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2011年12月26日 (月)

カールスバート決議

メッテルニヒがドイツ諸邦の代表を集めて学生運動弾圧を申し合わせた会議。カールスバートはその会議が行われた地名だ。現在ではチェコ領となりカルロヴィ・ヴァリと呼ばれている。プラハ西方のドイツ国境にほど近い温泉町だ。古くからのリゾート地で、有名人の来訪も多かった。各国の指導者が集まって相談をするにはもってこいの町だ。

1896年、病に倒れたブラームスが医者から転地療養を勧められて訪れたことがある。鉱泉を飲用するという目的だが、程なくウィーンに戻っている。

体制の指導者たちが運動の弾圧に走るということは、裏を返せば政治的影響が無視出来なくなっていたことの証明とも映る。メッテルニヒを同決議に駆り立てた直接の原因がある。アウグスト・フォン・コッツェブーという政治家が、学生運動の急進的活動家に暗殺された。枢密顧問官として赴任していたペテルブルクから戻ったところ、スパイ活動を疑っての凶行だったという。犯人はカール・ザントといい後に逮捕され死刑に処せられた。彼が所属するイェーナの学士会は解散させられた。

コッツェブーという人、政治家であり劇作家であるが、一方で詩人でもあった。詳しい民謡集には彼の手によるセレナーデが収録されている。

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