国民楽派
自国の民謡や民族音楽の語法・形式を重視して作曲した人たち。とりわけ19世紀後半について特化して用いられる。
そもそもこの言い回し自体が波乱含みである。
この用語を編み出した人たち、あるいは用いる人たちの間に故意か無意識か、音楽史の中枢という概念が既に確立していると思われる。その常識に照らして「中枢じゃないところ」の意味を濃厚に含む。だからドイツ、イタリア、フランスについて国民楽派とは言わない気がする。
クラシック畑の住人は19世紀後半にかけて欧州全土に拡散していった。後世に名前の残る人が現れ始めたと言い換えるべきかもしれない。「中枢とその他」という概念はそうした拡散の中で生まれたと感じる。
同時にクラシック畑の住人たちの目が民謡に向かった時代でもある。そうした傾向が現れたのは、いわゆる「国民楽派」の人たちだけではない。何を隠そうブラームスは、国民楽派の対立概念たる、欧州音楽の本流にあって、民謡に目を向けたのだ。もしブラームスが欧州楽壇の中枢から離れた辺境に生まれていたら「国民楽派」と呼ばれていたかもしれない。それほどの民謡愛好家だった。あるいはジプシー音楽の語法にも明るかった。
悲しいかな一般にドイツには国民楽派の概念がない。たとえばドイツ・オーストリア系の作曲家が、どれほどワルツやレントラーに執着しても「ドイツ国民楽派」とは言わないのだ。
ブラームスを。
ブラームスを「ドイツ国民楽派」と位置付けたら、ブログは炎上するのだろうか。
« 民謡CDベスト10 | トップページ | 民謡記事134本 »
コメント