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2012年2月29日 (水)

2回目のうるう年

ブログ「ブラームスの辞書」開設から2回目のうるう年だ。前回のうるう年2008年には2月29日におフザケネタを発信した。この間1日も記事が途切れなかったことを喜ぶことは喜ぶのだが、今年は気が重い。

ブログ「ブラームスの辞書」は、ブラームス生誕200年までの継続を目標に掲げている。2033年5月7日だ。21年後である。つまりうるう年の象徴たる2月29日を5回やり過ごした後、さらに1年2ヶ月と少々でやっと到達するということだ。気が重い理由はこれに決まっている。

2012年2月28日 (火)

Dudeldei

「ドゥーデルダイ」と読む。「がらくた」の意味らしい。反語的に「愛する物」という意味が派生しているという。1870年頃の学生歌のタイトルにもなっている。「ビールと娘」が「愛する物」として扱われている。どこかで聴いた旋律だと思ったら、これがとんだお宝だった。

ブラームスの「49のドイツ民謡集」WoO33の第25曲「かわいい娘はバラの唇」と同じ旋律だ。同じ旋律が少し崩して歌われる感じである。2009年5月29日の記事「四色問題」で、取り上げたあの旋律だ。

ツッカルマリオの民謡集に起源を持つことが明らかにされているから、やはり民謡と学生歌が根っこで繋がっているという直感と矛盾しない。

2012年2月27日 (月)

ある仮説

大学祝典序曲の刊行にあたってそのタイトルをどうしたものかとブラームスがジムロックに相談を持ちかけた。そのやりとりの中で「ヴィアドリーナ」が候補に上がったことは割と知られている。オーデル川の別名だ。ブラームスに学位授与を申し出て大学祝典序曲誕生を促した大学があるブレスラウという街はこのオーデル川の畔に位置する。何故ブラームスは一時的にせよオーデル川の古名を念頭に置いたのだろう。

記事「学士会の名前」を考えていてある仮説に思い至った。ブレスラウ大学の中に「ヴィアドリーナ」という名前の学士会があったのではあるまいか。先般の記事で列挙した名前を見るとラテン語っぽい雰囲気の名前が多い。「ダヌンビア」や「レナーニア」のような河川名が転用されているケースもある。ヴィアドリーナが学士会の名前でも違和感はない。

よくよく考えてみるとこのことはブラームスが「ヴィアドリーナ」を一時念頭に置いた理由ではなくて、最終的に採用を諦めた理由かもしれない。ブレスラウ大学にも当然複数の学士会があった。そのうちの一個が「ヴィアドリーナ」という名前だったからこそ、採用を見送ったのだ。その学士会だけ特別扱いしたかのような印象を持たれかねないからだ。

毎度毎度のお叱り覚悟。

2012年2月26日 (日)

絶妙な辻褄

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻15ページ。ホイベルガーの証言は思うだに貴重である。1877年12月13日ブラームスが学生歌を歌ったことが明記されている。このタイミングはまさに絶妙と言わざるを得ない。

「大学祝典序曲」op80はブレスラウ大学からの学位授与に対する返礼だ。1876年に授与を申し出たケンブリッジ大学は、授与式へのブラームス本人の出席を理由に、まんまと辞退されてしまった。そのあたりの経緯が、おそらくブレスラウには伝わっていたと思われる。授与式への出席を求めない代わりに、祝典的な音楽作品を書くことだけが条件だった。

ブレスラウ大学からのこの申し出は1879年3月のことである。学位を受ける決意をしたブラームスが実際に「大学祝典序曲」を完成させるのは1880年である。大学への返礼とする作品に学生歌を盛り込むのは、おそらくブラームス自身のアイデアだろう。ブレスラウ大学からの申し出の1年少々前に、ブラームスが実際に学生歌を歌ったという証言は貴重だ。間違えずに歌えたということ自体もさることながら、学士会の酒宴作法にも通じていた可能性が高く、単なる旋律の借用にとどまらない思い込みを感じさせる。

2012年2月25日 (土)

正確な歌唱

記事「学士会名誉会員」の中で、ホイベルガーはブラームスが学生歌を歌うのを聴いたと書いた。そればかりか「歌唱が正確であった」と明言している。残念なのはブラームスが実際に合唱団の一員としてコンサートに出演したのか、打ち上げの宴会で歌ったのか判然としないことだ。

さて、ここでいう「正確な歌唱」というのはどういうことだろう。ホイベルガーはブラームスより17歳年下の音楽家だ。作曲家としても知られているが、最初は合唱指揮者として台頭した。そのホイベルガーが「正確な歌唱」と言うからには、そこそこの根拠があるに決まっている。

「音程やアーティキュレーションがよく、間違えずに歌えました」程度の意味ではないような気がしている。

学生歌についての記事を延々と連ねてきた経験から申せば、学士会の酒宴では、宴会の進行に合わせて次々と学生歌が唱和されるが、ブラームスはそれらをことごとく歌えたという意味だと感じる。学生歌集には楽譜無しの歌詞だけという代物も多いが、歌詞のみを参照しながら、歌詞も節も間違えずに全て歌えたという意味に違いない。

その時既に第1交響曲が世に出ていた。当代屈指の巨匠ブラームスが学生に混じって、気さくに学生歌を唱和している驚きと感謝も、盛り込まれているかもしれない。

2012年2月24日 (金)

DS

本日に限ってはダルセーニョではない。

またダブルスクリーンあるいは競走馬育成を思い浮かべた人はゲームのやりすぎであるDeutsche Sangerschaft Weimarドイツ合唱連盟ワイマールの略号だ。

1915年ワイマールで創設された連盟。歌・友情・祖国をモットーにドイツ民謡と学生歌の保護育成を標榜する学士会が集まっているらしい。昨日の記事に現れたホイベルガー率いる団体がこれに所属していれば完璧なのだが年代が合わない。

諦めきれずに探しているとSonderhauser Verband Akademische-Musikalischer Werbindungという団体を見つけた。先のDSに対してSVと通称されている。DSと違ってこちらは決闘規約を持たない非撃剣系学士会だからより穏和だと思われる。歌・友情・祖国をモットーにドイツ民謡の保護育成に努めるという性格はDSと一致する上に、母体であるKartel der Studenten Gesangevereineの成立が1867年に遡る。

ホイベルガーはこの団体に関わっていたのかもしれない。

2012年2月23日 (木)

学士会名誉会員

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻15ページから16ページにかけて興味深い記述がある。リヒャルト・ホイベルガーの証言だ。1877年暮、ホイベルガー率いる合唱団がブラームスの作品を取り上げたという一連の経緯が書かれている。

  1. 練習に顔を出したブラームスは指導を買って出たという。その練習が終わった後のこととしてホイベルガーは「我々学生は存分に満足して」と言っている。つまりこの合唱団が学生によって組織されていたことが仄めかされている。
  2. 合唱団の名前はウィーン・アカデミー合唱団である。
  3. 演奏会当日、ホイベルガーがブラームスのアパートに迎えに行くシーンが出てくる。「合唱団の名誉会員」を現す色付きのタスキのかけ方が間違っていたので直してあげたとある。これは学士会のしきたりにピタリと一致する。「Burschen Band」と呼ばれる飾帯で、幅28センチほどの3色の帯だ。学士会会員は正規の行事の際着用が義務付けられている。
  4. 演奏会当日、何とブラームスが声も張り裂けんばかりに学生歌を歌い、その歌唱が正確だったと証言されている。

ドイツの学士会はその性格によりいくつかに分類される。合唱により祖国への忠誠と相互の親睦を図る団体を「合唱系学士会」と呼んでいた。彼らが一部の市民とともに組織した合唱団が「Akademische Liedertafel」と呼ばれていた。

上記4点は、ブラームスがウィーンの学士会系合唱団の名誉会員だった可能性を強く示唆するものだ。そればかりかブラームスが学生たちとともに学生歌を唱和した証拠にもなっている。詳しい曲名が判らないのが残念だ。

2012年2月22日 (水)

ゲルマン部族の名前

「大学祝典序曲」のタイトルが、すんでのところで「Viadrina」になっていたかもしれない話は既にした。ブレスラウはオーデル河畔の街で、そのオーデル川のラテン名が「Viadrina」だった。その周辺を調べているうちに学士会のネーミングについてデータが集まった。川の名前に混じって古代ゲルマンの部族名が採用されているケースが目立つ。

  1. Allemania アレマン族。今のスイス地方。フランス人はドイツをアレマンという。
  2. Cheruscia 英雄アルミニウスの出身部族。
  3. Cimbria キンブリー人。紀元前2世紀。ローマと最初に接触したゲルマン人。
  4. Frankonia フランク人のこと。
  5. Germanius 文字通りゲルマン人。
  6. Saxonia ザクセン人。その名残りはアングロサクソンに見られる。
  7. Suevia スエビ族。バイエルンの遠い先祖という説。
  8. Teutnia チュートン人。「Deutsche」の語源である可能性は捨てきれない。

などなどだ。ドイツ学士会の基本理念の一つに愛国がある。ドイツを突き抜けて古代ゲルマンの流れを意識させるネーミングが多い。

2012年2月21日 (火)

低音弦

次女の練習を聴いていて思うのは、チューニングの音がホントにまろやかで暖かくなったことだ。特にG線とD線の音が、暖かみを増した感じがする。

そんな話を次女にしていたら、思いがけない反応があった。「そうなんだよね。私高い音苦手なんだ」とつぶやく。「高い音苦手ってハイポジションのこと?」と聞き返すと「それもあるけど、E線が苦手」とポツリ。E線ではG線やD線のような暖かな感じが出にくいと言っている。「中学でトロンボーンやってから低い音に慣れてる気がする」などと言っている。1stヴァイオリンじゃなくて良かったと付け加えた。

恐る恐る「だったらヴィオラがいいんじゃない」と切り出す。「だってあんたの苦手なE線が無くて、G線の下にもっと太い弦が1本ついてるンだよ」と畳み掛ける。「うちにヴィオラあるし」というと「そうだよねぇ」と感心したように次女。「どうして最初からヴィオラ習わせてくれなかったの?」と鋭い質問。「そりゃ4歳の子にいきなりヴィオラさせる親っていないでしょ」と苦し紛れの返事。我が家の室内楽はパパがヴィオラだからとは言えずにごまかす。

中音域から低音域がお好みとは、パパばかりかブラームスとも気が合いそうだ。学生歌特集に無理やり割って入るほどの嬉しさだ。

2012年2月20日 (月)

仮入会

昔の本を読み返していると思わぬ発見がある。日音楽譜出版社から刊行された「BBCミュージックガイドシリーズ」の15巻「ブラームス管弦楽曲」という書物がある。刊行日は1982年6月20日とある。私が就職した年だ。当時この本は私の宝物で、隅から隅まで読んだのだが、最近また読み返してシャープな発見をした。

73ページ「大学祝典序曲」の章。1853年ブラームスはヨアヒムが聴講生になっていたゲッティンゲン大学で、学士会の祝賀行事に参加し、学生集会室でヨアヒムともに新入生歓迎の「狐の騎行」(Fucheritt)に興じたと明記されている。

狐の騎行に興じたということは、学士会入会の手続きを踏んだということではないか。ブラームスはヨアヒムとともに新入生の扱いを受け、歓迎の行事に参加するのみならず、椅子に逆向きに座っておバカな騎行に興じた。当時は作曲家としてはまだまだ駆け出しであったから、名誉会員に列せられたとは考えにくいが、仮会員とみなされていた可能性は低くない。

2012年2月19日 (日)

聖なる大地の暗き深みに

「Dem dunkeln Schloss der Heilgen Erde」は、シラーのテキストにブラームスが曲をつけたアカペラ混声合唱曲だ。1880年までに作曲されたと目されているが出版は1927年である。作品番号は無く「WoO20」が与えられている。

先に買い求めた「シューマン合唱曲全集」全4枚組の4枚目のラストにひっそりと収納されている。つくづくサービス精神が旺盛だ。シューマンの全集のおまけだとしても意表を突いている。私がブラームス愛好家だから極上の「おまけ」と受け止めるが、一般のシューマン愛好家にとってはどうでもよい作品かもしれない。

同じくブリリアント社の「ブラームス重唱合唱曲集」全8枚組には、収録されていない。こんなところで埋め合わせとは、芸が細かい。我が家のブラームスコレクションの空白の一つを埋める発見だ。外装には「Brahms」の「B」の字も無い。タイトルだけは印刷されているが、読み飛ばしていた。

この棚ボタ感がたまらない。毎度毎度のGJだ。学生歌特集に割り込むにふさわしい。

2012年2月18日 (土)

何千回も挨拶を

昨日の記事「物はついで」で述べたように、「シューマン合唱曲全集」のテキストの歌い出しをチェックしていて思わぬお宝を発見。1月28日の記事「シューマンの学生歌」で取り上げたシューマン作曲の学生歌のうちの一つ「So sei grusst vieltausendmal」を発見した。CDのジャケットや説明書では「Fruhlingsgruss」とされたいたから気付かなかった。アカペラの混声四部合唱の格調高い作品だ。

「シャウエンブルク学生歌集」にも収録されている由緒正しい学生歌だ。

ロベルト・シューマンはライプチヒにおいて学士会のメンバーだった。曲の成立はおそらく1840年代後半だが、学生歌のノリは熟知していたと解される。

2012年2月17日 (金)

物はついで

あまり突き詰めるともはや「ブラームスの辞書」ではなくなってしまうから、どこかで歯止めはかけねばならないが、どうにも止まらぬ性格だ。

「シューマン合唱曲全集」に「野ばら」があったり、ブラームスの「死に神」WoO34-13と同じテキストの作品があったりと退屈しない。既に作成済みの「ミンダス」を頼りに、「シューマン合唱曲全集」の中の作品をマッチングしてみた。シューマンが自らの合唱曲の中に、ドイツ民謡のテキストをどれほど取り入れているかが判る。

  1. Es ist ein Schnitter 先の「死に神」だ。
  2. Es war ein Konig
  3. Es wollt ein Madchen fruh aufsthen
  4. Im schatten des Waldes,im Buchcen gezweig 「流浪の民」だった。
  5. Sah ein Knabe ein Roslein stehn 「野ばら」だった。

全91曲中で5曲は少ない感じだ。「流浪の民」が一部の民謡系CDで民謡扱いなのが効いている。

メンデルスゾーンやシューベルトあたりで調べると面白そうだ。

2012年2月16日 (木)

学生歌のノリ

シューマン作曲の学生歌「黒赤金」のCDを発見して驚喜したが、それを収めていた「シューマン合唱曲全集」が気に入っている。その後もいろいろな発見があって飽きさせない。サプライズの頻発だけがお気に入りの原因ではない。シューマンの合唱曲が想像以上に素晴らしいのだ。

次々に聴いている。その中で気になるのが学生歌のノリだ。

  1. Hochland Bursch 「混声合唱のためのロベルト・ブルンによる5つの歌」op55の5曲目だ。タイトルに「Bursch」(学生)が現れているだけでなく内容や曲調も「学生歌然」としている。
  2. Der Deutsche Rhein ズバリ「ドイツのライン」と言うタイトル。ニコラウス・ベッカーのテキスト。同じライン川を歌った「ラインの守り」にも似た雰囲気だ。

実際に学生歌関連の書籍やCDで上記が学生歌と扱われているケースが確認出来ていないが、私個人としては学生歌と認定したい。

2012年2月15日 (水)

記事2500本

本日のこの記事はブログ「ブラームスの辞書」の2500本目の記事である。記念の日がバレンタインデーにぶつからずに、1日ズレるところが神業とも言える。

2500本の記事を公開し終えてみると、あっけない。記事をひねり出すことにストレスは全く感じていない。苦労と感じたことも無い。むしろ楽しい。あふれ出す記事の制御が難しいという嬉しい悩みも抱えている。ネタをブラームスに絞るという制限が良い方に働いている。

2003本目から始まったアラビアンナイト計画が間もなく中間点にさしかかる。

ブラームスネタをブログの中心に据えた上に、2010年10月から始めた「アラビアンナイト計画」が脳味噌に適度な緊張をもたらしている。1000日間を企画で埋め尽くす決意は、結果として次女のオーケストラネタを無闇に膨張させないための歯止めになっている。次女が高校オケの現役でいる間が、すっぽりその1000日間に収まる。もしアラビアンナイト計画が無かったら、次女の高校オケネタを際限なく発信しているに決まっている。自分の親バカが最早自分でコントロールできない状況だから、アラビアンナイト計画はちょうどいい自主規制だ。

そのアラビアンナイト計画は、次女の高校進学決定より前にスタートした。次女のオーケストラ入部は後から発生したから、むしろ自主規制機能は後付け。展開中の企画記事に割ってはいるだけのポイントに絞って親バカぶりを露呈させている。

2033年5月7日のゴールに必要な本数は10252本。2500本ではまだ4分の1にも届かない。また本日現在の備蓄記事1558本を加えてもまだ50%に程遠い。しかしながら、この難易度こそがエネルギー源にもなっている。ゴールが近づいたらきっとさびしいと思う。

2012年2月14日 (火)

鹿狩

中世ドイツにおける狩は、いやいや19世紀においてさえしばしば貴族のたしなみだったという。彼らが狙う獲物の代表が鹿だ。ドイツ語で「Hirsch」(ヒルシュ)という。多くの場合、鹿は「Schwarzbraun」と形容されている。「黒褐色の鹿」だ。男性名詞である点にさえ目を瞑れば「つぶらな瞳」「黒褐色の毛」「か細い足」を持つ鹿は、しばしば若い女性を象徴することとなる。一方貪欲にどこまでも鹿を追い詰める狩人は、つまり男性を象徴するのだ。

ブラームスの「少女はばら色の唇」WoO33-25は、恋人を象徴する5つの色がまばゆい民謡だが、そこで「Scwarzbraues Magdelein」は、黒褐色の(髪を持つ)女と表現されていて、鹿を形容する言い回しと一致する。

一方「おいらは鹿を討つ」(Ich schiess den Hirsch)というドイツ民謡では勇壮な1,2番の歌詞が3番では、瞬時に恋の胸のうちを明かす歌詞に転ずる。

「Schwarzbraun」と形容されるものがもう一つある。「Bier」だ。まさに「Das schwarzebraunen Bier」というタイトルの学生歌がある。「Schwarzbraun」という切り口で「鹿」「女」「ビール」という具合に容易に連想が発展する。そのせいでもなかろうが、狩をテーマとする民謡の多くが、学生歌に転用されている。私にも覚えがある。学業そっちのけで音楽に打ち込んでいたというのは表向きで、実は女性との語らいやコンパが楽しみでもあった。現代日本ではキャンパスの鹿狩どころか、狩人が草食化してしまっているらしい。

しかし本日に限って黒褐色といえばチョコレートがふさわしい。

2012年2月13日 (月)

びっくりの続き

もはやブリリアントには驚かされるまいと心に決めているが、相変わらず小出しにされている。先般買い求めた「シューマン合唱曲全集」4枚組の3枚目に軽いサプライズだ。

「Romanzen und Baladen fur Chor Heft Ⅱ」op75の1曲目に「Schnitter Tod」があった。これは昨日の記事「死神」で言及した作品だ。ブラームスのWoO34-13が学生歌に採用されていると驚いた。その同じテキストにシューマンが曲を付けていたということだ。

同テキスト異曲にはもはや驚いてもいられない。

2012年2月12日 (日)

死神

「無伴奏混声合唱のための14のドイツ民謡」WoO34の13番目「Schnitter Tod」がある。直訳すると「死の草刈り人」くらいの意味だ。切れ味のいい刃で美しい花を狩りまくるといって、注意を促すようなテキストだ。いささか暗い旋律だが、妙な説得力がある。

彼の獲物の花々が次々と列挙されて植物図鑑のような趣がある。スイセン、ヒヤシンス、トルコ百合、チューリップ、風鈴草、矢車草など。

実はこの歌もまた、そっくりそのまま学生歌に採用されている。美しい花はこれまた美しい女性の象徴となっている。学士会の酒宴のうち、公的儀礼の性格が強いものは、女性の参加が認められていない。逆にそういう場でこそ、女性は名花と位置付けられているのだ。

2012年2月11日 (土)

黒赤金

1月28日の記事「シューマンの学生歌」で合唱曲「Schwarz-Rot-Gold」が学生歌扱いになっていると書いた。CDがありはせぬかと探していてとうとう発見した。

またしてもまたしてもブリリアント社だ。シューマンの合唱曲全集4枚組である。店頭で収録曲名を見てもそれらしき名前はない。封を開けて解説書を読むわけにも行かない。この4枚組CDに1200円という価格がついていた。これを機会にシューマンの合唱曲を聴くのも悪くないということで買い求めた。

家に帰って驚いたのなんの。

「Drei Manchenchore aus den Revolutionjahr 1948」の中の3曲目に「Schwarz-Rot-Gold」があった。「革命の年1848の3つの男声合唱」とでもいうのだろう。店頭では「Schwarz-Rot-Gold」という文言を探していたから気付かなかったのだ。確かに作品番号はついていない。

2012年2月10日 (金)

Dutzen

昨日の記事「親称と敬称」でドイツ語の「Du」と「Sie」にまつわる学士会の慣習について述べた。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻197ページに「ドゥーツェン」についてのホイベルガーとの会話が記録されている。ドイツ語のスベルが書いていないが「Dutzen」でよいと思われる。注には「お互いにDuで呼び合うこと」と書いてあるから間違いない。

それによれば、ブラームスはこうした呼び合いに批判的だったとされている。酒宴で「ドウーツェン」のノリになることがあるけれど、翌朝には忘れていると言っている。また友人で音楽学者のノッテボームのこととして「あちこちで兄弟づきあいしている割に、お前呼ばわりされると不機嫌になる」と言っている。ここでいう「兄弟」がどういうドイツ語の反映かは知る由もないが、学士会用語「Dutzenbruder」かもしれない。「Du」と呼び合う間柄を指す言葉だ。日本の一般読者向けの訳出としてはこのあたりが限度だろう。

この周辺の記事、以前は読み飛ばしていたが、学士会の知識を下地にして読むと理解が深まる。

1896年12月のことだから、ブラームスはもう63歳だ。

2012年2月 9日 (木)

親称と敬称

ドイツ語の二人称には「親称」と「敬称」が存在することは、学習の早い段階で開示される。前者が「Du」で後者が「Sie」だ。家族恋人親友など親しい人同士では「Du」を用い、その他は「Sie」を使うと解説される。ネイティブなドイツ語の使い手は、いちいち考えなくても間違えずに区別出来ているのだと思うが、ビギナーには厄介である。

ブラームスがクララへの手紙の中で「Du」を用いることに許可を求めていることは割と知られている。微妙ではあるが、厳然とした区別があるのだと感じる。

学生歌の調べ物をしていて、学士会の酒宴作法について眺めていた。その中にレツェプツィオーンという儀式があると知った。ドイツ語では「Rezeption」と綴る。いわゆる「レセプション」に相当する単語なのだと思う。この儀式は学士会に入会を希望する学生が準会員になるために欠かすことが出来ない通過儀礼だ。これにより希望者は準会員「Fuchs」と認められる。

準会員「Fuchs」になると学士会メンバー全員と朋友関係で結ばれたと解される。会員同士はお互いを「Du」で呼び合うことが義務づけられる。名誉会員古参会員とも「Du」で呼び合うということだ。古参会員の中に国家元首がいた場合、若造の新入会員といえども「Du」と呼びかけても失礼にはならないということだ。そうした学士会の風習は、ドイツ語圏の地域では広く社会から受け入れられているらしい。

とかく解釈が厄介な「Du」の一側面である。

2012年2月 8日 (水)

シュモリスとフィドゥツィット

盟友の誓約を交わした学生同士が、酒宴の席上でお互いの関係を確認し合うために交わす決まり文句のことだ。

まず「シュモリス」は、「Schmollis」と綴られるが、元はラテン語で「Sis mollis」(良き友であれ)が転じた形だ。

さらに「フィドゥツィット」は「Fiduzit」または「Fiducit」と綴られるが、同じくラテン語起源だ。「fiducia sit」(その件承知した)に由来する。

たとえば私が学士会においてブラームスと盟友関係にあったとする。その酒宴の席上、私はビールが注がれたグラスを持って立ち上がり、ブラームスに対して「Schmollis Brahms」と声をかける。ブラームスは直ちに立ち上がって「Fiduzit」と発声しながら、ビールグラスを高く掲げて一気に飲み干す。これが両者の盟友関係を確認する酒宴上の大切な作法とされていた。

そして「Fiducit」と通称される学生歌が実際に存在する。「シュモリス」の問いかけに対して「フィドゥツィット」と応ずる声がないと嘆く歌。つまりそれは盟友の死を悼む歌だ。数ある学生歌中の絶唱だと感じる。淡々としたテキストが朗々と歌われる孤高の長調だ。

2012年2月 7日 (火)

狐の年

ロベルト・シューマンは1828年5月からライプチヒで学生生活に入った。5月2日から1830年まで「ホッヘントッティアーナ」という自伝的日記を書いている。2篇からなるその日記の第1篇は「狐の年・喜劇的自叙伝」というタイトルになっている。

「狐の年とはこれいかに」なのだが、学士会のしきたりに照らせば疑問は氷解する。「狐」つまり「Fuchs」は学士会新入生の俗称だ。入会の意思表示から、正規会員のブルシェンになるまでの見習い期間中、彼らは「Fuchs」と呼ばれる。学生生活突入と同時に書き始められた日記が「狐の年」とタイトリングされるのはとても自然なことだ。同時にシューマン自身の学士会への積極関与を裏付ける事象だ。

のちの大作曲家シューマンも、当時新入りとして遇されたことは間違いない。「狐の騎行」や「一気飲み」をさせられたことは確実だ。

2012年2月 6日 (月)

狐の騎行

「Fuchsritt」の訳語。「騎行」といえば「ワルキューレ」を思い浮かべる人も多かろうが、こちらは学士会用語だ。新入生つまり「Fuchs」(きつね)が馬に乗るということだ。大学入学を志すものは、大学のある街まで馬車でやってくる。わが国の受験テーマとして名高い「Das Fuchslied」の1番の歌詞は「向こうの山から何が来る」という問いかけで始まる。向こうの山から来るのが「狐」だという流れになっている。

Brandungという酒宴がある。準会員として2学期を経過した「Fuchs」たちが召集される。上半身裸になり、背もたれを前にして椅子に跨り、けたたましい音を立てて会場内を行進する。これがすなわち「狐の騎行」だ。このとき全員で唱和する歌こそが「Das Fuchslied」(新入生の歌)である。

この後逆さづりにされたり、顔に墨を塗られたりと、さんざんな目に遭う。そしてこの酒宴により準会員は晴れて正会員になるのだ。

「大学祝典序曲」op80の157小節目「Animato」において、まさにこの「Das Fuchslied」が引用される。

2012年2月 5日 (日)

我が思いの全ては

「All mein Gedanken」という原題。ブラームスの「49のドイツ民謡」WoO33の中の30番である。

民謡と学生歌の関連を調べているが、これも学生歌だ。作詞も作曲も不明らしい。15世紀まで遡ることが文献上で確認されている。当初から学生歌だったかどうかは不明だが、19世紀の段階では学生の間で歌われていた。

ただ一人の女性に向けられたシリアスな愛が歌われている。酒宴で歌っても盛り上がりにくいのではないかと心配になるくらいのスローバラードだ。

学生歌の定義を「学生が酒宴で歌った歌」とでも緩めておきたい気分だ。少なくとも学士会の酒宴作法上に、所在を確認出来なくてもよいのだと感じる。

2012年2月 4日 (土)

Pauken

ドイツ語でティンパニのことだ。いつも一対で用いられるから複数形になっている。単数なら「Pauke」ということになる。一方これを「pauken」という動詞だと見ると、「叩く」という意味になる。当たり前のことだが辻褄が合っていて嬉しい。

ところが「pauken」は口語で「決闘する」の意味もあるのだ。特に学生同士の決闘を意味するらしい。2月2日の記事で話題にした「決闘に立ち会う医学部系学士会員」は「Paukarzt」だった。「Paukant」は決闘の当事者のことだし、「Paukboden」は決闘場のことだ。なるほど「pauk」は決闘の意味があると判る。「Paukerei」になると「決闘」という意味と同時に「ガリ勉」という意味になる。

2012年2月 3日 (金)

ゲーテの決闘

ゲーテというのはあのゲーテ、ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテだ。ドイツ最高の文豪。どうも彼は学士会員だった。あろうことか彼は決闘の当事者になっている。1767年ライプチヒでのことだ。

決闘の相手はグスタフ・フォン・ベルクマンという人物。ある劇場でゲーテがベルクマンに対して「なんだか狐くさい」と発言した。これを聞いたベルクマンが即座にゲーテに張り手をかましたという。古来より手袋で顔をはたくのは決闘を申し込みの作法だから、これに準じていたと思われる。この決闘でゲーテが負傷したとも伝えられている。

くさい」は新入生を茶化す言い回しだ。ましてや相手が新入生でなかったら侮辱のニュアンスは濃厚だ。これを発したゲーテも、反応したベルクマンも「学生言葉」を理解していたことは確実だ。さらにゲーテが麻酔無しで処置された可能性も浮上する。

2012年2月 2日 (木)

Paukarzt

パウクアルツトと読む。学生同士の決闘に立ち会う医学部系学士会員のこと。貴族の子弟が多く所属する学士会は騎士道の精神に影響されて決闘規約を持っている場合がある。そうした規約において決闘への立会いが規定されている。決闘によって負傷した場合、麻酔無しで処置を受けねばならないとされている。

三国志には華陀に腕の処置をさせておいて、空いた腕で悠々と碁を打ち続けた関羽のエピソードがある。関羽の豪傑振りを強調するエピソードだが、処置をした華陀は、名医とされているから、医学部系学士会員のような医者の卵とは訳が違う。処置の腕前もさることながら、感染症も心配だ。

我が大学オケにはもちろん決闘規約など無かったが、コンパで名誉の酔いつぶれという場面には頻繁に出くわした。パウクアルツトはいなかったが、医学部、看護学部、薬学部などの学生も多く手厚い介抱が期待できた。

2012年2月 1日 (水)

十七回忌

本日は亡き妻の17回忌。

もうあれから16年たつ。ゼロ歳だった次女の年齢を見ていれば没後に流れた年月の積み重ねがわかる。長女の大学合格を墓前でお願いする展開にならなかったので、久々に受験の無い命日となる。

その妻のご加護で次女のオーケストラ活動に気合が乗ってきた。ここ1ヶ月ほど練習が質量とも充実している。家にいるときも寸暇を惜しんで楽器に触っている。大学入学後初心者でヴィオラを始めたとき、私もかなり練習したがもはやその域をはるかに超えるレベル。高校生の方が練習に割ける時間が取れる分、伸び幅も大きそうだ。

革命、三角帽子、マイスタージンガー、カルメンなど横で個人練習を聴いているだけで楽しい。チューニングのときの音質が本当に柔らかくなった。トリルがきめ細かにバランスよくきまるようになった。ヴィブラートもセンスよくかかる。重音のときの余計な力が抜けるともっといい。練習を聴いていて彼女の意図がよくわかる。聴いていて「オヤ?」と思うところでは、必ず止まって2度3度繰り返す。幼い頃からの個人レッスンの時とは意欲が180度違う。嬉々として個人練習に取り組んでいる。

おそらくこれは、部活動日常の反映。目的意識や、顧問やトレーナーの指導、仲間からの刺激が、次女を駆り立てている。

きっと妻も喜んでいる。

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