Juche nach America
「いざアメリカへ」くらいの意味。ドイツ民謡を調べていて見つけた。「ミシシッピだって渡ってやるぞ」と勇ましい。18世紀に遡るドイツ傭兵の歌だ。米国の独立戦争における英国軍において、ドイツの傭兵は中心勢力になったらしい。その数3万とも5万とも言われている。英国王はハノーファー選帝侯を兼ねているなど、ドイツの領邦は英国との結びつきも深い。
農民の子息などが、お金で雇われてアメリカに送られた。当時の農民の生活は貧しく、傭兵にでもなった方がはるかにマシだったから、たちまち数が集まったとされている。先般話題にしたゲルネ爺さんの父親は、こうした農民を集めて軍隊に送り込む仕事をしていたという。実質的には「人買い」である。この稼業が姿を消すのは1871年の普仏戦争後だ。何のことはない、戦勝により成立したドイツ帝国が国民皆兵だったから、商売にならなくなったのだろう。
さて米国ではこうした傭兵たちのことを「Hessian」と呼んだ。傭兵たちの多くがヘッセン出身だったから、いつのまにかそうなった。
これらの兵士の半分はドイツに戻らなかったという。もちろん戦死もあるだろうが、自ら新大陸にとどまった者も多い。現在でもペシルバニアから五大湖をへてウイスコンシンにかけての地域とミズーリ州にはドイツ系の住民が多く暮らしている。なるほど、ミルウォーキーやセントルイスではビール醸造が盛んだ。
やがてこうした人々が、米国におけるクラシック音楽や市民合唱団の担い手になって行く。
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