WoO33再考
「49のドイツ民謡集」は1894年にジムロック社から刊行された。ジムロック社がブラームスに支払った原稿料は15000マルク。交響曲1曲の値段と同じだ。ブラームスの民謡研究の集大成たる位置づけが裏付けられている。
さて当時の民謡研究の大家エルクとブラームスがしばしば見解を異にしていたことは既に何度も述べてきた。エルクは文献学あるいは考古学的立場から網羅的な収集を試み、さまざまな切り口の分析から民謡の始原の姿を追究した。そうした姿勢で追究した結果、民謡がけして自然発生することはなく、必ずや誰かが作曲しているという結論に到達した。19世紀になって頻発した民謡風歌曲だけを「始原的でない」として排除することに積極的意味が無くなる。
ブラームスはこうしたエルクの立場に反対した。丹念な収集分析自体を否定するものではないが、何でもかんでも律儀に印刷されることに異を唱えた。芸術的な価値がある民謡だけを選んで刊行すべきだと考えた。彼の姿勢に弱点があるとすれば「芸術的価値の有無」という基準がきわめて曖昧であることだ。
ブラームスはエルクとの立場の違いについて公共の場で発言したことはない。「芸術的価値の有無」という自らの基準を公表したこともない。
「49のドイツ民謡集」WoO33は、そうした立場から再考されるべきだと感じる。つまりブラームスが心の中に設定していた基準を適用した結果、選び込んだ49曲だと解されるべきだ。自らの内なる基準を作品の羅列で示したと考えたい。
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