る歌だった。本日話題の「Gluckauf、der Steiger kommt」という歌は「さあ行くぞ」と士気を鼓舞する側面よりも、「無事に上がって来れますように」という祈りが勝ったニュアンスだ。

元鹿島アントラーズのディフェンダー内田篤人が所属するのはドイツブンデスリーガ1部のシャルケ04だ。ホームタウンはルール工業地帯の鉱山の街ゲルゼンキルヘン。現在のホームフィールドはヴィルテンスアレナだが1928年から1972年までは「Gluckauf Stadion」だった。そう本日話題の「Gluckauf」だ。シャルケは若い鉱夫たちによって開設されたクラブでオールドファンは選手のことを「Die Knaben」(若い鉱夫たち)と呼ぶらしい。すっきりとした辻褄。

2011年11月 8日 (火)

ターラウの位置

10月31日の記事「Aのウムラウト」で「ターラウのエンヒェンAnnchen von Tharau」に出てくるターラウが地名であると書いた。これがどこだかさっぱり判らぬとも書いた。我が家にあるドイツの地図を隅から隅まで探しても発見できなかった。このほどその原因がわかった。

ターラウはケーニヒスベルク近郊だった。ケーニヒスベルクは一筆書きの問題で有名な街だが、現ドイツ領ではない。カリーニングラードという名前になっている。ロシア領だ。ドイツの地図をいくら探しても無いわけだ。たいそうな田舎かと申せばとうでもない。ドイツを統一に導いたプロイセンの故地でもある由緒ある街だ。

ターラウ在住の牧師さんが娘の結婚式にと作ったのが「ターラウのエンヒェン」だという。楽譜に書きとめていたブラームスはこのことを知っていたハズ。ブラームス在世当時、ケーニヒスブルクはプロイセン領だったから、地名を聞いてピンと来るに決まっている。

2011年11月 7日 (月)

Herr,lehre doch mich

中古CDショップを徘徊中掘り出し物を発見。話せば長くなるから手短に。Oktaviansというドイツの声楽アンサンブルのCDを購入。解説書によれば2006年にイェーナフィルハーモニー少年合唱団のOBと現役8名が集まって結成されたという。2010年に名のある賞をとってこれがデビューアルバムだそうだ。とにかく驚いた。以下何に驚いたかを箇条書きにする。

  • 20歳そこそこのイケメンの写真がジャケットを飾っている。
  • デビューアルバムのタイトルが「AUFTAKT」という。ご存知の通り「強拍の準備としての弱拍」の意味。曲の立ち上がりのことを指すことが多い。いわゆる「弱起」だ。デビュー作への意気込みがこめられている。
  • パレストリーナがあったと思うとグリーンスリーヴス、ビートルズやアルバートハモンドまである。ドイツにとどまらず世界に羽ばたくという意欲の現われか。
  • メンデルスゾーン、ジルヒャーの常連に混じってブラームスの「Waldesnacht」op62があった。ドイツ民謡もいくつか手堅く収録されている。
  • 解説の冊子はついているのだが、メンバーの紹介だけで、収録曲の解説や歌詞は載っていない。渋過ぎる。
  • 7曲目が最大の驚き。本日のタイトル「Herr lehre doch mich」だ。ブラームスの愛好家にはこれだけで驚かすのには十分だ。ドイツレクイエムの第3曲冒頭を飾るバリトン独唱のテキストに一致している。

このところアカペラの声楽アンサンブルにはまっている。

2011年11月 6日 (日)

ローレライ

ライン川中流ザンクト・ゴアール近辺にある岩山。船運の盛んだったライン川の難所。流路のカーブと暗礁により遭難する船が多く、19世紀になって伝説が生まれた。語源は古いドイツ語で「lure」(罠)「rei」(岩)とも言われている。辻褄が合い過ぎていてかえって怪しい。

詩歌に頻繁に登場する地名がある。日本なら吉野、富士、真間の入江など。ローレライはドイツの歌枕という感じである。

ハイネのテキストにジルヒャーが曲を付けた「ローレライ」は、日本の音楽の授業でも取り上げられる程、有名だ。実は実はクララ・シューマンもこのテキストに曲を付けている。我が家にもCDがある。たしかに同じテキストだ。夫のロベルトの作品「リーダークライス」op39の3曲目「森の対話」は、このローレライ伝説を踏まえている。こちらはアイヒェンドルフのテキスト。

民衆に広く歌われていることが民謡の条件だとするなら、やはりジルヒャーの「ローレライ」があてはまる。

2011年11月 5日 (土)

エルクの矛盾

民謡収集の基準について、ブラームスとエルクには見解の相違が存在することは既に述べてきた。

  • ブラームス 芸術的価値
  • エルク 民衆が歌い継ぐありのままの姿

エルクは膨大な研究から「民謡の真の姿」あるいは「民謡の始原の姿」を特定しそれだけを収集の対象とした。和声処理、ピアノ伴奏なんぞもっての他という立場だ。しかし研究が進むにつれて、これには決定的な矛盾をはらむことが明らかになる。

どのような民謡も自然発生は無いという事実。必ず誰かが作曲しているということだ。遅かれ早かれ誰かの手が入っているということである。作曲の時期を基準にするしか手が無くなる。古い作品はセーフ、新しい作品はアウトという具合だ。

一方のブラームスの側の定義も厄介だ。芸術的な価値があるかどうかは、ひとえに主観だ。「背の高い男の子の集合」と言っているようなものだ。おそらくブラームス本人にはその峻別に根拠も確信もあったに違いないが、客観的とは言い難い。

両者が避け得ぬ矛盾を抱えていることは、それ自体民謡の定義の難しさを反映していると感じる。

2011年11月 4日 (金)

Da unten im Tale

「49のドイツ民謡集」WoO33の6番目。「下の谷底では」と訳される。

ジーメンス&ハルスケ社ハプスブルク支社長夫人のマリア・フェリンガーが、ブラームスに教えたとされている。もとはシュヴァーベン地方の民謡だという。彼女の父は学者兼詩人で、ブラームスも曲をつけている上に、彼女自身がアマチュアながらかなりの歌い手だ。

ブラームスはシンプルな伴奏を奉ったが、立ち上がりを聴くとゴージャスとも形容し得る豊かな気持ちになる。後半は淡い諦めモードになってあっさりと結ばれる。

テキストが歌うのは、女の立場から味わう失恋だ。1連目は「こんなに愛しているのに」と歌い、2連目は理由を明らかにしないまま身を引くという内容。けして声を荒げることのない澄み切った長調がかえって聴く者に訴える。

実は同じ民謡がWoO35-5にも存在する。こちらは混声四部合唱だ。独唱版との最大の違いは伴奏。合唱版はアカペラでピアノ伴奏が無い。独唱版に添えられたピアノ伴奏には大きな意味がある。この伴奏声部こそがブラームスの真骨頂だ。民謡としては歌の旋律だけで、伴奏はブラームスが後からつけたものだと思う。3度6度の芳醇な8分音符の連続が旋律を縁取っている。ときに民謡であることを忘れさせるゴージャスな響きだ。

万葉集第2巻。鏡王女の御製を思い出す。

秋山の木の下隠り行く水の我こそ増さめ御思ひよりは

天智天皇とのロマンスが下地になっている。「表には見えない自分の思いは貴方の思いより深い」と歌う。

42番に置かれた「静かな夜に」にも匹敵する絶唱だ。

2011年11月 3日 (木)

お嬢さんご一緒に

「Jungfraulein,sol ich mit euch」と歌い出される民謡。「49のドイツ民謡集」WoO33の11番に置かれている。

1894年に出版されたこの曲集はブラームスの民謡研究の集大成だ。だからここに収録されているということは、ブラームス本人に相当な愛着と自信がある証拠だ。WoO32およびWoO34からWoO38までの民謡集とテキストや旋律の重複が頻繁に起きている。合唱版では見られない凝ったピアノ伴奏も散見される。

ところが、このWoO33-11は例外だ。重複が見られない。合唱版も独唱版も先行する曲集に存在せず、集大成たるWoO33にいきなり登場する。ブラームスの遺品に含まれていた数葉の手稿譜が残るだけだ。これだけの作品が他に痕跡を残していないことが腑に落ちない。ブラームスがこの作品に出会ったのがハンブルクを離れた後、さらにWoO34の出版の後である可能性が高いと思う。

屈託のない明るさが、快速なテンポでサクッと歌われる。耳を澄ませば民謡らしからぬ凝った伴奏を持っていることが判る。主旋律以外の旋律線がクッキリと仄めかされている。民謡に対位法的な処理が施されている感じだ。

だからいっそう不思議なのだ。

2011年11月 2日 (水)

Calmus ensemble

ライプチヒ出身の声楽アンサンブル。ソプラノ1名をカウンターテナー、テノール2、バリトン、バスが囲む編成。「Singer pur」を踏襲するパターン。1999年ライプチヒトマス教会少年合唱団のメンバーを中心にソプラノを一人加えて成立したようだ。某通販で興味深い彼らのCDを入手。「Farbtone」というタイトル。「色彩」を意味するドイツ語だ。至宝レーガー編曲「2人の王子」を含むドイツ愛唱歌集のイメージ。

ブラームスの作品も下記の通り収録されている。

  1. An die Heimat op64-1
  2. Nachtwache1 op104-1
  3. Nachtwache2 op104-2

混声合唱用または四重唱用の作品を彼らの編成で歌うとパートがだぶつくなどという心配は全くの野暮だった。超絶技巧の声楽アンサンブルは本当に気持ちがいい。現代の作曲家による民謡のアレンジが本当に楽しい。名高いドイツ民謡「小鳥の結婚式」では、よく聴くとワーグナーとメンデルスゾーン両者の結婚行進曲がオブリガードでかぶさってくる。「Das Lied im Jahre」という声楽組曲は四季を表す4つの小品の集合体。ヴィヴァルディの「四季」が冒頭に配されて、ドイツ民謡が手際よく組み込まれている。

ロマン派諸兄の声楽アンサンブルの心臓部もキッチリおさえている。とりわけ驚かされたのはシューベルトの「魔王」だ。伴奏のピアノパートもろとも声楽アンサンブルに転写されている。「マス」で同じトライをしたキングズシンガーズのノリだ。そりゃあもう凄いッス。声楽アンサンブルの超絶技巧。ハモリがキレイに決まり過ぎるのでおどろおどろしさが減じられてしまうのはご愛嬌だ。

「魔王」がこのノリなので「流浪の民」も期待したが、こちらは普通のピアノ伴奏だった。この手の声楽アンサンブルでピアノ伴奏が出てくるとガッカリする脳味噌になってしまった自分が怖い。とはいえ、混声合唱用の作品を重唱で聴くと切れが増す感じ。シューマンのオリジナルでは任意に加わるはずのトライアングルとタンバリン入りになっていて新鮮。

2011年11月 1日 (火)

解釈に苦しむ

ミンダスと称して手持ちのドイツ民謡集のCDに収録されている民謡を集計している。バカにしたものでもなくて既に452曲の民謡が集まった。一通り全部聴いた。不思議なことがある。

ブラームスが最晩年に刊行した「49のドイツ民謡集」で取り上げられた民謡の中に、ミンダスに出現しないものがある。たとえば「In stiller Nacht」だ。これはWoO33-42を背負う名作だ。「49のドイツ民謡集」を代表する作品。

ブラームスが刊行した「49のドイツ民謡集」が「おいしい水」とするなら、ドイツ民謡全体は源泉とされるべきだ。ブラームスが取り上げた旋律がどこかに痕跡として存在する方が自然だ。誰かが作曲した「民謡風歌曲」だったとしても、ミンダス452曲に痕跡すら残らないのは、理解に苦しむ。「In stiller Nacht」はツッカルマリオの「ドイツ民謡集」から採られているが、これほどの名旋律を世の中のドイツ民謡のCDが揃って無視というのは解せない。さらに先般ホルホルと購入したドイツ民謡集にも記載が無い。

実はこの作品、民謡にブラームスが和声と伴奏を付与した程度ではなく、既存の聖歌を元に創作したという説が根強くささやかれている。原曲は似ても似つかぬ曲だった。だから一般の民謡集にその痕跡が現れないということかもしれない。

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