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2011年12月28日 (水)

ドイツ学生連盟

「Deutschen Burschenschaft」の和訳。各大学の学士会が参加する上部組織ことだ。1815年イェーナで組織された。絶妙な時期そして場所。

まずはタイミング。1815年といえばウィーン会議の翌年だ。ドイツにとって大事なことがここで決められた。ナポレオン無き後の欧州の秩序を定める会議だったのだ。その結果ドイツは従来通り小邦乱立が維持された。いわゆるメッテルニヒ体制。列強とりわけフランスとオーストリアは「ドイツに統一国家が出来ては困る」という一点では一致していたということだ。その翌年成立したドイツ学生連盟の趣旨は「ドイツの統一」であった。つまりウィーン体制への反動が学生たちを駆り立てたということだ。ドイツ関税同盟の成立に約20年も先んじる統一の遥かなる導火線だと感じる。舐めてはいけない。この動きを警戒したメッテルニッヒはやがてカルルスバート決議に見られる学生運動弾圧に傾いてゆく。

そして場所。イェーナは学生運動の中心地だと考えていい。コッツェブーの事件をきっかけにイェーナ大学の学士会が解散に追い込まれたのは偶然ではない。一連の弾圧の流れの中で捉えられるべきだ。イェーナの学士会解散の折に作られた学生歌「我らは立派な校舎を建てた」が一部では学生歌扱いとされていなかった痕跡がある。何らかの政治的な背景を感じずにはいられない。

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