ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« WoO34の位置づけ | トップページ | Totenklage »

2011年11月21日 (月)

ベーメ

Franz Magnus Bohme(1827-1898)ドイツの音楽学者。近代ドイツ民謡学の巨星ルードヴィッヒ・エルクの弟子。1883年にエルクが没した後、1893年になって「ドイツうたの宝」を亡き師匠エルクの追編者として刊行の主役となった。だからその本は「エルク&ベーメの民謡集」と呼ばれることが多い。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻105ページ以降、ブラームスとホイベルガーの会話の中にしばしば現れる。8月22日の記事「エルクとブラームス」でも述べたとおり、この両者ウマが合わなかった。

ブラームスの憤りはエルク本人に向けられたものとその後継者にして共同編者のベーメに向けられたものが混在している印象だ。ブラームスの友人でバッハ研究の泰斗でもあるフィリップ・シュピッタが、エルクとベーメについての印象をブラームスに書き送っている。

ベーメへの評価は惨憺たるものだが、エルクへの評価は「お人好し」というものだ。どちらも積極的なプラス評価ではないが、少なくとも「エルク>ベーメ」であることは間違いあるまい。

偉人の後継者への評価はしばしば厳しいモノになりがちだ。ベーメも同時代の学者たちから酷評されている。ブラームスが持っているエルクへの印象のうちのなにがしかはベーメへの評価が反映したものだと感じる。

それでもブラームスの遺品となった蔵書のヤマの中に、エルク&ベーメの「歌の宝」が入っていた。

« WoO34の位置づけ | トップページ | Totenklage »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ベーメ:

« WoO34の位置づけ | トップページ | Totenklage »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ