ビスマルクの罪状
ゲッティンゲン大学在学中、ビスマルクは頻繁に決闘に及んでいた。もちろん当時だって決闘は非合法だったのだが、血の気の多い学生たちは、しょっちゅう決闘していたから、学内でよほどのことが無い限りは黙認だった。ゲッティンゲン大学在学中ビスマルクの決闘の回数を調べて驚いた。たった1年半の間に25回も決闘に及んでいる。毎月1回以上のペースだ。まさに学内敵だらけ。中には28回とする書物もあるから恐れ入る。ビスマルクが所属したのは左翼系のブルシェンシャフトはではなくて右翼系の同郷学士会だったらしい。騎士の伝統を重んじた過激な保守派だったと目されており、決闘が奨励されていたという。
あるときビスマルクは怒りに任せて拳銃を用いた決闘を企てたところ、これが密告によって大学当局の知るところとなって、学生牢送りとなった。収監期間の満了を待たずにベルリン大学に転籍が決まったために、転校先のベルリン大学で残りの期間収監されることとなった。学生牢への収監が別大学に引き継がれるのかと、妙なところで感心した。
これに懲りたかどうかは不明ながら、ベルリン大学転校後は、決闘を企てていないらしい。
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