FAF異聞
「ああ懐かしき青春の輝き」という学生歌がある。原題は「O alte Burschenherlichkeit」という。一番の歌詞の中程に以下のような一節がある。
so frei und ungebunden
「かくも自由で束縛無く」という程度の意味だ。この作品は学生歌のとしての知名度の点では「ガウデアムス」に匹敵する存在だから、複数の学生歌集に収載されているのだが、この部分の歌詞が、本によって違っている。
so froh und ungebunden
「かくも楽しく束縛無く」という具合だ。どちらが本来の姿なのか判らないらしい。日本の古典文学の場合、原本がすでに失われていて複数の写本でのみ伝えられていることがある。そうしたケースでは、写本間で細かな言い回しが微妙にズレているなどということが少なくない。本日の話題もその範疇だと感じる。私がわざわざブログで取り上げるのは、他でもないこの手の異同が「frei」(自由)と「froh」(楽しく)の間で起きていることだ。
ブラームス愛好家たるものこれをサラリと見過ごすのは野暮というものだ。ブラームスのモットーと伝えられる「FAF」は「Frei aber Froh」の頭文字を採った代物だ。ヨアヒムのモットー「Frei aber Einsam」を聞かされたブラームスがとっさにもじって見せたというのが私の見解だ。現実の文献上で「frei」と「froh」の錯綜を目の当たりにすると感慨深いものがある。ブラームスとヨアヒムがこの学生歌を知っていた可能性さえ夢見ている。
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