ターラウの位置
10月31日の記事「Aのウムラウト」で「ターラウのエンヒェンAnnchen von Tharau」に出てくるターラウが地名であると書いた。これがどこだかさっぱり判らぬとも書いた。我が家にあるドイツの地図を隅から隅まで探しても発見できなかった。このほどその原因がわかった。
ターラウはケーニヒスベルク近郊だった。ケーニヒスベルクは一筆書きの問題で有名な街だが、現ドイツ領ではない。カリーニングラードという名前になっている。ロシア領だ。ドイツの地図をいくら探しても無いわけだ。たいそうな田舎かと申せばとうでもない。ドイツを統一に導いたプロイセンの故地でもある由緒ある街だ。
ターラウ在住の牧師さんが娘の結婚式にと作ったのが「ターラウのエンヒェン」だという。楽譜に書きとめていたブラームスはこのことを知っていたハズ。ブラームス在世当時、ケーニヒスブルクはプロイセン領だったから、地名を聞いてピンと来るに決まっている。
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<てぃんぱにゃー様
「お得情報」などと言われると恥ずかしいばかりです。
現ロシアのカリーニングラード州にある「Waldimirowo」という街が1946年まで「Tharau」と呼ばれていたらしいのですが、確認中です。我が家にあるロシアの地図はアバウト過ぎて役に立ちません。
投稿: アルトのパパ | 2011年11月 8日 (火) 19時04分
さすがです!
毎度のことながらお得情報が詰まってますね。
投稿: てぃんぱにゃー | 2011年11月 8日 (火) 08時20分