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2011年11月21日 (月)

ベーメ

Franz Magnus Bohme(1827-1898)ドイツの音楽学者。近代ドイツ民謡学の巨星ルードヴィッヒ・エルクの弟子。1883年にエルクが没した後、1893年になって「ドイツうたの宝」を亡き師匠エルクの追編者として刊行の主役となった。だからその本は「エルク&ベーメの民謡集」と呼ばれることが多い。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻105ページ以降、ブラームスとホイベルガーの会話の中にしばしば現れる。8月22日の記事「エルクとブラームス」でも述べたとおり、この両者ウマが合わなかった。

ブラームスの憤りはエルク本人に向けられたものとその後継者にして共同編者のベーメに向けられたものが混在している印象だ。ブラームスの友人でバッハ研究の泰斗でもあるフィリップ・シュピッタが、エルクとベーメについての印象をブラームスに書き送っている。

ベーメへの評価は惨憺たるものだが、エルクへの評価は「お人好し」というものだ。どちらも積極的なプラス評価ではないが、少なくとも「エルク>ベーメ」であることは間違いあるまい。

偉人の後継者への評価はしばしば厳しいモノになりがちだ。ベーメも同時代の学者たちから酷評されている。ブラームスが持っているエルクへの印象のうちのなにがしかはベーメへの評価が反映したものだと感じる。

それでもブラームスの遺品となった蔵書のヤマの中に、エルク&ベーメの「歌の宝」が入っていた。

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