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2012年1月 4日 (水)

ベルンハルト・ショルツ

1879年3月ブレスラウ大学はブラームスに学位授与を打診する。1876年にケンブリッジ大学が試みたものの、まんまと辞退されているから周到な準備が重ねられた。何よりもまずドーヴァー海峡が横たわっていないことが、決定的な追い風となる。数本の大河を越えるだけで事足りる。さらに学位の授与式への参列を求めないという切り札でブラームスの心を動かす。ブレスラウの条件は唯一つ。この機会に祝典的な作品を作曲することだった。

この周辺の段取りに尽力したのが、本日の主役ベルンハルト・ショルツ(1835-1916)だ。当時ブレスラウ音楽協会の指揮者の地位にあった。

この時からかれこれ20年遡る1860年、新ドイツ楽派に対する有名な宣言文がブラームスを含む4名の署名とともに発表された。準備の手違いもあって、予定していた署名人が集まらなかったため、さして効果的とは言えない檄文で、反対陣営に付け入る隙を与えた代物だった。このときの署名した4名の中に、ベルンハルト・ショルツがいた。いわば「戦友」だ。

ブラームスが作品のタイトルをどうするか思案していたときに「ヴィアドリーナ」を提案したのは、実はこの人だった。

大学祝典序曲は1880年9月13日にはクララとピアノ連弾版、同年12月6日には、ベルリン高等音楽院のオケで管弦楽版という具合に試演を重ね、1881年1月4日にはブレスラウで初演にこぎつけた。演奏はショルツの手兵ともいうべきブレスラウ管弦楽協会だ。ショルツは自らの率いるオケを作曲者ブラームスに委ねて敬意を表した。

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