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2012年2月23日 (木)

学士会名誉会員

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻15ページから16ページにかけて興味深い記述がある。リヒャルト・ホイベルガーの証言だ。1877年暮、ホイベルガー率いる合唱団がブラームスの作品を取り上げたという一連の経緯が書かれている。

  1. 練習に顔を出したブラームスは指導を買って出たという。その練習が終わった後のこととしてホイベルガーは「我々学生は存分に満足して」と言っている。つまりこの合唱団が学生によって組織されていたことが仄めかされている。
  2. 合唱団の名前はウィーン・アカデミー合唱団である。
  3. 演奏会当日、ホイベルガーがブラームスのアパートに迎えに行くシーンが出てくる。「合唱団の名誉会員」を現す色付きのタスキのかけ方が間違っていたので直してあげたとある。これは学士会のしきたりにピタリと一致する。「Burschen Band」と呼ばれる飾帯で、幅28センチほどの3色の帯だ。学士会会員は正規の行事の際着用が義務付けられている。
  4. 演奏会当日、何とブラームスが声も張り裂けんばかりに学生歌を歌い、その歌唱が正確だったと証言されている。

ドイツの学士会はその性格によりいくつかに分類される。合唱により祖国への忠誠と相互の親睦を図る団体を「合唱系学士会」と呼んでいた。彼らが一部の市民とともに組織した合唱団が「Akademische Liedertafel」と呼ばれていた。

上記4点は、ブラームスがウィーンの学士会系合唱団の名誉会員だった可能性を強く示唆するものだ。そればかりかブラームスが学生たちとともに学生歌を唱和した証拠にもなっている。詳しい曲名が判らないのが残念だ。

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