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2012年1月31日 (火)

学士会の名前

専攻や思想信条の違いにより、学士会は一つの大学に複数存在した。だからそれらを区別するニーズもあってか、各々の学士会に名前が付けられているた。手許の書物に見えるだけでも以下の通り多彩だ。

  • イェーナ 「パウルスイェーナ」
  • イェーナ 「ゲルマーニアイェーナ」
  • ウィーン 「ヴィーナクライス」
  • ヴュルツブルク 「メナーニア」
  • キール 「アルベルティーナキール」
  • グライフスヴァルト 「チンブリアン」体育クラブ 
  • ゲッティンゲン 「アルテゲッティンガー」
  • ザールブリュッケン 「ゲルマーニアザールブリュッケン」
  • シュヴァルツブルク 「ヘルチニア」
  • シュットゥットガルト 「アルミニア」
  • シュトゥットガルト 「シュトーヴィアシュトゥットガルト」
  • ダンチヒ 「ゴーティア」
  • テュービンゲン 「ゲルマーニアテュービンゲン」
  • ハイデルベルグ 「アルテハイデルベルガー」
  • ハイデルベルグ 「アルマーニアハイデルベルク」
  • ハイデルベルク 「チンブリアン」文献学
  • ハイデルベルク 「ヴィンゴルフ」
  • ハイデルベルグ 「トイトーニア」
  • ハイデルベルク 「ハッソ-レナーキン」体育クラブ
  • ハイデルベルク 「フランコニア」
  • ハレ 「ザリアツーハレ」
  • ハンブルク 「スエヴォボルシアハンブルク」
  • フライブルク 「アレマーニアフライブルク」
  • フランクフルト 「ゲルマーネン」
  • ブレスラウ 「ボルシアブレスラウ」
  • ブラウラウ 「ラセクブレスラウ」
  • ベルリン 「アカデミッシェ・ルーダー」
  • ベルリン 「レナーニアベルリン」
  • ボン 「アルテボナー」
  • ボン 「トゥリーラツーボン」
  • ボン 「アルテゲルマーニアボン」
  • ボン 「フランコーニアボン」
  • マールブルク 「トイトーニアマールブルク」
  • ミュンヘン 「バターリア」
  • ミュンヘン 「ダヌンビア」
  • ライプチヒ 「サクソニアライプチヒ」
  • ライプチヒ 「アリオンライプチヒ」
  • ライプチヒ 「チューリンギアライプチヒ」
  • ライプチヒ 「ゲストファーリアライプチヒ」

若干の補足。ミュンヘンに見えるダヌンビアは「ドナウ川」のこと。ベルリンの「レナーニア」はライン川のことだ。ボルシアは「プロシア」を指す言い回し。「アレマーニア」は「ドイツ」を現すラテン語から。フランコーニアは「フランク人」や「フランク王国」のこと。

2012年1月30日 (月)

カルミラブラーナ

「Carmira Brana」と綴るラテン語。「Carmira」は「歌」の複数形。「Brana」は元々「館・住居」を意味する。「歌の館」でつまり「歌集」というところか。1803年にボイエルン修道院で発見された歌集のことを指す。修道院に集う僧侶や学生たちの声だ。教訓、風刺、恋愛、酒、放浪などが歌い込まれている。13世紀末の成立と目される。

実はこれが学生歌の淵源と解されている。学生歌の源流を求めて文献を遡って行くと、どうやらカルミナブラーナにたどり着く。いくつかの歌が少々形を変えて19世紀の学生歌集にも載っている。

そんなことよりもっと凄いことがある。

「Carmina」が「歌」の複数形であると書いた。しからばその単数形はと調べてみた。単数形は「Carmen」であった。現代知らぬもののないオペラのタイトルロールに一致する。何だか凄く納得できる。

2012年1月29日 (日)

便溺

聞きなれない言葉だ。意味もよくわからない。「べんでき」と読むのだと思う。1871年から1873年にかけて、欧米を視察した岩倉視察団の報告書に相当する「米欧回覧実記」の中に出現する。帰国から5年後に刊行された5編100巻の大著。明治の日本らしく漢文調の難解な単語ばかりだ。

ドイツ帝国の首都ベルリンの記述の中に、「学校ノ勢力ハ甚盛ナリ」(学校の勢力ははなはださかんなり)と始まる一節がある。当地ベルリンの学生の様子がやや批判的なニュアンスで語られる。以下「遊園ニ劇飲シ、酔ヲ帯ビテ高吟朗謡、或イハ路傍ニ便溺ス」とある。「公園でバカ飲みし、泥酔して大声で歌ったり」まではすぐ判るが「便溺」が難解だ。「道端で汚物を撒き散らし、眠り込んだり」くらいの意味だろうか。

さらに別の場所には、ベルリンはパリやロンドンに比べれば質朴だが、最近の繁栄とともに浅薄な風俗もはびこってきた他、気風が粗野になってきたとある。気風が粗野になった原因は、兵隊と学生だと断言する。兵隊はここ数年打ち続いた戦争が理由で増長したと分析する一方、学生はフランスからの自由の言説に影響されてか、警察力も及ばないと結ぶ。

「高吟朗謡」されたのが学生歌だった可能性は高いと見る。

2012年1月28日 (土)

シューマンの学生歌

シューマンの男声合唱曲「Schwarz-Rot-Gold」のこと。1848年4月ドレスデンで成立した。フライリヒラートのテキストに付曲したものだ。「黒赤金」とでも訳すのだろうか。確認で出来ていないのだが、この「黒赤金」は、ドイツ国旗の色遣いと一致している。

旧東ドイツでは、学士会の古い行動様式が長く保存されてきた。1987年「自由ドイツ青年団学生歌集」に、シューマンの「Schwarz-Rot-Gold」が収録されている。祖国への忠誠とドイツの自由と統一を掲げる学士会活動の趣旨に添った作品である。作品成立時期が三月革命勃発後の学士会活動の興隆期にあたっていることにも注目したい。旧東ドイツでは三月革命を高く評価していたらしく、学生歌集への収録と関係があるかもしれない。

一方先に紹介した「シャウエンブルク酒宴歌集」には「So sei gegrusst vieltausendmal」(何千回も挨拶を)が載っている。ファーラースレーベンのテキストにシューマンが曲をつけたものだ。

どちらも手許のシューマン作品の目録には載っていない。作品番号は付与されていないのだと思う。

2012年1月27日 (金)

オスミンとペドリロ

モーツアルトが1782年に完成させたドイツ語のオペラ「後宮からの誘拐」の話だ。クリストフ・フリードリヒ・ブレッツナーの脚本である。オスミンとペドリロはその登場人物の名前だ。

囚われのお姫様を敵陣から救い出す話である。スターウォーズや西部劇にでもなりそうなお話だ。敵陣の警戒が薄いハズがないから、一計を案じる。酒に酔わせて眠らせようという魂胆である。飲ませる側がペドリロで、飲む側がオスミンという具合である。ペドリロがテノール、オスミンをバスに据えた二重唱が現れる。第2幕8場だ。この二重唱のタイトルが「バッカス万歳」である。バッカスとは酒の神だ。

そのつもりで調べてみると凄いことが判った。この二重唱「バッカス万歳」のテキストに現れる2人のやりとりそのものが、「バッカスコモン」という学士会の酒宴作法に準じている。正確には「一般ドイツ酒宴作法」の第3条73項らしい。当時の聴衆はこの部分を聴けば、酒宴作法が下敷きになっていることをすぐに察したものと思われる。

オスミンとペドリロは学士会の出身者に違いない。数少ないモーツアルト関連の学士会ネタを本日発信する意義はすでに明らか。

2012年1月26日 (木)

最後のお弁当

昨日の朝、長女はいつもの時間に登校するために家を出た。出掛けギリギリになって不意におばあちゃんに話しかけた。

「3年間お弁当ありがとう」

祖母は何気なく「行ってらっしゃい」といつも通りの対応をしたが、実は嬉しかったらしい。長男は給食のある高校だったから、長女の高校入学で、幼稚園以来のお弁当が復活した時、この先次女を含めて5年間もお弁当を作るのかと気が重くなったという。昨年からは次女の分と合わせて毎朝2食作っていたのだが、そのうち長女の分は昨日で最後だった。3年生だからこの先登校することはあっても弁当の持参はない。この先祖母の弁当を食べることはもうないのだという感慨があって、朝のドタバタの中でのお礼につながったのだと思う。

次女のお弁当があと2年あるけれど、学生歌特集を中断してでも遺しておきたい出来事。

2012年1月25日 (水)

FAF異聞

「ああ懐かしき青春の輝き」という学生歌がある。原題は「O alte Burschenherlichkeit」という。一番の歌詞の中程に以下のような一節がある。

so frei und ungebunden

「かくも自由で束縛無く」という程度の意味だ。この作品は学生歌のとしての知名度の点では「ガウデアムス」に匹敵する存在だから、複数の学生歌集に収載されているのだが、この部分の歌詞が、本によって違っている。

so froh und ungebunden

「かくも楽しく束縛無く」という具合だ。どちらが本来の姿なのか判らないらしい。日本の古典文学の場合、原本がすでに失われていて複数の写本でのみ伝えられていることがある。そうしたケースでは、写本間で細かな言い回しが微妙にズレているなどということが少なくない。本日の話題もその範疇だと感じる。私がわざわざブログで取り上げるのは、他でもないこの手の異同が「frei」(自由)と「froh」(楽しく)の間で起きていることだ。

ブラームス愛好家たるものこれをサラリと見過ごすのは野暮というものだ。ブラームスのモットーと伝えられる「FAF」は「Frei aber Froh」の頭文字を採った代物だ。ヨアヒムのモットー「Frei aber Einsam」を聞かされたブラームスがとっさにもじって見せたというのが私の見解だ。現実の文献上で「frei」と「froh」の錯綜を目の当たりにすると感慨深いものがある。ブラームスとヨアヒムがこの学生歌を知っていた可能性さえ夢見ている。

2012年1月24日 (火)

Das Fuchslied

直訳すれば「狐の歌」だ。大学祝典序曲に出現する学生歌の一つ。解説書によってはこれが「新入生の歌」とされている。「Fuchs」とは本来「狐」なのだが、学士会特有の言い回しとして用いられる場合には「新入生」ということになる。学士会に入会するには手順があり、最初から正会員「Bursch」にはなれない。その前段階の準会員のことを「Fuchs」と言ったのだ。

日本では受験ソングとして名高いあの軽快な旋律が「Das Fuchslied」である。準会員として2学期を経過すると正会員になる資格が生まれる。その間に大学の歴史や会員の規則を勉強するということだ。「Das Fuchslied」は、最後のコーラスで「これでオマエもBurschだ」と歌われる。ブラームス自身は大学に在籍したことはないが、こうした学士会の決まりにはある程度精通していたと思われる。

2012年1月23日 (月)

軍楽隊の編成

実はドイツでは我々が日常親しんでいるクラシック音楽業界と平行して、ミリタリーマーチの世界が音楽界に並存している。一部クラシック系音楽との交流も起きているようだ。強国プロイセンの軍隊には行進曲の伝統があったのだ。

さて、我がブログの主人公ブラームスは軍隊系のマーチを遺してはいないが、それらの知識には事欠かなかったというささやかな証拠がある。親友にして大出版社の経営者ジムロックの証言だ。

大学祝典序曲の出版をめぐるブラームスとのやりとりの中で、ジムロックはブラームスに大学祝典序曲を軍楽隊の編成で出版するように薦めたという。もちろん結論から申せばこの話は却下になっているのだが、興味深い。

周知の通り大学祝典序曲はブラームスの管弦楽作品の中では、使用楽器の幅がもっとも広い。特に管楽器と打楽器の見本市だ。ジムロックはこの作品がブラームスの通常の管弦楽に無い特徴をもった編成だと瞬時に見破って、軍楽隊の編成を提案したと思われる。現行の大学祝典序曲の編成から弦楽器を省けという意味だ。

別人の編曲で恐縮だが1889年になって軍楽隊用の編曲版が出版されている。ブラームスの管弦楽曲で軍楽隊版が存在するのは大学祝典序曲だけである。

2012年1月22日 (日)

ラインの守り

先に紹介した「シャウエンブルク酒宴歌集」に収録されている。原題を「Die Wacht am Rhein」という。

アルザス・ロレーヌ地方は独仏の力関係によってたびたび領有権が移動する地域だった。ライン川を挟んだ国境紛争の舞台だったという訳だ。ここに限らずライン川は自然国境とみなされてきた。これをドイツ側から愛国的に描写したのが「ラインの守り」である。1840年にシェンケンブルガーという人が作詞し、1854年にウィルヘルムという人が曲を付けたという。1914年第一次世界大戦まで爆発的に歌われたという。「愛国」を基調とする学士会活動にピタリとマッチしたと考えられる。

この旋律は実は同志社大学のカレッジソングにもなっている。創立者・新島襄先生にはドイツ留学の経験がある。1884年のことだ。「ラインの守り」が爆発的に歌われていた時期だ。カレッジソングへの採用は新島襄先生が没した後だが、何らかの関与があると感じる。

日本の学生が日頃何気なく歌っている愛唱歌が、実はドイツの学生歌と同じ旋律だったなどという例が、もっとありはしないかと思っている。

2012年1月21日 (土)

独逸日記

明治以降、日本人学生が先端の知識を求めてドイツに留学するようになる。北里柴三郎、森鴎外、滝廉太郎などがすぐに思い浮かぶ。本日の疑問は、彼等留学生はドイツの学士会に入会出来たのだろうかということだ。

入会は出来ないまでも学士会の存在を知ったことは容易に想像できる。そして帰国後その体験が日本での活動に影響されはしなかったかと考えている。日本の学生組織がドイツの学士会の仕組みから影響を受けていないのだろうか。学生時代に所属したオーケストラには、大きなコンパが年に数回有り、ゆるやかながら作法や流れも存在した。明治の留学生たちが学問の吸収を本業としたことは当然だが、酒宴の作法も吸収しなかったとは考えにくい。

森鴎外は1884年から1888年までドイツ留学の経験がある。ベルリン滞在中1886年5月22日の日記に、学士会会員の決闘についての言及があるという。学士会の存在とその活動について何らかの情報を持っていたことは確実だ。

2012年1月20日 (金)

呉越同舟

仲の悪い物同士がそれぞれの思惑の中でひとまず行動を共にすることくらいの意味か。出典は確か孫子だったと思う。

学生歌の集大成「シャウエンブルク酒宴歌集」の編集者が、ルートヴィッヒ・エルクフリードリヒ・ジルヒャーだと書いた。当時の第一人者を起用したとされている。歌集の発案者シャウエンブルク兄弟の見識の賜物だと感じた。

ところが、ジルヒャーとエルクは折り合いがよろしくなかったらしい。ジルヒャーは「ローレライ」をはじめ現代に至るも歌い継がれているいくつかの歌を創作している。彼自身の刊行した歌集には、創作と伝承歌が混在しているという点をエルクが批判している。エルクはジルヒャーの手による改変を復元した歌を、いくつか自著に取り入れたことから、2人の間に論争が起きたという。

要するに民謡に対する立場が違うのだ。ブラームスはどちらかと言えばジルヒャー寄りに違いない。

「シャウエンブルク学生歌集」はそんな2人を編集主幹に据えていたということだ。

2012年1月19日 (木)

宴会の作法

サラリーマンを長くやっていると自然に身についてくる。職場のオフィシャル宴会ともなると不文律みたいなものがヤマほどある。会場となる店選び、席順、料理、会費、乾杯、発声者の人選、中締めなどそれぞれに決まりがある。

どうやら欧州でも同じらしい。ロシアやプロイセンの宮廷でそれらしきたりに抜かりなく従うには、アルコールに滅法強いことが必須になる。古くはフン族アッティラの宴会も同様で、客も主人も相当な酒量を強いられる。「返杯をしない」「大酒を飲まない」「呼びかけに応えない」は、どれも重大な作法違反とされている。

学生歌を育んだドイツ学生たちの酒宴作法には、それらの決まりが色濃く反映しているように見える。4~5時間は続く宴会には、細かな流れが定められていて、学生歌の歌唱と一気飲みが要所要所で組み込まれているようなものだ。

2012年1月18日 (水)

シャウエンブルク酒宴歌集

19世紀学生歌の集大成であり金字塔。ヘルマンとモーリッツというシャウエンブルク兄弟により1858年に刊行された。兄ヘルマンは医者で学士会の会員。弟モーリッツは出版人だ。

刊行の年のうちに4版を重ねるほどの売れ行きとなった。第一次世界大戦の始まった1914年には早くも100版に達した。酒宴歌集には膨大なニーズがあったということだ。確認出来た最も新しい版は1978年の160版である。つまり100年越しのベストセラーということになる。

カルミナブラーナにまで遡るという学生歌の淵源を発して、たどり着いた一つの到達点がこの「シャウエンブルク酒宴歌集」だと申してよい。シャウエンブルク兄弟の功績の一つは、信頼できる編集人を2人起用したことだ。一人はジルヒャーだ。彼は超有名な「ローレライ」の作曲者、つまり音楽家である。今一人はルートヴィッヒ・エルクである。19世紀最高の民謡学の泰斗だ。文献と音楽の両面に巨匠を配置したということだ。学生歌集の編集に民謡学の第一人者が起用されたことそれ自体が、民謡と学生歌の密接な関係を物語っている。

2012年1月17日 (火)

ビスマルクの罪状

ゲッティンゲン大学在学中、ビスマルクは頻繁に決闘に及んでいた。もちろん当時だって決闘は非合法だったのだが、血の気の多い学生たちは、しょっちゅう決闘していたから、学内でよほどのことが無い限りは黙認だった。ゲッティンゲン大学在学中ビスマルクの決闘の回数を調べて驚いた。たった1年半の間に25回も決闘に及んでいる。毎月1回以上のペースだ。まさに学内敵だらけ。中には28回とする書物もあるから恐れ入る。ビスマルクが所属したのは左翼系のブルシェンシャフトはではなくて右翼系の同郷学士会だったらしい。騎士の伝統を重んじた過激な保守派だったと目されており、決闘が奨励されていたという。

あるときビスマルクは怒りに任せて拳銃を用いた決闘を企てたところ、これが密告によって大学当局の知るところとなって、学生牢送りとなった。収監期間の満了を待たずにベルリン大学に転籍が決まったために、転校先のベルリン大学で残りの期間収監されることとなった。学生牢への収監が別大学に引き継がれるのかと、妙なところで感心した。

これに懲りたかどうかは不明ながら、ベルリン大学転校後は、決闘を企てていないらしい。

2012年1月16日 (月)

Katzenmusik

学生牢への収監は、どのような罪状なのか調べていて面白い記述に出会った。

試験の採点が辛い教授の屋敷前で、夜更けに飲めや歌えの騒ぎを起こす輩がいたらしい。時ならぬセレナーデだ。この騒ぎ及び音楽のことを「Katzenmusik」と呼んだらしい。繁殖期のネコたちの求愛の発声に由来するネーミングとされている。

仕掛けられた教授側も黙っていなかったと見えて、屋敷の庭に大型犬を放し飼いにして徒党を捕まえようと試みた。これで万が一捕まると3日間の学生牢送りだったという。

後の鉄血宰相ビスマルクの罪状が「Katzenmusik」だったかどうかまでは確認出来なかった。

2012年1月15日 (日)

学生牢

「Karzer」の訳語。ドイツの大学には、風紀を乱した学生を収監する学生牢があった。有力な大学は、重大犯罪以外は警察権力の介入を拒み、学内裁判権を持っていた。学長により任命された学内判事の評決により、1日から最高30日まで範囲で収監された。後に最長日数が2週間以内とされたが、その間に与えられるのは水とパンだけだったらしい。学内裁判権が撤廃されたのは1879年だから、ブラームスの青春時代にはまだ効力があった。

収監と言ってもそこは大学で、昼間は講義への出席が義務付けられていた。やがて学生牢への収監経験それ自体が名誉とされるまでになる。学生牢の内部はいつしか、収監された学生たちの落書きで覆われるようになった。

戦禍を免れたいくつかの大学では、今でもこれが現存されているばかりか、ハイデルベルクのように観光地化しているケースもある。

1853年夏、ブラームスがヨアヒムともに過ごしたことで知られるゲッティンゲン大学の学生牢は現存している。ブラームスたちが聴講にやって来る20年前、後のドイツ帝国宰相オットー・フォン・ビスマルクは、たった1年間だがここゲッティンゲン大学に所属していた。そして11日間学生牢に収監されていたという。何とそこにはビスマルク本人の落書きが残っているらしい。ブラームスがヨアヒムらとともに、この学生牢を見たという可能性はゼロではない。当時はまだ、現実に収監される学生もいたに違いないから、簡単に見学出来たとは思えないが、その存在くらいは聞いていたと思う。

ビスマルクがプロイセン王国の首相に就任するのは1862年だ。ブラームスがゲッティンゲンで過ごした頃、ビスマルクはプロイセン下院議員に初当選から4年後だから、まだ極端な有名人とはいえなかった。後にブラームスはビスマルクに心酔することになるが、この段階では、その落書きを見て心を踊らせたとは思えない。

しかしながら、はるか26年後の「大学祝典序曲」の基礎は、このゲッティンゲンで培われたと考えていい。

2012年1月14日 (土)

Bundeslied

「Bundes」は名詞を後方に従えて「連邦の~」という意味を生じる機能がある。ドイツサッカーリーグは「ブンデスリーガ」と呼ばれている。「ブンデスバンク」は「ドイツ中央銀行」だし「ブンデスバーン」は「ドイツ国有鉄道」だ。

だから本日のお題「ブンデスリート」ともなれば「国歌」の意味かとも思われるがそうではない。「学士会歌」を指す。ドイツの大学には校歌学歌に相当するものが存在しないらしい。その代わりに各学士会が独自の学士会歌を持っている。

学士会歌も日本で言う校歌とは少々違う。日本ではオリジナルに作詞作曲されるのが常だが、ドイツの学士会歌は、既存の民謡または学生歌に独自の歌詞をあてがうことで成り立つ。歌詞はオリジナルというえば言えるが、どちらかというと替え歌に近いらしい。

ブログ「ブラームスの辞書」が学生歌特集を始めて間もなく、「民謡」と「学生歌」の境界が不明確と指摘したが、その秘密がこれで解ける。既存の民謡または民謡調歌曲に、独自のテキストをあてて、これを学士会歌としてしまうのだから、それらが学生歌集に掲載されるのはしごく当然である。だから「ブラームスの子守唄」が「学生歌集」に載っているということも不思議ではない。あの旋律に独自の歌詞をあてて大学生が唱和しているのだ。

そして今後の課題をひとつ。

ブラームスが大学祝典序曲を献じたブレスラウ大学の学士会歌を調べたい。ブラームスが引用した学生歌が、ブレスラウ大学学士会のいずれかのブンデスリートになっていたなどという、シャープなオチを想像している。さらに昨日話題にした口笛紋章との関連も興味ある課題となる。

2012年1月13日 (金)

口笛紋章

音楽紋章とも。各学士会に固有の旋律のことだ。特定の学生歌の一部が「口笛紋章」とされ、メンバー同士が会う際にどちらからともなく挨拶代わりに吹き鳴らしたらしい。大抵は冒頭から4小節程度が対象とされた。

さてブレスラウ大学からの学位授与の返礼に作曲された「大学祝典序曲」に引用された学生歌は、ブレスラウ大学の学士会のどこかが口笛紋章に採用していたなどということがありはしないかと考えている。

単に有名な学生歌を繋げたにとどまらない根拠があったのではと想像する。

2012年1月12日 (木)

大学進学率

適齢期の青少年がどれだけ大学に進学するかという数値。現代日本では50%少々だ。韓国は80%超えとも聞く。ドイツは日本と似たり寄ったりでやや少ない程度らしい。

学生歌特集の主役は大学生たち。ブラームスが生きた時代の大学進学率を調べた。およそ5%弱だった。現代の10分の1だと思っていい。女性の進学者はゼロに近いなかでの数字だ。

私自身がブログの「学生歌特集」でどれだけ舞い上がろうとも、けして忘れてはいけない数値だ。ドイツの有名人に学士会出身者がどれほど混じっていようとも、進学率4%の中での話である。それでも欧州の大学には長い歴史がある。社会の中核を担う層に無視できぬ大学経験者がいることもまた事実。

そうした風土の中で大学祝典序曲が放たれたということを今一度見つめ直すための特集である。

2012年1月11日 (水)

クナイペ

ドイツ風居酒屋のこと。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻87ページで、クナイペでの愉快な出来事が、ヘンシェルによって証言されている。

一方学士会用語にもクナイペがある。おそらくどちらも「Kneipe」と綴るのだと思う。学士会用語としてのクナイペは、コメアスと対になる言葉だ。女性の参加が認められ、市庁舎や大学のホールで開催されるコメアスに対して、クナイペは女性の列席が認められず、参加人数も比較的少ない。元々はやはり居酒屋の意味なのだろう。小規模の酒宴が居酒屋で行われることから、酒宴自体をクナイペと呼ぶようになったものと思われる。

女性の参加が認められないにも関わらず、女性名詞になっている。

2012年1月10日 (火)

セントポール組曲

昨日は、まだ20歳には到達していないが長男は、市主催の成人の式典に出かけたハレの日だったというのに、またまた次女の音楽ネタ。一昨日のジョイントコンサートから休む間もなく、昨日はアンサンブルコンペティッションに挑戦した。

もちろん聴きに行った。

県内の小中高生が十重奏でまでのアンサンブルに挑戦するコンクール。次女の学校からはオーケストラのメンバー有志が2組エントリーした。一昨日のような序列の付かないお祭りも楽しいが、結果が示されるというガチガチの緊張感もまた素晴らしい。

例によってまたまた少し早くついて中学生の演奏を10校分聴いた。芥川也寸志作曲の「弦楽のための三章」の第一楽章を弾いた中学の演奏が、素晴らしかった。高校生に混じっても遜色の無い出来。中学生とは思えぬと思ったら、中学オケの全国チャンピョンだった。もう1校バッハのダブルコンチェルトの第一楽章もよかった。構造がクリアで、ソロとトゥッティのバランスも上々。バッハも喜ぶに違いない

この2校の演奏の後、どうなることかと思ったら、高校生の部になるとやはりさすがに音色からして違っていた。

何と言っても驚くべきは、いつもコンクールで次女たちの前に立ちはだかるストラヴィン高校の2年生のアンサンブル。何とショスタコの弦楽四重奏第3番の弦楽合奏版。独奏者さながらの8人による、絶景の演奏だった。スコアが透けて見えるような精密な演奏。毎度のことながら驚かされる。合奏コンクールでのオーケストラの連戦連勝は、このアンサンブルの延長線上にあると思い知った。脱帽。

怪物級の演奏のあと、次女達1年生9人が弦楽合奏で取り上げたのがホルストのセントポール組曲から第3楽章の「Intermezzo」だ。およそ4分の小曲。極端に難しいというわけではないが、各パートにソロもあって、指揮者無しで合わせのには少々根気が要る。最後の6小節に弦のトップ奏者のソロがある。聴き合いながら妙なる響きを誠実に積み重ねて行く。pで始まってpで終わるという渋い曲を丹念に耕した演奏とでもいうべきか。参加が決まってからおよそ2ヶ月間、通常のオケの活動とは別に頼りがいのあるコンミスの許、響きを作れていたのはとてもよかった。おそらくこのメンバーが来年度のオケの基本となる響きを作るハズだ。あと1年やったらもっとうまくなる。

さて私として最優秀をあげたいのが。次女たちの2つ前に演奏した同じ高校の2年生によるシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」の第4楽章弦楽合奏版。いやはや極楽。「何が起こったかと思わせるようなピアニシモ」でいきなり聴衆のハートをわしづかみ。暗譜の緊張感をもって、あっというまに5分を走りぬけた。先のショスタコのカルテットとは、目指す方向が違う名演奏だった。とても8人で弾いているとは思えない縦線ピッタリ、メリハリきっちりの極上のシューベルト。単に指が回るでしょではない薄皮1枚の出し入れを感じさせる演奏。それでいて曲全体の大きな流れさえ感じさせる代物。いくら誉めても誉め足りない。きっとシューベルトも喜ぶハズだ。

1年後あんな演奏をしたいと次女がポツリともらした。

郷土チームの高校サッカー優勝も、長男の成人式も色褪せる喜び。

2012年1月 9日 (月)

ジョイントコンサート

県内の高校オケが集まる合同演奏会があった。次女のオケももちろん出演。1部と2部の構成になっている。第1部は、7つの参加校それぞれのオケ毎の演奏。次女たちはファリャ作曲バレエ音楽「三角帽子」から「粉屋の踊り」と「終幕の踊り」を演奏。コンクールやオケフェスで弾いたショスタコとは違う作品を持ってくるあたり心憎い配慮。

第2部は、各校のメンバーをばらばらに編成しなおした混成オケ4つA,B,C,Dの演奏だ。一人で複数のオケに出演することもある。指揮者は各校の先生が分担する。次女はAオケとBオケに出演。

これが、実はサプライズ。混成オケAで次女が第二ヴァイオリンのトップを弾いた。頬をつねろうが、耳を引っ張ろうが痛い。堂々たるもんだった。曲中セカンドの目立つ箇所なんぞ無かったのだが、弦楽器の最前列で弾く娘の姿に涙腺が決壊寸前だった。日ごろの次女の言動を考えるとにわかには信じがたい。彼女のことだ、何番目のプルトで弾こうとも意欲的に練習に取り組むことは判っているのだが、アンサンブルへの参画意識という点でトップはまた別次元の経験になる。

私自身が大学オケ最前列で弾いたのは、初心者でヴィオラを始めて3年目にさしかかった頃のブラ1だった。トップで弾いたのはその半年後。私の場合はテクはさておき根が祭り好きで目立ちたがりだった上に同期のメンバー構成上からも何となくトップになる雰囲気があった。次女は目立ちたがりではないし、口数も少ない。メンバーを引っ張る積極性があるようには見えない。

認識と現実の落差に戸惑うばかりで、肝心な曲の出来を覚えていない。

2012年1月 8日 (日)

乾杯の歌

断りなく「乾杯の歌」と言ったら、ヴェルディの「椿姫」の中のあの歌か、「盃を持て」で始まるドイツ民謡を思い出すのが自然だと思う。

乾杯とはこれから飲むぞの合図だから元気のいい歌と相場が決まっている。私の所属した大学のオケにも「乾杯の歌ノ長調」が伝わっている。誰かの著作権を侵害してしまったら申し訳ないが、以下に歌詞を示す。

 飲め飲め、飲め飲め、世界が回るほど

 飲め飲め、飲め飲め、世界が回るほど

これで終わりだ。2度目では高音部と低音部でハモル仕組みになる。元々金管楽器のメンバーの集まりで歌われていたが、いつしかオケ全体に広まったように記憶している。

コンパの席だ。全員が集まったぞ。というところで、腐れ縁のホルン吹きがグラスを手に前に出る。「はい、じゃあチューニング」と言う彼の合図で一同「の~~~」と伸ばす。つまり「乾杯の歌」冒頭の「の」を引き伸ばすのだ。これで「ノ長調」だ。

準備が出来ていよいよ歌う。最後の「ど」がフェルマータで伸ばされるが、指揮者の合図で切られて、「かんぱ~い」となる。

現在も行われているかどうかは不明だが、われわれのころは必須の儀式だった。私の結婚式の後の2次会も当然これだった。

いつの日か学生歌のCDの中でこの旋律に出会うことが夢である。

2012年1月 7日 (土)

ブレスラウという接点

一昨日話題にしたファーラースレーベンは、ブラームスより35歳年長の文学者だ。子供向けなど3000近い詩を書いている。今に伝えられているものも多い。1853年ゲッティンゲンでブラームスと知り合い、ブラームスの歌曲4曲にテキストを供給していること既に述べたとおりだ。

彼は創作の傍ら民謡や学生歌の収集にも携わった。これが早くも1819年ボン学生歌集として結実する。1810年代から1840年代にかけておびただしい量の学生歌集が刊行されている。

彼は創作の傍らブレスラウ大学で教鞭をとった。そう後年ブラームスに哲学博士の学位を授与したあのブレスラウ大学だ。その返礼にと生み出されたのが「大学祝典序曲」である。そこには著名な学生歌が盛り込まれている。「フックス」(新入生の歌)、「ランデスファーター」(国の親)「ガウデアムス」(だから愉快にやろうじゃないか)が、先のボン学生歌集に採録されている。

ブラームスはブレスラウ大学への返礼にと構想を練った時、ファーラースレーベンを筆頭とする学生歌集の存在を念頭に置いていたと解したい。

2012年1月 6日 (金)

受賞理由

19世紀も半ばを過ぎても、ドイツの大学ではラテン語が幅を利かせていた。ブラームスに哲学の名誉博士号を授与したブレスラウ大学も例外ではない。ブラームスへの学位授与の理由は下記の通りである。

「artis musicae serveris in Germania nunc princeps」

「今日のドイツにおけるもっとも厳格なる音楽芸術の長」くらいの意味。ラテン語で標記されることで半端でないありがたみも付与される。授与のわずか8年前にドイツ帝国が成立していることも、ありがたみを増強している。ローマ時代然とした「Germania」の一言が輝いている。

2012年1月 5日 (木)

ファーラースレーベン

Heinrich Hoffmann von Fallersleben(1798-1874)はドイツの詩人文学者。というよりも現ドイツ国歌の作詞者として名高い。大戦後は3番が歌われている。民謡や学生歌の収集面でも業績を残している。日本でも広く知られている「ブンブンブン」「かっこう」「霞か雲か」も彼の収集した子供向けの歌集から採られている。

この人ブラームスとも面識がある。1853年リストやレーメニと決裂したブラームスは、ヨアヒムとともにゲッティンゲン大学の講義を受けた。シュピッタと出会ったのもそこだった。このときファーラースレーベンとも面識を得ている。「愛と春その1」op3-2と「愛と春その2」op3-3、「雲が太陽に向かって」op6-5、「ナイチンゲールははばたく」「op6-6の4曲において、ファーラースレーベンのテキストを採用している。

2012年1月 4日 (水)

ベルンハルト・ショルツ

1879年3月ブレスラウ大学はブラームスに学位授与を打診する。1876年にケンブリッジ大学が試みたものの、まんまと辞退されているから周到な準備が重ねられた。何よりもまずドーヴァー海峡が横たわっていないことが、決定的な追い風となる。数本の大河を越えるだけで事足りる。さらに学位の授与式への参列を求めないという切り札でブラームスの心を動かす。ブレスラウの条件は唯一つ。この機会に祝典的な作品を作曲することだった。

この周辺の段取りに尽力したのが、本日の主役ベルンハルト・ショルツ(1835-1916)だ。当時ブレスラウ音楽協会の指揮者の地位にあった。

この時からかれこれ20年遡る1860年、新ドイツ楽派に対する有名な宣言文がブラームスを含む4名の署名とともに発表された。準備の手違いもあって、予定していた署名人が集まらなかったため、さして効果的とは言えない檄文で、反対陣営に付け入る隙を与えた代物だった。このときの署名した4名の中に、ベルンハルト・ショルツがいた。いわば「戦友」だ。

ブラームスが作品のタイトルをどうするか思案していたときに「ヴィアドリーナ」を提案したのは、実はこの人だった。

大学祝典序曲は1880年9月13日にはクララとピアノ連弾版、同年12月6日には、ベルリン高等音楽院のオケで管弦楽版という具合に試演を重ね、1881年1月4日にはブレスラウで初演にこぎつけた。演奏はショルツの手兵ともいうべきブレスラウ管弦楽協会だ。ショルツは自らの率いるオケを作曲者ブラームスに委ねて敬意を表した。

2012年1月 3日 (火)

万能下の句

父が俳句に親しんでいたことは既に述べてきた。小学校で百人一首に目覚めたころ、いろいろな替え歌を教えてくれた。短歌五七五七七のうち、最初の五七五が上の句で最後の七七が下の句と呼ばれている。父はどんな上の句にも合う「万能下の句」を教えてくれた。

「それにつけても金の欲しさよ」

上の句は何でもいいから当てはめてみる。

「古の奈良の都の八重桜それにつけても金の欲しさよ」

「古池や蛙跳びこむ水の音それにつけても金の欲しさよ」

なるほどという感じだ。同じ事が俳句にもあって、「根岸の里の侘び住まい」がそれにあたるという。

「五月雨や根岸の里の侘び住まい」「行く春や根岸の里の侘び住まい」という具合だ。

同じノリが学生歌にもある。「エルゴ・ビバムス」(Ergo Bibamus)だ。何とテキストはゲーテ作。ラテン語とドイツ語のチャンポンになっている。このタイトルはラテン語で「だから飲もう」という程度の意味。これがまさに本日のお題「万能下の句」だ。「今日は天気が悪い。だから飲もう」「今日は天気がいい。だから飲もう」という調子だ。前半でどんな議論が展開されていようとも。結論はいつでも「だから飲もう」に収まる。

学生たちはこういうノリが好きだ。だから学生歌「エルゴ・ビバムス」は、大抵の歌集やCDに採録される定番になっている。

2012年1月 2日 (月)

百人一首を暗記せよ

この冬休み次女に課された宿題のうちもっとも達成困難なもの。冬休みは12月23日から1月9日まであるのだが、オーケストラ部員は休み中にも部活がある。とりわけ次女はアンサンブルコンテストへの参加が決まっているから完全なオフは昨日までの3日間しかなく、今日は初部活のために早くも登校。体育系の強豪は、正月休み返上なのは当然だから驚くにはあたらないのかもしれないが、百人一首の暗記にとっては厄介である。

まだニ十数首しか暗記していない。オケで練習している曲なら軽々と暗譜してしまうくせに、百人一首の暗記となると途端に立ち往生というこの不思議。「そりゃあ、暗譜とは違うよ」「旋律や和音の流れを助けに覚えられるから暗譜は平気だよ」と次女。パパは何もわかっていないとでも言いた気なニュアンス。いつもなら「ハハー」と感心するのだが、今日は違う。

少し反撃「そりゃお前短歌ってモンを判っていないよ」「五七五七七の短歌にだって、旋律やリズムがあるんだよ」「単なる31文字だと思ってたら大間違い」「あんたたちの暗譜は絶対的な練習量が支えているのであって、百人一首との差は、興味と努力の差だけだよ」と。私は百首全部覚えているから少しは自慢できる。

今日だけは私にも分がある。ここ数日単なる暗記ではなくでリズムや流れを味わうためにカルタをやった。案の定覚えが早い。面白さが判ると吸収のスピードが変わってくる。

百人一首を暗譜せよ。

2012年1月 1日 (日)

学士会用語辞典

昨年12月6日から学生歌関連ネタ連ねている。記事の下調べの過程で学士会独特の語彙群の存在に気付いた。以下興味深いものを列挙する。

  • Aktiver  現役学士会員のこと。
  • Alter Herr  学士会の古参会員。寄付がバカにならないらしい。
  • Band  飾帯。公式行事参列の際、着用が義務づけられる装飾品。準会員は2色、正会員は3色で学士会毎に異なる。ブラームスが着用の仕方を間違えたこともある。
  • Bemooster Bursche 万年学生。「Bemooster」は「苔むした」という意味がある。とりわけ勉学の不振により卒業を持ち越し続ける学生を指すらしい。耳が痛い向きも多かろう。留年が1度や2度ではないニュアンスだ。
  • Bestimmugsmensur  決闘。決闘規定に基づいてスポーツとして行われる決闘だが怪我をすることもあったらしい。
  • Bierbiebel   直訳としてビールの聖書。酒宴必須アイテム学生歌集のこと。
  • Bierfamilie 学士会内派閥のこと。
  • Bierkomment 酒宴作法。
  • Biermensur ビールの競い飲みのこと。そういえば大学オケにパート対抗一気飲み競争があった。
  • Biermimik 酒宴で行われる余興のこと。これも大学オケにたくさんあった。
  • Biermusik 酒宴で学生歌が歌われる際の伴奏。
  • Biername 学士会会員間で用いられる個々人の愛称。性格、信仰、容姿、専攻などが巧妙に反映される。
  • Biersohn 学士会内では後見役の先輩を選ぶことがある。「私は誰それのビアゾーン」だと言う。
  • Bierstrich 酒宴作法上の軽微な違反。1回につきビール1杯分の現金徴収が課されららしい。
  • Bierwart ビール管理係。アルコール飲料の発注管理を司る。幹事から司会進行を抜いた感じ。
  • Bierzeitung 直訳「ビール新聞」、狐の集いの議事録程度のノリ。我がオケにも「週間暴露」というゴシップ系の新聞があった。
  • Blume ビールに泡がたっている状態。乾杯の際にBlume状態になっていないことは、重大な作法違反らしい。
  • Bundeslied 学士会会歌。比較的有名な学生歌や民謡に独自の歌詞をつけた物が多い。一般に「Bundes」は「連邦の」という形容詞だから、「連邦の歌」と誤解されかねない。
  • Bursch 学士会正会員。
  • Burschenlied 学生歌。
  • Charge 学士会役員。「シェルジェ」と発音するらしい。普通は団長Senior、副団長Consenior、教育長Fuchsmajor、書記Schriftfuher、会計Kassierの5役。私は4年の時Seniorだったということだ。フランス語起源。
  • Corona ご一同の意味。ラテン語起源。
  • Couleur クラブカラーのこと。学士会の一体感と信条固持のために用いられる。フランス語起源だ。
  • Couleurcafe 学士会員が朝食をとるカフェ。朝食そっちのけでインヴェーダーゲームだった。
  • Coluleurdame 学士会員と交際中の女性のこと。私の周囲にはたくさんいた。
  • Duell 決闘。規定にのっとり行われるスポーツとしての決闘とは区別される私怨を晴らすための決闘。
  • Dutzkomment 学士会員相互が年齢、社会的身分に関係なく「Du」と呼び合うことを定めた規定。
  • Ex 一気飲み開始の合図。一気飲みが作法違反のペナルティとして課される場合、年長学生が、右手親指を下に向ける仕草で合図する。ローマ皇帝ネロの死刑執行の合図が起源とも言われているらしい。
  • Extrinken 一気飲みのこと。私のいたオケでもやっていた。やたらに早いホルン吹きがいた。
  • Fuchs 直訳なら狐だが、学士会準会員のこと。まれにFuxと綴られる。
  • Fuchsmajor しばしば「狐長」と訳される。学士会5役のうちの「新人教育係」のこと。
  • Fuchsenstall 酒宴における準会員の着座位置のこと。直訳なら「狐小屋」。
  • Fuchsenstunde 新人を対象とした作法教育の集い。
  • Fuchsritt 直訳なら「狐の騎行」だ。新入学士会員総出の出し物。我がオケにもあった。1年生は全員参加の芸が課された。その出来映えで1年生のノリを推し量った。
  • Fuchsenschwanz 直訳なら「狐のしっぽ」。新人教育係が着用する15cmほどの装飾品。本当に尻につけたらしい。
  • Inaktiver 正会員の身分を保持したまま、公式行事への参列を免除された状態。OBばかりではなく、試験や論文作成のために現役が認定されることもある。私のいたオケでもしばしば見かけた。一部の学部では常態化していた記憶がある。
  • Kanne 銀製のビールジョッキ。500cc入る。ペナルティとしての一気飲み一回分の定量だったらしい。さすがドイツだ。我がオケではコップでやっていた。
  • Karzer 学生牢。学内裁判の結果有罪と認定された学生が収監される。
  • Kassier 会計。学士会5役のひとつ。
  • Keilkommissar 学士会入会勧誘係。4月の学内で自然に湧いていた。
  • Kneipe 学士会の酒宴形態の総称。演説、講演、歓談、余興が学生歌の唱和を挟みながら進行する。目的により多彩なバリエーションがある。女性の参加が認められないという。ドイツ語の一般的な意味は居酒屋だ。
  • Komment 学士会における諸作法の明文規定。
  • Kommers 学士会主催の大規模な酒宴。我がオケにもあった。新人歓迎コンパ、夏合宿打ち上げコンパ、クリスマスコンパ、卒業生追い出しコンパなどだ。
  • Landesvataer 直訳なら「国の親」だ。学士会最重要儀式の名であり、同名の学生歌が大学祝典序曲に引用されている。
  • Pennalismus 新人いじめ総称。
  • Salamander 火中に棲む両生類という意味ならブラームスの歌曲がある一方で、学士会最重要の作法を意味する。「乾杯と三本締め」の性格を併せ持つ。これを仕切れることは相当の名誉らしい。
  • Schlager 学士会用の儀礼険のこと。
  • Senior 現役学士会の団長。もちろん学士会5役の筆頭だ。
  • Silentium 酒宴進行上静粛が要求される場面またはその指示のこと。ラテン語起源だが「サイレンス」と通ずる。
  • Trauerkneipe 同僚会員の死を悼む酒宴のこと。

あけましておめでとうございます。

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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