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2011年12月31日 (土)

歓喜に寄す

ブラームスラブを隠さない私のブログで、12月に「歓喜に寄す」などというタイトルを掲げたら、ベートーヴェンの交響曲第9番とブラ1の類似ネタだと思われかねない。ベートーヴェンは交響曲に声楽を取り込むという初めての試みにあたって、文豪シラーのテキストを選んだ。原題「Ode an die Freunde」がしばしば「歓喜に寄す」と訳されるこのテキストは、ベートーヴェンが採用する前に既に若者たちが口ずさんでいた。

若者が口ずさんだというだけで、学生歌を思い起こす脳味噌になっている。案の定「歓喜に寄す」は、第九の旋律とともに現代の学生歌として唱和されている。さらに調べると第九とは別の旋律を付与された楽譜も刊行されている。

元来シラーが学生歌として作詞した訳ではないが、結果として学生たちの酒宴で唱和されているということだ。

2011年12月30日 (金)

細か過ぎる大学祝典序曲

某放送局の 人気番組のタイトルにあやかった。

「大学祝典序曲」は記念すべき作品。私の脳内マインドシェア一位の座をベートーヴェンから奪い取った作品だ。私にとっては誰が何と言おうと不動の位置。

幸なことにネットや書物では交響曲ほど詳しくは解説されない。だから私ごときがブログで細かく言及する意味がある。

一連の学生歌ネタは全て最終的には「大学祝典序曲」の解説に繋がるのだが、部分的に見ると何のことだかさっぱり判らぬということも起きてきた。その細かさこそが目指すところでもある。

2011年12月29日 (木)

有休の訳

昨日全国オーケストラフェスタなる催しに行ってきた。全国の高校オケが一堂に会するイベント。26日から28日までの3日をかけて数十校のオーケストラが出演する。毎年この時期に開かれていて今年で18回目だそうだ。私が仕事納めの日に有給休暇という暴挙に出たのは何を隠そう次女の高校オケがこれに出演するからに他ならない。

3日目朝から聴いた。何と申すべきか次女の学校は18回目の出場だ。つまりオーケストラフェスタが始まってから出場を欠かしたことが無い。サッカーのワールドカップで申せばブラジルみたいなものだ。そうした実績からか、全出場校の大トリを飾る出番になっている。

次女たちのオケを含めて19校の演奏を聴いた。何と言ってもブラームス「第二交響曲の第1楽章」「大学祝典序曲」が収穫。コンクールではさっぱり取り上げられないブラームスが2曲もあったのは嬉しい誤算。スラブ舞曲や第8交響曲などドヴォルザークも人気だ。ヘンデルの合奏協奏曲や、ブランデンブルクの3番などかえって新鮮。大阪や長野からの参加もある。一日聴きまくって疲れるかと思ったら、意外と平気だった。楽しくて時間がたつのが速く感じた。

次女たちのショスタコはといえば、いつもどおり根こそぎ感動させられた。背中に鳥肌。次女がフルオケの中のどこにいるか探しもしなくなった。このメンバーに含まれているというだけで誇らしい気持ちになる。相変らずの弦のキレ味、管楽器の独特な丁寧さ、最後の最後でおいしいところを全部さらってゆくティンパニ。要所がキッチリと押さえられているのにどこまでも懐かしくて暖かいオケのトーン。おそらく縦の線と音程がキッチり合っていることから来る独特の厚み。表現の明確な方向性が完全に共有されている感じ。親冥利とはこのことだ。

甲子園の応援のために会社を休む親の気持ちが少しはわかった気がする。

2011年12月28日 (水)

ドイツ学生連盟

「Deutschen Burschenschaft」の和訳。各大学の学士会が参加する上部組織ことだ。1815年イェーナで組織された。絶妙な時期そして場所。

まずはタイミング。1815年といえばウィーン会議の翌年だ。ドイツにとって大事なことがここで決められた。ナポレオン無き後の欧州の秩序を定める会議だったのだ。その結果ドイツは従来通り小邦乱立が維持された。いわゆるメッテルニヒ体制。列強とりわけフランスとオーストリアは「ドイツに統一国家が出来ては困る」という一点では一致していたということだ。その翌年成立したドイツ学生連盟の趣旨は「ドイツの統一」であった。つまりウィーン体制への反動が学生たちを駆り立てたということだ。ドイツ関税同盟の成立に約20年も先んじる統一の遥かなる導火線だと感じる。舐めてはいけない。この動きを警戒したメッテルニッヒはやがてカルルスバート決議に見られる学生運動弾圧に傾いてゆく。

そして場所。イェーナは学生運動の中心地だと考えていい。コッツェブーの事件をきっかけにイェーナ大学の学士会が解散に追い込まれたのは偶然ではない。一連の弾圧の流れの中で捉えられるべきだ。イェーナの学士会解散の折に作られた学生歌「我らは立派な校舎を建てた」が一部では学生歌扱いとされていなかった痕跡がある。何らかの政治的な背景を感じずにはいられない。

2011年12月27日 (火)

連弾試演

大学祝典序曲には管弦楽版のほかに、本人編曲によるピアノ連弾版も存在する。

連弾版は1880年9月13日、南独の保養地ベルヒテスガーデンで初演されている。演奏に必要な4本の手の内2本はブラームス本人が差し出した。残る2本を提供したのは、クララ・シューマンだった。見ての通り初演の日9月13日はクララの誕生日だ。ブラームスはイシュルから、誕生日に合わせてクララの滞在するベルヒテスガーデンを訪ねたということだ。

誕生日にあわせた訪問だ。プレゼントを持参するのが人情というものだ。そのプレゼントこそが、出来たてほやほやの大学祝典序曲連弾版の楽譜だ。ブラームスがベルヒテスガーデンに着いたのが9月9日。クララとの演奏が13日だ。2人とも初見なんぞ朝飯前だろうが、その数日でサラリと練習もしたに違いない。

ブラームスとクララの連弾による大学祝典序曲だ。初演と称しているが公開の席ではなかったらしい。もったいない。

念のために申し添えると、このとき「悲劇的序曲」の連弾版も演奏されている。

2011年12月26日 (月)

カールスバート決議

メッテルニヒがドイツ諸邦の代表を集めて学生運動弾圧を申し合わせた会議。カールスバートはその会議が行われた地名だ。現在ではチェコ領となりカルロヴィ・ヴァリと呼ばれている。プラハ西方のドイツ国境にほど近い温泉町だ。古くからのリゾート地で、有名人の来訪も多かった。各国の指導者が集まって相談をするにはもってこいの町だ。

1896年、病に倒れたブラームスが医者から転地療養を勧められて訪れたことがある。鉱泉を飲用するという目的だが、程なくウィーンに戻っている。

体制の指導者たちが運動の弾圧に走るということは、裏を返せば政治的影響が無視出来なくなっていたことの証明とも映る。メッテルニヒを同決議に駆り立てた直接の原因がある。アウグスト・フォン・コッツェブーという政治家が、学生運動の急進的活動家に暗殺された。枢密顧問官として赴任していたペテルブルクから戻ったところ、スパイ活動を疑っての凶行だったという。犯人はカール・ザントといい後に逮捕され死刑に処せられた。彼が所属するイェーナの学士会は解散させられた。

コッツェブーという人、政治家であり劇作家であるが、一方で詩人でもあった。詳しい民謡集には彼の手によるセレナーデが収録されている。

2011年12月25日 (日)

もみの木

ほぼ知らぬ者のないクリスマスソングだ。「O Tannebaum,O Tannebaum」と歌い出される。

しかしクリスマスソングとしての定着は19世紀であるのに対し、文献上最古の痕跡は16世紀まで遡る。この歌が学生歌集に採録されているのだ。クリスマスソングとして定着するずっと以前から、学生たちが歌っていたということだ。よく歌詞を読むと、クリスマスとの直接の関連が無いように思われる。そう言えば、学生歌を調べていて感じるのは、クリスマスの痕跡が無いことだ。単なる忘年会をクリスマスコンパと称して、プレゼント交換までしていた我が大学オケとはえらい違いである。

あちらでは、クリスマスを前に各大学は一斉に休暇に入り、学生たちが帰郷するのだと思う。みんな家族とともにクリスマスを過ごすのだ。だからクリスマスネタの学生歌が無いのだと考える。

次女たちの高校オケも昨日クリスマスパーティーがあった。午前中練習をして昼からパーティー。お菓子やケーキを持ち寄って、ゲームをしたり出し物があったり楽しそうだ。驚いたのはパーティーの後3時から6時まで練習をしたらしい。いやはや厳しい。

2011年12月24日 (土)

2400日目

ブログ「ブラームスの辞書」は、2005年5月30日のブログ開設から2400日が経過した。今日まで1日も記事更新が抜けなかった。

神様がそのことに褒美をくれたような気がする。

今日はクリスマスイヴ。12月24日に2400日を迎えるという偶然を用意してくれた。もちろんブログ開設の時点で2400日目が2011年のクリスマスイヴになることは決まっていたが、実際にたどり着いてみると感慨深い。

2011年12月23日 (金)

自立コンサート

昨日終業式後の時間帯を利用して、次女たちのオケが、福祉施設で演奏会を開いた。次女はこれをしきりに「自立コンサート」と呼んでいた。てっきり「入所者自立支援コンサート」か何かだと思っていたらとんでもない勘違いだった。

この演奏会は1年生が仕切る。2年生は部長と副部長だけがオブザーバー的に同行する以外、誰も現地に行かない。オケの次代を担う1年生に演奏会の流れを仕切らせる狙いだ。つまり「1年生の自立」である。高校オケは事実上2年間しか現役でいられないから、オケの伝統継承は、隣り合う学年間で行わざるを得ない。一つ上または一つ下の学年とは文字通り苦楽を共にするのだが、この時期まで来ると2年生が現役で居られるのはあと半年でしかない。

オーケストラ活動の前半のヤマ合奏コンクールを終えた今、次代を背負う1年生に実務経験を積ませることはとても大切だ。来年度の運営メンバーは、「伝統のよき継承」を合言葉に2年生の合議で決まるという。こうした実務経験は、1年生には慣れてもらうと同時に、2年生には判断の材料が提供されることになる。

毎年毎年、素晴らしい演奏を聴かせてくれるオーケストラの伝統はこうした細かな配慮によって下支えされていると思う。いつも演奏に耳が行きがちだが、感心させられる。高校生の部活とはいえ工夫されている。何もかもが建設的で合理的。

2011年12月22日 (木)

ゲッティンゲン大学

ドイツ有数の大学。学士会活動が盛んなことでも知られている。ブラームスの伝記を紐解くとしばしば名前が出て来る。ビスマルクが在籍していたこともある。1853年リストやレーメニと決別したブラームスは、ヨアヒムと合流してゲッティンゲンで過ごす。哲学の講義を聴講したとされている。ここで重要な出会いがあった。後に「バッハ伝」を著すシュピッタや詩人ファーラースレーベンと面識を得た。1858年頃にはアガーテと会うためにデトモルトからゲッティンゲンに駆けつける。何しろアガーテの父はゲッティンゲン大学の教授である。

さらにゲッティンゲン大学について調べていてお宝情報に出会った。ゲッティンゲン大学の正式名称だ。

Georg-August-Universitat

これが大学の正式名称なのだ。ゲオルグ・アウグスト大学とでも言うのだろう。創立者ハノーファー選帝侯ゲオルグ・アウグストに因む。ハノーファー宮廷楽団のコンマスだったヨアヒムがやってくるのもうなずける。さてゴルフ4大トーナメントの一つマスターズは、毎年米国ジョージア州オーガスタのナショナルゴルフクラブで開催される。「ジョージア州オーガスタ」が、ゲオルグ・アウグストと完全に一致しているのだが、これは単に偶然と思っていいのだろうかなどと毎度毎度の与太話をしている場合では無かった。

実は彼の地の大学にはドイツ語名の他にラテン語による正式名称が存在する。おおかた「Universitus何ちゃら」とでもいうのだろうと思っていたが違った。

Alma Georgia Augusta

「Alma」は「心」「魂」「精神」という意味だから「ゲオルグ・アウグストの魂」とでも申すのだろうか。何故私がこれで驚喜するかは内緒の方向で。

2011年12月21日 (水)

南に向かって

「Nach Suden nun sich lenken」というタイトルの学生歌だ。学生歌の情報を集めていてもドヴォルザークの関与が確認出来ないと書いた。本日は苦し紛れの言及。これがドヴォルザークに学位を授与したプラハ・カレル大学の学生たちの愛唱歌だった。「プラハ学生の歌」とも称されている。

テキストはヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(1788-1858)の「のらくら者」の第9章から採られたものだ。プラハを後にして放浪の旅に出るときの歌である。ハイデルベルクで哲学を修めた後、ウィーンやパリに放浪の旅に出た。ブラームスの歌曲にもいくつか採用されている。

しかし、学生歌の世界ではどうもドヴォルザークネタは膨らみそうもない。

2011年12月20日 (火)

ドヴォルザークと学生歌

2009年から2010年にかけて記事数262本に達する渾身の「ドヴォルザーク特集」を発信した。脳味噌にはいまだに心地よい痕跡が刻印されている。最近ずっと学生歌の情報を集めているが、どうもドヴォルザークに関連するネタがない。

ドヴォルザーク自身は、大学に在籍したことが無いから、学士会活動や学生歌に直接関与していないのだと思う。18歳からプラハのオルガン学校で学んでいるが、これは大学とは言えまい。しかしプラハ・カレル大学はドイツ語圏最古の大学で学士会活動も旺盛だった。プラハの街で暮らしていれば、雰囲気くらいは感じ取れたと思う。

大学との関わりと言えば、ケンブリッジ大学やプラハ・カレル大学から学位を授与されていることくらいだ。「大学祝典序曲」を見習って学位授与の返礼に学生歌テンコ盛りの作品を書いていても良さそうなものだ。

これは「学生歌」に対する基礎知識の差だと思う。若い頃のゲッティンゲン大学での体験がブラームスの肥やしになっていたと解したい。

2011年12月19日 (月)

三月革命

ナポレオン後の欧州の秩序を定めた「ウィーン体制」を崩壊させた革命。1848年3月に起きたから三月革命と呼ばれる。このときドイツやオーストリアでは学生有志が軍団を組織した。彼等に同調する音楽家がこれを鼓舞する作品を残している。

それらは1848年作曲のものが目立つ。ズッペ、シュトラウス一家、スメタナ、シューマンがその代表だ。

学生たちの行動は、世の中の動きに大いなる影響があったのだ。だから一部の作曲家がこれに同調したと見るべきだろう。シューマンに至ってはドレスデンで騒ぎに巻き込まれている。

ブラームスはと申せばこのときまだ15歳だ。公の場での演奏デビュウがあったばかりだが、15歳ともなれば、世の中のこうした動きにも聞き耳を立てていたと思われる。

2011年12月18日 (日)

学士会所属の有名人

昨日の記事で有名な音楽家の学士会加入状況を調べた。ついでに音楽家以外の有名人について学士会への加入状況を調べたので、勢いで掲載する。

  1. ジーボルト 入会年不詳 Moenania Wurzburg 幕末シーボルト事件の当事者。アガーテの父親は彼のいとこだ。
  2. アイヒェンドルフ 1805年 Halle 詩人
  3. ファーラースレーベン 1816年 Alte-Goettinger、1819年 Alte-Bonner 詩人
  4. ハイネ 1819年 Alte-Goettinger、1820年 Alte-Bonner 詩人
  5. アウグスト・フォン・ゲーテ 1808年 Heidelberg ゲーテの息子
  6. エルンスト・フォン・シラー 1815年 Jena シラーの息子
  7. マルクス 加入年不詳 Bonn 思想家
  8. ニーチェ 1864年 Bonn 思想家
  9. フロイト 加入年不詳 Wien 心理学者
  10. シュヴァイツァー 1903年 Strassburg 音楽家、医者
  11. ベーリング 1874年 Hamburg 病理学者
  12. ブラウン 加入年不詳 Marburg ブラウン管発明者
  13. ダイムラー 加入年不詳 Stuttgart 自動車技師
  14. ポルシェ 1938年 Wien 自動車技師
  15. ユンカース 1879年 Berlin 航空技師
  16. ハインケル 1907年  Stuttgart 航空技師
  17. ビスマルク 加入年不詳 Goettingen プロイセン宰相
  18. ウィルヘルム2世 1878年 Bonn ドイツ皇帝

錚々たるメンバーだ。上記には名誉会員としての加入は含まれていない。「ガウデアムス」や「新入生の歌」を唱和したことは確実だ。

2011年12月17日 (土)

学士会所属の作曲家

昨日の記事「学生歌を織り込む」では、学生歌と有名作曲家の作品について、その関連状況を観察した。本日は作曲家の学士会への加入状況を話題にする。名前の後に入会年と学士会名を記す。

  1. シューマン 1827年 Alt-Leiptig
  2. シューベルト 1818年 Wiener-Kreis
  3. リスト 1873年 Pauls-Jena 名誉会員だ。
  4. ワーグナー 1830 Saxonia-Leiptig、1872年AGV-Wien名誉会員
  5. ブルックナー 1889年AGV-Wien 名誉会員
  6. ブルッフ 入会年不詳 AGV-Wien
  7. フルトヴェングラー 1922年 Arison-Leiptig 名誉会員

なかなかこちらも豊作だ。名誉会員はある程度年を食ってからの入会だが、シューマンやシューベルトは、マジで「きつね」扱いされたことは確実だ。

2011年12月16日 (金)

学生歌を織り込む

学生歌を自作に織り込むことにかけてはブラームスの「大学祝典序曲」op80があまりに有名だ。念のため他の作曲家の作品においてもそういう現象が起きていないか調べてみたら、これが望外の大漁だった。

  1. モーツアルト これはいささか無理目。「Bruder,recht die Hand zum Bunde」(友よ同盟のために手をさしのべよ)がオーストリア学生歌として刊行されている。「オーストリア共和国歌」としても名高い。古い歌集ではモーツアルト作とされているものの、現代では別人の作と判明している。
  2. ズッペ 「陽気な仲間たち」の中で「ガウデアムス」を含むいくつかの学生歌を引用。
  3. スメタナ 「学生部隊の行進曲」の中で「ガウデアムス」と「Das Fuchslied」を引用。
  4. ウェーバー 「日は昇り」「僕は学生生活を支える」の2曲を作曲。
  5. シューベルト 「何が向こうの森で輝いているのか」D205を作曲。
  6. シューマン 「何千回も挨拶を」「黒赤金」に作曲。
  7. メンデルスゾーン 「神の御心のままに」op47 メンデルスゾーン本人に学生歌という認識があったかどうかは不明ながら、一部の学生歌集に採録されている。
  8. ヨハン・シュトラウス1世 「学生軍団行進曲」を作曲。
  9. ヨハン・シュトラウス2世 「学生行進曲」「学生ポルカ」「学生諸歌」「学生賛歌」を作曲
  10. ヨゼフ・シュトラウス 引用多数。
  11. エドゥワルド・シュトラウス 引用多数。
  12. リスト 「ガウデアムス」を複数回引用。

これら全ての用例がブラームスの「大学祝典序曲」に先行する。学生歌の作曲やその引用は、ブラームスに始まった訳ではないことが判る。ブラームスはむしろ総仕上げに関与したと申し上げるべきだろう。

こうなるとドヴォルザークがいないのが残念だ。

2011年12月15日 (木)

メッテルニヒ体制

1814年ウィーン会議で取り決められた「ナポレオン後の欧州の秩序」をいう。会議を主導したオーストリア外相の名前に因む。集まった国々の思惑が交錯し議論がなかなか進まず「会議は踊る」と揶揄された。会期は何と232日に及んだ。

革命前の勢力図への復帰が意図された。プロイセンは強国ではあったが、全般に見てドイツは小国分立の状態が維持された。フランス、オーストリア、ロシアなどドイツに統一国家が現れては困ると言う点では利害が一致していたと評価されている。

ドイツに分散する学生たちはこれを憂うことになる。「何でやねん」という具合に集まって気勢を上げる。19世紀における学士会活動の興隆期が1810年代から1840年代とされていることと一致する。多くの学士会が「ドイツの自由と独立」を旗印に活動した。だから「祖国のために喜んで身を投じる」という気風が育まれ、極端な場合には「命も惜しくはない」とエスカレートした。

ブラームスの少年時代は、この時期に相当する。時代の空気と共に学士会の心意気をも吸い取っていた可能性がある。

2011年12月14日 (水)

私家版学生歌ベスト10

「大学祝典序曲」への興味から学生歌にのめり込んだ。始まって間が無いが「私家版学生歌ベスト10」を発表する。これからじっくり述べて行くが「学生歌」の定義はきわめて曖昧である。民謡全般との境界は不明確だ。それらを百も承知のランキングである。

<第1位>「Gaudeamus」(だから愉快にやろうじゃないか) ブラームスが「大学祝典序曲」のエンディングに用いたことだけが選定の理由ではない。明るくシンプルで誇り高い旋律自体の魅力が大きい。

<第2位>「Fiduzit」日本語にならぬ。学士会特有の盟友関係に立脚した名歌。深々とした詠唱調で、盟友の死を悼む。ザラストロのアリアさえ想起させる。

<第3位>「Die Tage der Rosen」(バラの盛り) 青春のうちに人生を楽しめという趣旨のテキストだが、曲調は孤高のバラードだ。

<第4位>「Das Bemooste Haupt」(苔むす頭) 「俺はこれで学生生活10年目」と立ち上がる万年学生賛歌だ。格調高いアリアを思わせる。「Bemooste」の「oo」の部分でコロラトゥーラが美しい。

<第5位>「Ergo Bibamus」(だから飲もう) ラテン語とドイツ語チャンポンの歌詞はゲーテによるもの。早口で言葉を詰め込む爽快感が嬉しい。

<第6位>「Krammambuli」(クランバンブーリ) 狭義には現ポーランド領ダンツィヒ産のジンのことだが、広義には酒類全般のことだ。テキストは屈託のないアルコール賛歌になっている。

<第7位>「Das Fuchslied」(狐の歌) これまた「大学祝典序曲」に取り入れられている。「Gaudeamus」と双璧を成す知名度。

<第8位>「Burschen Herau」(若者よ外に出よう) ドイツ統一国家の出現を切望するテキスト。第二次大戦前はあらぬ方向に鼓舞する意図で用いられたが、歌そのものに罪はない。

<第9位>「Landes Vater」(国の親) 「大学祝典序曲」にある。

<第10位>「Studentleben」(学生生活)

2011年12月13日 (火)

ドイツ学生歌の世界

神保町の古書店をうろついていて空前の掘り出し物に出会った。

「ドイツ学生歌の世界-その言語文化史的断面」というのがそのタイトルだ。定価3675円のところ3300円で購入した。ライムンド・ラング/長友雅美共著でSinfonia社からの刊行。

学生歌の説明に先立って学士会のことが詳しく語られる。この段階で学士会と学生歌は切っても切れない関係だと刷り込まれる。続いて学生歌の歴史が語られる。学士会の酒宴について詳しい記述があり、学生歌がどのような場面で歌われるのか明らかにされる。

最後に代表的な15の学生歌について譜例入りで詳述される。

おそらく一生の宝。

2011年12月12日 (月)

何でも学生歌

学生歌の定義が緩いと感じる。学生歌集や学生歌を集めたCDを当たっていると、「これも学生歌なのか」というような曲が収められていることがある。

  1. 菩提樹 シューベルトの名高い「リンデンバウム」そのものだ。
  2. セレナーデ これまたシューベルトのセレナーデそのもの。
  3. ローレライ 中学校の音楽の時間に習ったジルヒャーの超有名な旋律。
  4. ホライホラオ 小学校の音楽の時間に習った「口笛吹いて」の旋律そのまま。
  5. ムシデン 超有名な「別れの歌」だった。中学校時代に「さらばさらば我が友/しばしの別れぞ今は」と習った旋律そのままだ。
  6. 低い谷へ 「ふるさとの花よ香るか今も、流れゆく水の岸辺に白く」と歌い出し、「別れ」というタイトルの歌。中学で習った記憶がある。娘等がヴァイオリンでも弾いた。

そして本日最大の驚きは「ブラームスの子守歌」op49-4である。これも一部の学生歌のCDに収録されている。学生が酔っぱらって歌えば皆、学生歌なのかもしれない。

2011年12月11日 (日)

合わせ技

柔道の用語だ。「一本」に相当する技が決まったと認定されれば「一本勝ち」になる。選手は皆これを目指してはいるのだが、「一本」までは届かぬ完成度だった場合に「技あり」認定が下される。同じ試合で「技あり」が2回取れた場合「一本」と認定される。これが「合わせ技」である。転じて「2つで一つとみなすこと」くらいの意味が派生している。

8月17日からつい先日まで「民謡特集」を展開した。さらに12月6日の記事「ホッホシューレ」から「学生歌特集」に転じた。学生歌はブラームスの大学祝典序曲に関連するのだが、何よりも「民謡」との縁が深い。2010年9月に特集ドヴォルザークを終えたとき1年物の企画は今後難しいと感じたが、「民謡」と「学生歌」の「合わせ技」でおよそ1年弱を凌ぎれる見通しだ。

ブログ「ブラームスの辞書」で展開した民謡特集は、アラビアンナイト計画7本目の企画だが、記事の本数が99本という大型企画になった。ところがその民謡特集が実は続く「学生歌特集」のための巨大な序奏になっているという筋立てが自分でも気に入っている。

2011年12月10日 (土)

民謡と学生歌

学生歌の起源を調べていると、時折民謡との関与を伺わせる記述に出会う。ドイツ民謡学の泰斗ルートヴィッヒ・エルクの名前が頻繁に現れる。

たとえば「大学祝典序曲」で3番目に登場する「Das Fuchslied」(新入生の歌)の起源を調べていて、興味深い情報にたどり着いた。

「Das Fuchslied」の起源が「Es ging ein Baumer ins Holz」(農夫は森に行った)と推定されているが、これはエルクが採譜した民謡集に収載されている。

一方のエルクは著書の中で、民謡研究において学生歌、賛美歌、物語歌は十分考慮されねばならないと指摘している。

学生歌と民謡はどうも根っこの部分で繋がっていそうだ。ブラームスは民謡と同等の愛情を学生歌に注いでいたとしても不思議ではない。

2011年12月 9日 (金)

またもヴェルニゲローデ

昨日紹介したCDと双璧をなす貴重なディスク。

ヴェルニゲローデ少年少女合唱団のCDはドイツ民謡業界にあっては相当スタンダードな位置にあることは既に言及しておいた。演奏の正統派な編曲と透明感あふれる演奏と広大なレパートリーはその位置づけにふさわしい。

全8巻のうち第7巻は「学生歌」が集められていて唯一2枚組になっている。日本語で書かれた解説書はこれから展開する「学生歌」特集の貴重な情報源でもある。何よりも演奏が素晴らしい。

2011年12月 8日 (木)

Deutsche Studentenlieder

私が頼りにしている学生歌のCD。エーリヒ・クンツという歌手にウィーンフォルクスオパー管弦楽団および合唱団の演奏だ。4枚組5000円で95曲が収録されている。管弦楽伴奏が付けられている。合唱有り独唱ありのもりだくさんである。学生が酒宴で歌う際にオケの伴奏があるハズはないから、余計なお世話とも言えるが楽しい。オケ伴奏といってもごくごく薄いもので違和感は無い。

何より凄いのはその解説。歌詞の日本語対訳は貴重だ。また全曲に簡単なコメントが付いているのがありがたい。オリジナルのコメントはドイチュという人が書いた物だ。シューベルトの作品を整理し、D番号にその名を残す著名な学者だという。シューベルト研究の大家が、同時に学生歌研究の第一人者でもであるというのが、気が利いている。

2011年12月 7日 (水)

学生歌

ドイツ語圏において、学士会(Bruschenshaft)の酒宴で歌われる歌のこと。学士会とは全ドイツの自由と統一を願って、学生たちが各大学に組織した団体。メッテルニッヒ体制において領邦乱立のドイツへの危機感が根底にあると言われている。教会、フリーメイスン、騎士道などからの影響を受けつつ独自の発展を遂げ、その伝統は現在も続いている。

ブラームスの生きた19世紀は同時に、学士会の全盛期とほぼ重なっていると申して良い。つまりそれは学生歌の全盛期とも言い換え得る。現在知られている学生歌のほとんどが、19世紀までに成立を終える。さらに名だたる詩人たちが学生歌にテキストを供給している。ブラームスがテキストに選んだ詩人の中から学生歌のテキストにも採用された詩人を列挙する。

  • ゲーテ
  • シラー
  • ウーラント
  • ガイベル
  • アイヒェンドルフ

ブラームスは大学に通ったことは無いが、ヨアヒムと連れだってゲッティンゲン大学で聴講したことがある。まだ20歳の頃だからちょうど大学生くらいだ。このときに大学の雰囲気に触れたことは確実だ。

民謡特集総集編の翌日の記事「ホッホシューレ」は大学祝典序曲を扱ったつかみどころの無い記事だったが、本日の記事で方向性が明らかとなる。「民謡」の次なる企画は「学生歌」。

2011年12月 6日 (火)

ホッホシューレ

「Hochschule」と綴るドイツ語。辞書には「単科大学」「大学」と書かれている。総合大学ではない。音楽大学はムジークホッホシューレだ。

1880年12月6日、ブラームスはヨアヒムの協力を得て、大学祝典序曲の試演を行う。演奏は「ホッホシュールオーケストラ・イム・ベルリン」となっている。おそらくヨアヒムが校長をしていたベルリン高等音楽学校のオーケストラを駆り出したということだ。この日の演奏はあくまでも非公式で、公式の初演には数えられていない。

大学祝典序曲の非公式初演が、学生オケだったというのは何だかうれしい。

2011年12月 5日 (月)

民謡特集総集編

「民謡特集」が終わった。本日はその総集編だ。暑い中始まった民謡特集だが、気がつけば師走だ。記事は99本に達しアラビアンナイト計画7本目にして最多を記録した。こうしてみるとなかなか壮観。

  1. 2011年08月17日 民謡ラブ 民謡を舐めてはいけない。
  2. 2011年08月18日  Volkslied   定義困難な用語。
  3. 2011年08月19日  民謡の系譜 生前の出版はWoO31.33.34だけ。
  4. 2011年08月20日  民謡のタネ本 ブラームスが採用した既存民謡集。
  5. 2011年08月21日  ルートヴィッヒ・エルク ドイツ近代民謡学の泰斗。
  6. 2011年08月22日  エルクとブラームス ブラームスはエルクを知っていた。 
  7. 2011年08月23日 近代ドイツ民謡学の展開 衝撃の本と出会った。
  8. 2011年08月24日  民謡集批判 エルクの見解。
  9. 2011年08月25日 人名索引 民謡本にあらわれるブラームス。
  10. 2011年08月26日 歌の宝 近代民謡研究の金字塔。
  11. 2011年08月27日  民謡の分類 エルクの部立て。
  12. 2011年08月28日 擬似民謡集 ツッカルマリオ評価は業界少数派。
  13. 2011年08月29日  エルクの辞書 エルクが民謡に与えた発想記号。
  14. 2011年08月31日  旋律の類型化 旋律を分類するエルク。
  15. 2011年09月01日 メンデルの法則 形質の選び方が神業。
  16. 2011年09月02日 ある形質 旋律分析の手法。
  17. 2011年09月03日  茶摘 ソドレミという立ち上がり。
  18. 2011年09月04日  歌曲の中の茶摘み 民謡よりも低い頻度。
  19. 2011年09月05日  Volkstumliches Lied  「民謡風歌曲のオリジナル独文。
  20. 2011年09月07日  民謡の採譜とは ブラームスとエルクの姿勢の違い。 
  21. 2011年09月08日 ミンダス 民謡の私的データベース。
  22. 2011年09月09日 民謡収集の担い手 民謡の収集の主体は文学者たちだった。
  23. 2011年09月10日 ブラームスの中のなでしこ 子守唄のテキストの中に「なでしこ」
  24. 2011年09月11日 zersingen  「歌い崩し」は民謡の特質。
  25. 2011年09月13日 アルペンホルンのファ 「F」が半音上がる音階。
  26. 2011年09月14日 方言周囲論 民謡はドイツ語圏の辺縁に濃密に分布する。
  27. 2011年09月15日 民謡の手書き譜 さすがにマッコークルは芸が細かい。 
  28. 2011年09月16日 未刊の民謡たち ミンダスの威力。
  29. 2011年09月17日 ゲルネ爺さん 民謡収集のフィールドワーク。
  30. 2011年09月18日 言語孤島 周囲を単一な他言語に囲まれた地域。
  31. 2011年09月19日 民謡ベスト10 ブラームス編選曲の中から厳選。
  32. 2011年09月20日  名人歌手 マイスタージンガーの条件。
  33. 2011年09月21日 歌合戦 民謡とドイツオペラ。
  34. 2011年09月22日 Christophorus WoO36を含むお宝CD。
  35. 2011年09月23日 裏民謡ベスト20 ブラームスが関与せぬ民謡ベスト20。
  36. 2011年09月24日 二人の王子 裏民謡ベスト20の第一位。
  37. 2011年09月25日 レアンドロス 第三交響曲フィナーレ第二主題。
  38. 2011年09月26日 唐突にレーガー 「二人の王子」の編曲を起点に。
  39. 2011年09月27日  レーガーのドイツ民謡集 レーガー編曲ドイツ民謡集全23曲。
  40. 2011年09月29日 同稿異曲 同じテキストを違うメロディで。
  41. 2011年09月30日 レーガーの手口 際立つ手際。
  42. 2011年10月02日 歴史的に見たドイツ民謡 古書店で見つけたお宝。
  43. 2011年10月03日  民謡御三家 「ローレライ」「菩提樹」「野ばら」で決定。 
  44. 2011年10月04日 はじめての洋書売り場 思わぬ民謡本を入手。
  45. 2011年10月05日 ABCの歌 「ABC」に「J」が無い。
  46. 2011年10月06日  シルヒャー ドイツ民謡業界の大御所。
  47. 2011年10月07日 民謡としての野ばら ウェルナーの圧倒的存在感。
  48. 2011年10月09日 SOS Singer pur のドイツ民謡。
  49. 2011年10月11日  別れの歌 WoO34-9の絶唱。
  50. 2011年10月13日  All mein Gedanken  ドイツ最古の歌。
  51. 2011年10月14日 ロハマー歌曲集 15世紀中葉成立の世俗歌曲集。
  52. 2011年10月15日 ヴェルニゲローデ ドイツ民謡CDの決定版。
  53. 2011年10月17日 民謡クォドリベート アルバム「SOS」の妙技。
  54. 2011年10月18日  Instrumentenquodlibet 民謡の楽器紹介。
  55. 2011年10月20日 民謡の中の職業 職業名は苗字になりやすい。
  56. 2011年10月21日 えらいこっちゃ WoO38の楽譜入手。
  57. 2011年10月22日 WoO38出版の経緯 ちゃんとマッコークルに載っていた。
  58. 2011年10月23日 最強のセレナーデ 「許しておくれ」WoO33-2。 
  59. 2011年10月24日  鳥になれたら シューマンの二重唱。
  60. 2011年10月25日 夜汽車 「鳥になれたら」の旋律。
  61. 2011年10月26日 キングズシンガーズ 声楽アンサンブルの人気者。
  62. 2011年10月27日 ムシデン 名高いシュヴァーベン民謡。
  63. 2011年10月28日 目覚めておくれ 独唱、アカペラで5通りのバージョン。
  64. 2011年10月30日 ジンクフォニカー 男声六重唱の妙技。
  65. 2011年10月31日  Aのウムラウト 天使のマーク。
  66. 2011年11月01日 解釈に苦しむ 「In stiller Nacht」の出所について。
  67. 2011年11月02日  Calmus ensemble 超絶声楽アンサンブル。
  68. 2011年11月03日 お嬢さんご一緒に WoO33にだけポツリの傑作。
  69. 2011年11月04日 Da unten im Tale シュヴァーベンの絶唱。
  70. 2011年11月05日 エルクの矛盾 民謡の自然発生は無い。
  71. 2011年11月06日 ローレライ シューマン夫妻にもローレライ。
  72. 2011年11月07日 Herr,lehre doch mich  オクタヴィアンズのCD。
  73. 2011年11月08日 ターラウの位置 「ターラウのエンシェン」の故地。
  74. 2011年11月09日 Gluckauf 鉱夫たちの無事を祈る歌。
  75. 2011年11月10日 日本の中のドイツ民謡 教室で習ったドイツ民謡。
  76. 2011年11月11日 二人の王子聴き比べ  111111横並び記念企画。
  77. 2011年11月12日  Das Liederprojekt  ドイツ民謡集大成の試み。
  78. 2011年11月13日 御大ディースカウ 民謡プロジェクトの屋台骨。
  79. 2011年11月14日 合唱用の民謡 合唱用に49曲の民謡集を書いたのか。
  80. 2011年11月15日  集大成としてのWoO33 民謡研究の集大成。
  81. 2011年11月16日 WoO33再考 脳内基準を作品の羅列で示す。 
  82. 2011年11月17日 MDG デトモルトレーベルのグッドジョブ。
  83. 2011年11月18日 踏み台としてのWoO32 没後出版の独唱民謡。
  84. 2011年11月19日 Juche nach America  米国に渡った傭兵たちの歌。
  85. 2011年11月20日 WoO34の位置づけ 「In stiller Nacht」の重複など。
  86. 2011年11月21日  ベーメ エルクの弟子。
  87. 2011年11月22日 Totenklage 「In stiller Nacht」の原型。 
  88. 2011年11月23日 民謡という下地 ブラームスへの追随。
  89. 2011年11月24日  イ長調4分の3拍子 恐る恐る批評するホイベルガー。
  90. 2011年11月26日 どこにも無理が無い 作曲上の無理とは。
  91. 2011年11月27日 ギター伴奏 マリアーナ・リポヴシェク。
  92. 2011年11月28日 ヴァイオリン弾き 民謡の中のワルプルギス。
  93. 2011年11月29日 ドイツ民謡の沃野 ネタの宝庫としての民謡。
  94. 2011年11月30日 Schnadahupfel 南ドイツに伝わる民謡と習志野捕虜収容所。
  95. 2011年12月01日 長調の比率 ドイツ民謡の長調優勢について。
  96. 2011年12月02日 民謡CDベスト10 鵜呑み厳禁CDリスト。
  97. 2011年12月03日 国民楽派 思い切って告白。
  98. 2011年12月04日 民謡記事134本 カテゴリー交響曲の記事数を民謡が抜き去る。
  99. 2011年12月05日 本日のこの記事。

アラビアンナイト計画の進捗報告はこちらから。

2011年12月 4日 (日)

民謡記事134本

昨日の記事「国民楽派」でカテゴリー「216民謡」に属する記事が133本に到達した。だから本日の記事がカテゴリー「交響曲」133本「室内楽」131本「ピアノ」120本をまとめて抜き去る134本目の民謡記事。めでたい。見ての通りのブラームス大好きブログだから、空気を読んで交響曲や室内楽の記事を手厚くするという手もある。しかしそれではブログの特徴を手早くアピール出来ない。世の中差別化の時代だ。数あるブログの中で目立とうと思ったら、他所との違いを見せねばならない。

民謡記事が交響曲や室内楽の記事より手厚いというのは、その点でうってつけだ。カテゴリーの本数という意味で、「民謡」より多いのは「歌曲」だけというのが爽快だ。何よりもこうした民謡優先の姿勢は、ブラームス本人に喜ばれる可能性が高いと信じている。

しかし油断は禁物。今回の特集のおかげで備蓄記事をすっかり吐き出してしまった。備蓄記事に限るなら「民謡」より「交響曲」「室内楽」の方が多いからだ。「民謡」のアンテナが下がるとたちまち抜き返されるだろう。けれどもこうしたデッドヒートは歓迎すべき。脳味噌の刺激になる。

今回の民謡特集の目的の一つが「交響曲」「室内楽」「ピアノ曲」を本数で抜き去ることだった。だから民謡特集は明日でお開き。

2011年12月 3日 (土)

国民楽派

自国の民謡や民族音楽の語法・形式を重視して作曲した人たち。とりわけ19世紀後半について特化して用いられる。

そもそもこの言い回し自体が波乱含みである。

この用語を編み出した人たち、あるいは用いる人たちの間に故意か無意識か、音楽史の中枢という概念が既に確立していると思われる。その常識に照らして「中枢じゃないところ」の意味を濃厚に含む。だからドイツ、イタリア、フランスについて国民楽派とは言わない気がする。

クラシック畑の住人は19世紀後半にかけて欧州全土に拡散していった。後世に名前の残る人が現れ始めたと言い換えるべきかもしれない。「中枢とその他」という概念はそうした拡散の中で生まれたと感じる。

同時にクラシック畑の住人たちの目が民謡に向かった時代でもある。そうした傾向が現れたのは、いわゆる「国民楽派」の人たちだけではない。何を隠そうブラームスは、国民楽派の対立概念たる、欧州音楽の本流にあって、民謡に目を向けたのだ。もしブラームスが欧州楽壇の中枢から離れた辺境に生まれていたら「国民楽派」と呼ばれていたかもしれない。それほどの民謡愛好家だった。あるいはジプシー音楽の語法にも明るかった。

悲しいかな一般にドイツには国民楽派の概念がない。たとえばドイツ・オーストリア系の作曲家が、どれほどワルツやレントラーに執着しても「ドイツ国民楽派」とは言わないのだ。

ブラームスを。

ブラームスを「ドイツ国民楽派」と位置付けたら、ブログは炎上するのだろうか。

2011年12月 2日 (金)

民謡CDベスト10

ブログ「ブラームスの辞書」では、おすすめCDネタは原則として取り扱わない。誰それの演奏がお勧めですという系統の話題だ。CDに収められた演奏の好き嫌いはともかく優劣なんぞ公言出来はしない。演奏家ごとの細かい違いをキチンと聞き分けられていないから、自信を持ってお勧めというわけには行かないという恥ずかしい理由。CDランキングも同様だ。

ところが本日はその例外。我が家にあるドイツ民謡のCDを列挙する。とはいうもののブラームスの「49のドイツ民謡」などは対象外だ。一般のドイツ民謡のCDである。

  1. ヴェルニゲローデ少年少女合唱団 妥当なところ。旧東ドイツ時代の録音。全8巻のうち1~5巻および7巻を所有。ドイツ民謡の決定版的位置づけ。キーワードは「清らか」に尽きる。長調のバラード系がとりわけ秀逸。編曲が素晴らしいことも地味に利いている。7巻の学生歌とりわけオタクな選曲。これを渋いと思えるようになりたい。こちら
  2. 「S.O.S」Singer pur。これが1位でもいいのだが、全8巻の網羅性に負けたということ。厳密に申せば合唱ではなく重唱だ。気の利いた編曲ぶりはヴェルニゲローデ以上だ。こちら
  3. 「Das Liederprojekt」全2巻いやはやすごい。ドイツ音楽界の底力を見る思い。超一流の音楽家たちの民謡への思い。「みんな民謡好きなのね」と実感。こちら
  4. キングズシンガーズ。「二人の王子」の編曲が絶品。シューベルトの「ます」も素晴らしい。こちら
  5. 「Das Lieben bringt gross Freut」いやはや棚ボタ。ライプチヒ弦楽四重奏団とアマコルドのジョイント。民謡を丹念に弦楽四重奏に編曲したケスマイヤーのグッドジョブで破格の楽しさ。こちら
  6. 「ジルヒャー作品集」 Mennerchor Teisebdorfという団体の男声合唱。ジルヒャーが作曲または編曲でかかわった作品26曲。桁外れの楽しさ。ジルヒャーの偉大さがよくわかる。こちら
  7. 「二人の王子」 マックス・レーガー編曲による23のドイツ民謡集。サプライズの深さという点では筆頭格。とくにアルバムのタイトルナンバー「二人の王子」は極上である。ドレスデンカンマーコールのグッドジョブ。こちら
  8. 「Volksliedr Der Deustchen Romantik」 コンツェルトコールダルムシュタットの演奏。全28曲のバランスと品のいい編曲が売り。きれいどころを全ておさえた網羅感と価格のバランス。こちら
  9. 「Deustche Volkslieder」 ジンクフォニカーという男性6名のアンサンブル。いやはや渋い。ブラームスの絶唱「別れの歌」が男声アンサンブルで聴けるのは貴重。こちら
  10. 「色彩」 カルムスアンサンブルのデビューアルバム。現代作曲家の民謡アレンジが秀逸。伴奏もろとも声楽に転写した「魔王」が凄い。こちら

このほか、ドイツグラムフォンや、BMGにも所属アーティストを総動員したドイツ民謡集がある。演奏家の名前だけをみると錚々たるメンツだが、歌曲リサイタルの香りが勝ちすぎていて面白みに欠ける。クラシック畑の大物がドイツ民謡を歌ったCDもあるが、とってつけたような楽隊の伴奏では、興ざめだ。アカペラの重唱または合唱が一番しっくり来る。

2011年12月 1日 (木)

長調の比率

ミンダスと銘打って民謡のデータ収集を始めた。集計項目に調性を入れておいたのが効いて興味深い傾向が浮かび上がった。主音がどの音かにはさほど意味は無いが、長調か短調かには注目していい。手許のCD収録の150曲を対象に集計した長短比率はおよそ80:20で長調優勢だった。

民謡のカテゴリー所属の最初の記事は2006年5月19日の「民謡風」だった。そこではブラームスの歌曲および民謡についての長短比率を載せておいた。これとの比較は興味深い。

  • ドイツ民謡 80:20
  • ブラームスの歌曲 54:46
  • ブラームスの民謡 58:42

ドイツ民謡の比率にはなお考察がいる。我が家のCDは私が店頭で適当に選んだものだ。CDに収録されている作品の調など気にせずに買った。その意味ではランダムだ。だからドイツ民謡全体の長短比率をパラレルに反映していると捉えたい。おそらくドイツ民謡は長短の切り口で見る限り数の上では長調優勢なのだと思う。その比率はおよそ80:20だと考える。

ブラームスが民謡集の名で刊行した民謡における長短比率は、死後の刊行を含めて58:42だ。ざっくり60:40だと解される。80:20の比率で長調優勢のドイツ民謡の沃野から、短調作品を倍に濃縮して汲み取った。短調の比率には以下の通りの傾向がある。

ブラームスの創作歌曲>ブラームスの民謡編曲>ドイツ民謡全体

テキストと旋律でのみ伝承される民謡に、豊かな和声とピアノ伴奏を添えることで芸術作品として世に問うた。そのための題材を民謡からすくい上げる過程で短調に傾斜したということだと読める。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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