便溺
聞きなれない言葉だ。意味もよくわからない。「べんでき」と読むのだと思う。1871年から1873年にかけて、欧米を視察した岩倉視察団の報告書に相当する「米欧回覧実記」の中に出現する。帰国から5年後に刊行された5編100巻の大著。明治の日本らしく漢文調の難解な単語ばかりだ。
ドイツ帝国の首都ベルリンの記述の中に、「学校ノ勢力ハ甚盛ナリ」(学校の勢力ははなはださかんなり)と始まる一節がある。当地ベルリンの学生の様子がやや批判的なニュアンスで語られる。以下「遊園ニ劇飲シ、酔ヲ帯ビテ高吟朗謡、或イハ路傍ニ便溺ス」とある。「公園でバカ飲みし、泥酔して大声で歌ったり」まではすぐ判るが「便溺」が難解だ。「道端で汚物を撒き散らし、眠り込んだり」くらいの意味だろうか。
さらに別の場所には、ベルリンはパリやロンドンに比べれば質朴だが、最近の繁栄とともに浅薄な風俗もはびこってきた他、気風が粗野になってきたとある。気風が粗野になった原因は、兵隊と学生だと断言する。兵隊はここ数年打ち続いた戦争が理由で増長したと分析する一方、学生はフランスからの自由の言説に影響されてか、警察力も及ばないと結ぶ。
「高吟朗謡」されたのが学生歌だった可能性は高いと見る。
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