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2012年3月31日 (土)

読む大学祝典序曲

「大学祝典序曲」op80に著名な学生歌が引用されているという切り口から、議論を重ねてきた。カテゴリー「216 学生歌」には、「大学祝典序曲」には直接関係のない記事もあるが、「大学祝典序曲」がなければ、学生歌について調べようなどと考えなかったに決まっているから、広い意味では「大学祝典序曲」ネタである。

ご案内が遅れた。お気づきの方も多いと思うが、カテゴリー「大学祝典序曲」を創設した。作品単独で1個のカテゴリーを設けるのはこれが初めてだ。私のブラームスラブを決定づけた作品でもあり、単独カテゴリーの付与は当然である。期間にしておよそ4ヶ月、全部通して読むことで、世界一詳しい(当社調べ)大学祝典序曲の解説になるハズだ。

これが「読む大学祝典序曲」だ。

2012年3月30日 (金)

ズッペ風

「大学祝典序曲」op80を説明する文章には、ブラームス自身がこれを「ズッペ風接続曲」と称していたことが書かれている。ズッペは喜歌劇の作者だ。彼は序曲を書く際に、「作品中に出現する印象的な旋律を手際よく繋げる」という手法を用いた。これが「接続曲」という概念だ。「大学祝典序曲」は、4つの名高い学生歌が次々と現れる構造となっている。「ズッペ風接続曲」という言い回しはこのことを指していると解されている。

「ズッペ風」という言葉の解釈について、ここに提案がある。

ズッペは学生歌の作曲も確認出来る。「財産や金銭をほこるべきではない」という作品が複数の学生歌集に収録されている。「陽気な仲間たち」は「学生喜歌劇」と呼ぶべき作品で、劇中に「ガウデアムス」「さあ楽しく食事せよ」「アナクレオン」「バッカス万歳」「クランバブーリ」などの学生歌が手際よくちりばめられている。「Das Fechslied」を用いた序曲も作曲している。

これらの事情をブラームスもよく知っていて、自作での学生歌の使いっぷりを指して「ズッペ風」と称したのではあるまいか。「既存旋律の接続」に加えて「学生歌の引用」もまたズッペの有力な手法だと考えた上で、「ズッペ風」という言葉を用いたと感じる。

2012年3月29日 (木)

ユニバーシアード

学生のオリンピック。「ユニバーシティ」と「オリンピアード」の合成語と説明される。オリンピックと同様に夏季大会と冬季大会がある。開催は2年おき奇数年である。1967年東京を皮切りに神戸、札幌、福岡の計4回が日本で開催された。

第二次世界大戦の影響を脱し、東西陣営合同で開催された1959年トリノが第1回とされている。第2回ブルガリアのソフィア大会では、表彰式が国威発揚の場にならぬよう配慮され、国歌演奏のかわりに「ガウデアムス」が演奏された。世界学生共通の宝という位置づけだ。

我が家にも思い出がある。1995年第18回大会の開催地は福岡だった。そのころ福岡に住んでいた我が家、次女の誕生を待つ夏が祭典の舞台となった。閉会式を見ていて驚いた。大会旗の閉納の場面でどこかで聴いた曲が演奏された。「ガウデアムス」だった。

次女の誕生はその3日後だ。

2012年3月28日 (水)

ザラマンダー再考

ブラームスには「Salamander」と綴る歌曲があることは既に述べた。本日はそれとは別の話だ。学生歌を育んだ学士会には、さまざまな作法がある。酒宴における作法はとりわけ多岐にわたっていたらしい。乾杯の瞬間に「ビールの泡が消えていること」さえ作法違反とされている。

そうした酒宴作法のうちもっとも重要なものが「Salamander」(ザラマンダー)と呼ばれている。スペルも発音も火中に棲む両生類「ひとかげ」と同じだから紛らわしい上に、辞書には現れない典型的な学士会用語だ。

  1. 宴会長が起立し儀礼剣を抜き短いスピーチ。
  2. 宴会長が「ザラマンダー、アインス、ツヴァイ、トライ」と発声し一気飲み。
  3. 続いて皆で「ザラマンダー開始、1,2,3,1,2,3・・・・・」と発声しながら空のグラスをテーブルに軽く叩きつける。(飲み干している証拠かも)
  4. 最後に宴会長が「ザラマンダー終了」と発声すると一同「ブラーボ」

これら一連の手順のことが「ザラマンダー」と呼ばれているのだ。日本の「乾杯」あるいは「お手を拝借」の三本締めをあわせたような所作である。

何故これが「ザラマンダー」と呼ばれているのかについて、ご当地ドイツでも決定的な定説がないらしい。

2012年3月27日 (火)

ヴィアドリーナ再考

ブラームスは大学祝典序曲の刊行にあたり、そのタイトルをどうしたものかとジムロックに相談している。そのやりとりの中で「ヴィアドリーナ」が候補に挙がったものの、最終的には見送られたとされている。ブラームスに学位授与を申し出たブレスラウ大学は、オーデル川に面した町にあるが、この川の別名が「ヴィアドリーナ」だった。

どんな書物にもこの名前を見送った理由が書かれていない。ずっと気になっていたがようやく、見所のある仮説にたどり着いた。

今や欧州屈指の大都市にフランクフルトがある。ここはマイン川の河畔ということで「フランクフルト・アム・マイン」と呼ばれている。ベルリンの東オーデル河畔に存する別のフランクフルトと区別するためだ。1506年その別のフランクフルトに大学が創設された。大学の名前を知って驚いた。「ヴィアドリーナ大学」というのだ。これもまた明らかにオーデル河畔であることに由来するネーミングだ。この大学は1811年にブレスラウ大学に統合されてしまったというから、ブラームス存命中には存在していない。ブレスラウ大学に先行する形で、既にヴィアドリーナ大学があったということだ。

大学祝典序曲に「ヴィアドリーナ」と名付けることを見送った理由はそれだと思う。吸収合併してしまい、今は無い大学の名前では具合が悪かろう。

2012年3月26日 (月)

ドクター

ブラームスの演奏を記録した蝋管がある話は有名だ。エジソンの蓄音機を宣伝するためにブラームスに白羽の矢が立ったのだ。1889年12月の出来事。音質は粗悪だといわれている。演奏の前にしゃべり声が録音されているのだが、これがほぼブラームス本人の声だと信じられている。

聞き取りずらいそのスピーチは「Haus von Herrn Dr.Fellinger,I am Dr.Brahms,Johannes Brahms」だと解釈されている。ドイツ語と英語のチャンポンになっているのだが、これにより録音場所がウィーンのフェリンガー邸だったことが判るし、これはフェリンガー家の人々の証言とも一致している。

英語とのチャンポンである点に加えて興味深いのはブラームスが自分を「ドクター」と呼んでいるという点だ。これには明快な根拠がある。1880年にブラームスはブレスラウ大学から名誉博士号を授与されている。大学祝典序曲の解説では必ず言及される出来事。だからブラームスはれっきとした「ドクター」である。公式な文書上では必ずそのことが反映する。この年の9月にはハンブルク名誉市民に選ばれているのだが、このときの名誉市民証にも「Dr.phil.h.c」と記されている。博士号を有する人に「Dr」抜きで呼びかけるのは大変な失礼に当たるという。貴族にとっての「von」と同じ位置づけた。初めての録音行為に当たり、相当緊張していたブラームスがしのばれる。

1889年はハンブルク名誉市民にも選ばれたし、レオポルド勲章も授与された。ドイツが認める名士になったということだ。

2012年3月25日 (日)

一学部一教授

ブラームスの青春時代。大学の学部には教授が1名だったらしい。もちろん名誉教授は別枠だ。大学への進学率が現在の10分の1程度だった話の周辺を調べていて偶然目にした。ということはつまり教授イコール学部長ということだ。弦楽六重奏曲第2番とともに語られるアガーテは、ゲッティンゲン大学教授の娘だった。彼女の父親はどこかの学部の学部長だということだ。

現代の大学事情との単純比較はほとんど意味を成すまい。学生数も違えば位置付けも違う。それでも大学教授の位置付けの高さだけは伺える。

2012年3月24日 (土)

イェーナの学士会

学生歌「我らは立派な校舎を建てた」の由来についてずっと調べている。「大学祝典序曲」op80で最初に登場する学生歌だが、どうも学生歌関連の書物に現れない。手許の解説書には、イェーナの学士会が解散に追い込まれた際に作られたとある。

イェーナの学士会は、1873年にリストを名誉会員に迎えたことで知られている。リストは委嘱に答えた作品の中で名高い学生歌「ガウデアムス」を引用している。解散に追い込まれたのは1819年のスキャンダルが原因だった。学士会活動の自由主義的風潮を指摘したコッツェブーという作家が、イェーナの学生に刺殺されるという事件が起きた。学生会活動は20世紀に入ってナチスによって統制され、かなりの数の学士会が解散に追い込まれたこともあったが、イェーナのケースは殺人事件だから深刻だ。イェーナに再び学士会が発足するのは1848年のことである。

これにより学士会のメンバーたちはちりぢりになった。この事件は周囲の学士会にも大いに影響を与えたとされている。このときに生まれたのが「我らは立派な校舎を建てた」だというのだ。ドイツの学士会活動にとっての大事件だけに、学士会関連の資料で言及されることも多いのだが、「大学祝典序曲」との関連については全く語られていない。「我らは立派な校舎を建てた」とは別のタイトルで認知されていた可能性もあるから断言は禁物だが、我が家のCDにも同じ旋律は全く出てこない。

2012年3月23日 (金)

第5第6のネタ

ブラームスの大学祝典序曲にはドイツの学生歌が手際よく引用されていることそれ自体はもはや有名だ。その数が「3」なのか「4」なのかでいろいろ論争もあるようだ。楽曲冒頭からしばらく、学生歌に準拠しない旋律の断片が提示されるのだが、それらの断片を既存の学生歌の投影であると見る学者が居る。

  1. Fiducit
  2. Vom hoh'n Olymp

上記2曲が怪しいとされている。1番目「フィドゥチット」は先に掲げたベスト10にもあげておいた。我が家にCDがあるけれど、どの部分が反映しているのか不明だ。

2012年3月22日 (木)

我らは立派な校舎を建てた

「大学祝典序曲」op80の解説する文章は、そこでブラームスが引用した学生歌の数を大抵「4曲」としている。本日のお題「我らは立派な校舎を建てた」は最初63小節目で登場する。トラペットのアンサンブルが一際輝かしい。

ここまで学生歌に関連する記事をずっと連ねてきたが、不思議なことがある。本日の話題の「我らは立派な校舎を建てた」がさっぱり言及されていないのだ。「大学祝典序曲」で引用したとされる学生歌のうち「新入生の歌」「国の親」「ガウデアムス」の3曲については、学生歌集なりCDなりに頻繁に登場する。それに対して「我らは立派な校舎を建てた」はブラームス作品の解説書では、「学生歌」である旨明記されるが、学生歌としての存在が文献上で確認できない。元歌が特定出来ないということだ。楽譜にも音源にも巡り会えていない。

「大学祝典序曲」に言及するクラシック音楽解説系の文書は、引用される学生歌の数を「4曲」と位置づけている。登場順に列挙する。

  1. 我らは立派な校舎を建てた
  2. ランデスファーター
  3. 新入生の歌
  4. ガウデアムス

判で押したように皆4曲と言っている。ところが、上記1番を掲載した学生歌集に出会わない。CDに収録されているのも見かけない。

学生歌の研究書やCDの解説などにおいて、ブラームスが「大学祝典序曲」に学生歌が引用されたこと自体には、必ず言及されるが、「4曲」と明示している例が無い。4曲と言い切っているのは、クラシック音楽解説系の文書だけだ。学生歌研究系の資料は3曲である。

「我らは立派な校舎を建てた」は、その意味で不思議だ。引用箇所が学生歌の冒頭ではないのだろうかと思うが、それならば「ランデスファーター」も同じだ。学生歌研究畑の人々全てが皆、見落としているのだろうか。

古代史の中では、日本側の記録たる記紀と中国側の記録の記述が食い違うことがある。そうしたズレが無くなってくるのは701年以降らしい。同様にクラシック音楽解説系の文書では、必ず4曲とされながら、学生歌系の文書では「我らは立派な校舎を建てた」が欠落した3曲しか言及されない。

「大学祝典序曲」での出現の仕方はとてもカッコいいのだが、本当にこれは学生歌なのだろうか。

2012年3月21日 (水)

バッハと学生歌

名高いゴールドベルク変奏曲の他にも「クォドリベト」があった。BWV524だ。「結婚混成曲」とでも名付けたい作品。一族の結婚式において声高らかに唱和されたものと思われる。

この作品の中程、歌詞が突然ラテン語になる。

Dominus Johannes  citatur

「主ヨハネス」くらいな敬虔な意味かと思ったらどうも違っていて、このテキストに限っては「学生ヨハネス君」というようなノリらしい。「居酒屋金冠亭のお姉ちゃんとの一件について、学長から喚問がある」というような話である。19世紀の学内裁判を彷彿とさせる内容だ。さらにその後歌詞がドイツ語に戻って「Studenten sind sehr flolich」(学生さんたちはすこぶる上機嫌)と続く。

このあたりのテキストは学生の生態を描写しているような感じだ。

欧州の学士会の興隆期は19世紀だが、バッハのいた18世紀にも放蕩な学生がたくさんいたものと思われる。バッハはそれを巧みに取り込んだものと考えられる。

希少なバッハ関連の学生歌ネタを本日公開するこだわりにお気づきいただけているだろうか。

2012年3月20日 (火)

クォドリベート再考

バッハの「ゴールドベルク変奏曲」の第30変奏が気に入っていると何度も書いてきた。さまざまな旋律が同時に鳴らされるという特異な形式が、「Quodlibet」(クォドリベート)と呼ばれている。「みんなで一緒に」程度の意味だ。

昨今ずぶずぶとはまっている学生歌だが、そのキッカケともいえる「ガウデアムス」のテキストを調べていて驚いた。4番の歌詞だ。

Viva academia,vivant professors 大学万歳、先生万歳

Viva academia,vivant professors  大学万歳、先生万歳

vivat membrum quodlibet,vivant membra quaelibet 同胞万歳、すべての同胞万歳

semper sint in flore 永久に栄えあれ

semper sint in flore 永久に栄えあれ

3行目に「quodlibet」が出てくる。和訳と無理にこじつけると「全ての」くらいの意味に落ち着けそうだ。あるいはその前行と前々行の大学や先生をも含めた「全て」の意味かもしれない。

出てくる単語が「そういえばわかるような気がする」というスペリングなのが笑える。特に4、5行の「sempr」は、音楽用語の「sempre」と関係があるに違いない。

2012年3月19日 (月)

Pater patriae

記事「ランデスファーター」を書いていて引っかかった。ローマの皇帝たちの長い長い正式名称の最後尾にしばしば出現する「Pater patriae」のことだ。「国の父」と解される。「Pater」は「父」で、イタリア語の「Padre」の語源だし、遠くは英語の「Father」やドイツ語の「Vater」にも繋がっている。「patriae」は「国の」だが、英語の「patriot」(愛国者)の語源でもある。

「Pater patriae」の称号はローマの元老院が「もっとも尊敬すべき市民」に授けた呼称で、紀元前69年のキケロに端を発するらしい。歴代のローマ皇帝にはこの名前が贈られるのが恒例になった。

学生たちの儀式としての「ランデスファーター」にこの「Pater patriae」がどの程度反映しているのか研究中だ。

欧州でたびたび出土するコインには、ローマ皇帝の肖像が刻印されているケースも多い。その横に「PP」という文字列が添えられている場合がある。念のためお断りしておくとこれは「ピアニシモ」ではなくて「Pater Patriae」の略だ。

2012年3月18日 (日)

tenerae amabiles

大学祝典序曲のラストを飾る学生歌「Gaudeamus」はラテン語の歌詞を持っている。大抵は4コーラスだ。各々のコーラスの意味は下記の通り。

  1. 青春時代を楽しめ
  2. 大学に栄光あれ
  3. 乙女たちよ健やかなれ
  4. 祖国よ永遠なれ

その3番目は婦人礼賛のテキストだ。「乙女たちよたおやかで愛らしくあれ」と歌われるその場所こそが本日のタイトル「tenerae,amabiles」だ。ブラームス愛好家は「ハハーン」となる。「tenerae」は「teneramente」、「amabiles」はもっとストレートに「amabile」を思い浮かべるに決まっている。インテルメッツォop118-2冒頭に鎮座する「Andante teneramente」は至高の指定で一般に「優しく」と解される。ヴィオラソナタ第2番の冒頭とイ長調ヴァイオリンソナタに「Amabile」があって「愛らしく」と訳される。

音楽用語はイタリア語だから中にはラテン語の語彙がストレートに反映していることがあっても不思議は無い。語源学的には興味深いが、ブラームスが楽譜上に「teneramente」や「Amabile」と記すときに、こうした語源的由来を考慮したかどうかは不明。慎重な取り扱いが必要だ。

2012年3月17日 (土)

ラテン語

ローマ帝国の公用語だ。その後も教会や学問の世界で使われ続けたが、公用語として使われることは無くなった。19世紀まで欧州では初等中等教育の中にラテン語の授業があったという。

クラシック音楽の世界ではしばしば遭遇する。ミサ曲のテキストはラテン語であることが多い。ブラームスにもけして多くはないがラテン語歌詞を持つ作品もある。

昨今のめり込んでいる学生歌にも、ラテン語の歌詞が見られる。代表格「ガウデアムス」の他にも「エルゴ・ビバムス」などが名高い。ドイツ語の歌詞の中にラテン語やイタリア語が混入するチャンポンも見られる。一般人にはなじみの薄いラテン語の歌詞で歌うことが一体感の醸成に役立っていたのかもしれない。

学生歌の歌詞以外にも、学士会関連の語彙にはラテン語起源のものが目立つ。たとえば「Corona」だ。「日輪」の意味がある他、音楽用語として「フェルマータ」の意味が派生しているけれど、学士会用語としては「ご一同」の意味だ。酒宴への参列者一同を表している。「Hoch Corona」と言えば「一同起立」あるいは「乾杯」の意味だという。見事なチャンポンだ。

学生歌には独唱と合唱で交互に歌う曲がある。それらの楽譜や歌集の中、合唱で歌う部分に「Corona」と書かれていることがある。器楽で言う「Tutti」みたいなものだろうが、実に収まりが良い。

2012年3月16日 (金)

セカンドの見せ場

二塁手がからむ併殺プレイのことではない。第二ヴァイオリンのことだ。「大学祝典序曲」op80に第二ヴァイオリンの見せ場がある。129小節目学生歌「ランデスファーター」の部分だ。

学生歌集を見てすぐに気付くのは、ブラームスが引用した部分は、学生歌「ランデスファーター」の冒頭ではないということだ。引用は第二の部分に相当する。移動ドで「ソーミド」と降りてきて、オクターブジャンプする最初の小節だけが一致している。この1小節だけは第一と第二の両ヴァイオリンがユニゾンだ。第一ヴァイオリンはその到達点の実音「E」をずっと引き延ばす。その下で第二ヴァイオリンはうねるような旋律を受け持つが、それは厳密に申して「ランデスファーター」の旋律と一致していない。

しかし、おそらく学生歌に精通した人は間違いなく「ランデスファーター」を思い浮かべるものと考える。最初の小節の「ソーミド↑ド」という特徴ある動きこそが、「ランデスファーター」を象徴している。セカンドヴァイオリンにとっても見せ場なのだが、高い「E」音を引き延ばす第一ヴァイオリンも捨てがたい。

亡き妻との結婚当初の目標は、家族でブラームスのピアノ五重奏を弾くことだった。妻がピアノで、長男がチェロ、娘らにはヴァイオリンをさせて私がヴィオラという皮算用。妻の死でさっそく挫折したが、子供らの未来の配偶者を勝手にあてにして計画は継続。長男がチェロに見向きもせずに第二の挫折。娘2人にヴァイオリンを習わせることで盛り返したかに見えたけれど、第一ヴァイオリン予定の長女がバドミントンに走ったのが第三の挫折。つまり次女は頼みの綱。極端な話、万が一私がピアノ五重奏ではなくて、「ピアノ四重奏を家族で」と欲していたら、次女は生まれていない。だから次女の存在は紙一重の縁。

次女が妻のおなかにいたころ、毎日おなかをさすりながら「セカンドヴァイオリン、セカンドヴァイオリン」と念じてきた。無事生まれたときには「セカンドヴァイオリンが生まれた」と喜んだ。今その子が一縷の望み。彼女がオケに入ってセカンドヴァイオリンに固執し、そのセカンドヴァイオリンでパートリーダーになるのは、そうした刷り込みのせいに違いない。母なるセカンドヴァイオリン。

2012年3月15日 (木)

二十歳

今日、長男が二十歳の誕生日を迎えた。20年前の午後3時4分に東京で生まれた。日曜日だったせいか、私と両方の親が勢ぞろいした中での誕生だった。

彼が私の息子であることは変わらないが感慨深い。問題がひとつある。ブログ「ブラームスの辞書」管理人のハンドルネーム「アルトのパパ」だ。長男の名前に因むお気に入りのネーミングだが、長男が20歳に到達した今、「パパ」でいいものか改めて悩ましい。

2012年3月14日 (水)

美しい整合性

昨年9月16日の記事「未刊の民謡たち」を思い出して欲しい。マッコークルに記載された民謡の手書き譜は、ほとんどが刊行されていない作品のものだった。それでも何とか手掛かりがないかと考え我が家所有の民謡のCDの中に収録されてはいないかマッチングしてみると4曲がヒットした。あの日はそれをじっと喜ぶだけで終わっていた。列挙した4曲の中の1番目に「Alles schweige! Jeder neige」があった。

これは歌い出しの部分だ。この作品のタイトルを見て驚いた。最近滅多に驚かない癖がついているのだが、これには参った。

「Der Landesvater」だった。「国の親」と訳される学生歌だ。大学祝典序曲に引用されている学生歌の一つだ。手書きされた時期は1870年代の終わり頃らしい。大学祝典序曲の作曲時期と近い。民謡としては、未刊行なのも道理である。大学祝典序曲のための準備の一環だったと考えたい。

ブラームスにまつわる調べ物をしていて、この種の思いがけない整合性に出会うのは快感だ。

2012年3月13日 (火)

ランデスファーター

「Der Landesvater」と綴り「国の親」と訳される。「大学祝典序曲」op80に登場する学生歌のうちの一つだ。

学士会にはその規約に決闘の規約を持つ団体がある。研究家の間ではこれが「撃剣系学士会」と呼ばれている。この系統の学士会で最重要視されている儀式こそが、本日のお題「Landesvater」である。祖国への絶対的な忠誠を誓う儀式とされている。ブラームスが採用したのはその儀式の際に唱和される学生歌だ。

その儀式では、会員たちがかぶっている帽子が次々に剣で串刺しにされる。ちょうどヤキトリみたいな感じだ。帽子には剣を刺した跡が穴となって残る。これを後から金銀の糸で刺繍してふさぐ。ドイツを象徴するEichenの葉や年代をあしらった刺繍だ。古式によればこの刺繍は未婚の女性に委ねられるという。

この刺繍こそが、国家と朋友のために戦って死ぬ覚悟と勇気があることを象徴していると解されている。三月革命の時期にドイツ語圏各地に起こった学生軍団の心意気の名残りとも言われている。

大学祝典序曲にこの旋律を採用したブラームスが、これらの由来を知らなかったとは考えにくい。

2012年3月12日 (月)

Eiche

日本語への転写には苦労が伴う。広葉樹「ブナ・ナラ属の木の総称」だというが「オーク」と訳されたりしているようだ。今でこそドイツの森は針葉樹が優勢だったが、古代においては広葉樹が多かった。ゲルマン人の原郷は広葉樹の森である。

ゲルマン人は「Eiche」を神聖な木と位置付けて心のよりどころにしていた。「Eichen」は地名や人名にもなっている。

学士会の酒宴の代表格ランデスファーターでは、学帽を剣で突き刺す。そのために開いた穴を未婚の女性が刺繍で繕うことになっている。その刺繍は「Eiche」の葉を模した形にすることに決まっている。学士会の書物には、それが愛国心の象徴であると書かれているが、どうやらゲルマン人の素朴な信仰に根ざしているようだ。

日本を代表する木が「さくら」なら、ドイツは「オーク」だということだ。

2012年3月11日 (日)

あれから1年

黙祷。

2012年3月10日 (土)

転校

進学以外の諸事情により、通学する学校が変わること。私も小学校時代に2度転校した。1度目がトラウマになって2度目はマジでいやがったが、父の仕事の関係でどうにもならなかった。転校により入ってくる生徒のことを転校生と呼ぶことが多い。なんだかそこはかとないロマンが感じられる響きだ。学園ミステリー物と一括されるジャンルでは、平和なクラスに一人の転校生がやってくることから物語が始まることも多い。

転校という言葉が使われるのは、どうも小学校と中学校であることが多いような気がしている。高校でもあるにはあるが、父親が単身赴任というケースがとって代わるような感じである。さらに大学ともなると事実上存在しないと思われる。退学してまた別の大学を受験する場合を転校とは称さないのかもしれない。

ドイツの偉人の伝記を読んでいると、主人公の経歴の中で複数の大学の名前が出て来ることが珍しくない。大学の転校生が溢れている感じだ。どうやらこれはドイツの大学事情によるものらしい。ドイツではこれといった教師に狙いを定めて大学を転々とするケースが一般的だという。親方制度と根ッ子では繋がっていそうな感じだ。修めたい学問と教授がセットになている感じだ。法学はライプチヒで学び、経済学はベルリンでという具合だ。

日本程は「大学対抗」という概念が深くないようだ。実はそこを埋め合わせているのが学士会だというオチである。

2012年3月 9日 (金)

卒業式二題

昨日長女が高校を卒業した。あこがれてあこがれて無理目の高校に滑り込んでから、早3年経過した。4月から大学生。能力の高いクラスメイトに囲まれての3年間。部活もがんばった。3年生の5月に1日だけ無念の欠席があり小学校5年から続いた連続皆勤賞は7年で途切れた。おばあちゃんのお弁当ともお別れになる。

卒業式は型どおりに進んだ。在校生代表の送辞と卒業生代表の答辞で、涙腺決壊注意報。蛍の光のあとすぐに閉式の言葉があって、あれっと思っているうちにサプライズ。卒業生の呼びかけ。半ばデザインされたサプライズながら号泣の男子もいて何だか熱い。公立校随一の自由度を誇る同校の校風そのままのノリ。文化祭を思い出した。クールが売りの長女の瞳も若干潤っていた。

一方そのころ次女の高校でも卒業式があった。1年生の次女は送る側。次女の高校の卒業式は、実はオーケストラの出番でもある。式次第の要所でオーケストラが音楽をさし挟むのは入学式と同じだが、別れが前面に出る卒業式は在校生たちの気合のノリが違う。式での演奏に備えて根を詰めた練習が繰り返される。次女たち在校生は、式の翌日今日から定期テストに臨む。テスト前1週間は本来部活完全停止なのだが、オーケストラ部は卒業式の練習のため部活がある。学内に素晴らしい祝祭管弦楽団を持っているという至高の贅沢。

定期テストが終わると、いよいよラストスパート。

2012年3月 8日 (木)

革命の終楽章

次女が高校に合格して喜んでから早くも1年だ。今一心不乱に部活動のオケに打ち込んでいるの見ると一段と感慨深い。

ショスタコーヴィチの交響曲第5番は「革命」とあだ名されている。昨年10月のコンクールでは、その終楽章を演奏した。その後も懸命に練習を続けている。最終的には5月のスペシャルコンサートで今の2年生が引退するまでじっと磨き上げることになる。

昨年8月にCDを買い与えた。バーンスタイン指揮のニューヨークフィルの「革命」だ。次女と車に乗るたびに聴いていた。バーンスタインの演奏時間は8分少々で、後から知った話ではかなりのハイテンポだ。次女は早いうちから「自分たちが目指す演奏ではない」と断言していた。しからばとばかりに他のCDも聞かせてみた。ムラヴィンスキー率いるレニングラードフィルの東京ライブは、作曲者生前の初演指揮者による演奏という点、しきりに感心はしていた。284小節目後半のヴァイオリンの音が他の演奏と違っているなどと、オタクな発見をしていた。結局は「ホルンのヴィブラート気持ち悪い」とか、ラスト324小節目からのテンポが遅過ぎると恐れを知らぬダメ出し。

今のところ一番しっくりと来ているのがムーティらしい。自分たちの目指す演奏に一番近いというが、324小節目からもう少し速かったら完璧だなどと注文も忘れない。このテンポでは金管が最後まで持たない。ここは弦に構わずテンポを上げて金管をアシストしたいなどと申している。中学時代にブラバンでトロンボーンを吹いていた経験から、ラストのハイトーンをフォルテシモでとなると、ゆるいテンポではどうにもならないらしい。

内容の妥当性はともかく、同曲異演を聴き比べて次々と感想が沸いて出るのが素晴らしい。「好き嫌い」をベースに「自分たちに比べてどうだという視点」と「自分らの目指す演奏という視点」をうまくブレンドした感想を、とにもかくにも言葉に出来るというのが小気味よい。

次女から「ところでレニングラードって何?」と不意に質問。なるほど無理も無い。私がクラシックにのめり込んだ当時、「レニングラードフィル」といったら泣く子も黙る存在だった。とりあえず「なあに大したオケじゃないよ。今ならオマエたちをとる」と応えておいた。

2012年3月 7日 (水)

鵞鳥売りの少女

ゲッティンゲン市庁舎前の噴水の中央に鵞鳥娘リーゼルの像が立っている。グリム童話に由来するとも言われているが異説もあるようだ。鵞鳥を手に持った可憐な少女の像。今ではゲッティンゲン市のシンボルになっている。奇妙なことにゲッティンゲン大学の新入生は学士会への入会の儀式の中で、この少女の像にキスをする慣わしがあった。台座は噴水池の中央にあるので、なかなかの難易度だろう。

ヨアヒムとともにゲッティンゲン大学で講義を聴講したばかりか、学士会に仮入会して、狐の騎行に興じたブラームスが、この少女の像にキスをしていたののではないかと色めき立ったが、どうやら空振りだ。像の設置が1901年だからブラームスはキス出来ない。

当時、この少女像へのキスの慣行がエスカレートしてしばしば禁止されたという。あまりに挑戦者が多いというので、キス敢行資格者を博士号取得者に制限した。今も博士号取得者の特権になっているという。当時は女子学生はいなかったらしいが、現代はそうも行くまい。女性博士がどうしているのか引き続き情報を収集したい。

この噴水池自体は古くからあるので、池のほとりでアガーテと待ち合わせした可能性くらいはかろうじて残されている。

2012年3月 6日 (火)

大学生聯合会

森鴎外がドイツ留学中に記した「独逸日記」には、1886年5月22日に学生の決闘についての言及があることは、割と知られている。実はもう一箇所私が怪しいとにらんでいる記述がある。

1886年3月15日の記事だ。「大学生聯合会Bavariaに赴く」とある。大学生聯合会とは何だろう。学士会を指す「Burschenschaft」は独逸日記の別の場所に出てくるから、大学生聨合会が「Burschenschaft」と同一ではなさそうだ。もしかすると多数の学士会が所属する上部団体かもしれない。「Bavaria」はバイエルンのラテン語系だから矛盾がない。

1886年3月8日に鴎外はミュンヘンに来る。ミュンヘン大学で衛生学の泰斗ペッテンコーファーに学ぶためだ。だからその1週間後にミュンヘン大学の学士会に赴くのはとても自然なことだ。ライプチヒ大学でも学んではいるのだが、そこでは学士会を思わせる記述は無い。学士会に挨拶に行ったとなると、狐の騎行に興じたりしてないか心配になる。

2012年3月 5日 (月)

後打ち強調

「大学祝典序曲」に引用された学生歌の中で、もっとも有名なのは「新入生の歌」かもしれない。世界的に見れば「ガウデアムス」だと思うが、ここ日本では受験生を中心に知名度が高そうだ。

157小節目「Animato」のファゴットに率いられたユーモラスなフレーズは「Das Fuchslied」の面目躍如だ。この時の伴奏声部に注目する。ヴィオラを始めてやっと1年のひよっこの私だったがここの伴奏にしびれた。軽快な後打ちになっていたのだ。どうもブラームスは、「新入生の歌」に後打ちを絡ませるのが好きらしい。

その後176小節目のスフォルツァンドは2拍子の2拍目を強調している。230小節目からのフォルテシモでは弦楽器が後打ちでふんばり続ける。

ところが、学生歌集で元歌を調べると、ちっとも後打ちが見当たらない。アクセントやスフォルツァンドで補強されていないのだ。CDを聴いても裏拍の強調が無い。弱拍または裏拍の強調は、原曲に由来するものではなく、引用をしたブラームスのセンスだということに他ならない。それはそうだ。酒宴で歌われることを考えると錯綜したリズムでは具合が悪かろう。宴会の手拍子で後打ち入れる奴など見たことがない。

新入生の歌に後打ちを施したブラームスの意図は、大団円の「ガウデアムス」にある。379小節目「マエストーソ」で「ガウデアムス」になだれ込む直前には、オーボエ、クラリネット、ホルン、トランペットが「新入生の歌」を強奏している。これをその他の楽器が「後打ちで」支える構図になっている。そしてまさにその「裏拍強調」が終わると同時に「ガウデアムス」が始まるのだ。この効果は目を見張るばかりである。

「新入生の歌」の後打ちは、「ガウデアムス」の遠い準備のためにあると位置付けたい。

2012年3月 4日 (日)

無修飾センプレ

楽語「sempre」は「常に~で」と解されて疑われない。大学祝典序曲166小節目に奇怪な用例がある。有名なファゴットのソロによる「新入生の歌」が始まった後、10小節で追いかける第一オーボエのソロ。その立ち上がりに「sempre」が単独で置かれている。

いわば「何も修飾せぬsempre」だ。

我が家のスコアだけではなくて、大学祝典序曲の初版にも存在するから由緒正しい「無修飾センプレ」だ。常に何だというのだろう。

大学祝典序曲最大の謎。

2012年3月 3日 (土)

左手pizz

弦を指ではじくピツィカートと通常の奏法が急速に交代すると演奏の難易度が上がる。一部のコンチェルトではそれが呼び物になっているケースもある。テンポによっては、弦を左手ではじくピツィカートが要求されている場合がある。

大学祝典序曲に難儀なピツィカートがある。20小節目のチェロだ。4分の4拍子の3拍目まで通常奏法で、4拍目の四分音符1個をピツィカートした後、次の小節の1拍目にはまた通常奏法に戻るというものだ。ピツィカートの音はG線の開放弦でOKな音なので、左手ではじくという手が使える。

さてさて、この同じ場所のヴィオラは面白い。ブライトコップフのパート譜では、ヴィオラは問題の20小節目の4拍目が四分休符になっている。チェロの大忙しを横目で高みの見物ということだ。ところが、大学祝典序曲の初版では、この4拍目にチェロと同じG線開放弦でOKなG音の四分音符が書かれていたのだ。

ブライトコップフのパート譜は初版とは違っているということだ。ヴィオラにはピツィカートと通常奏法の急速な交代を免除したように見える。チェロはこれを免除していないから、特別扱いが目立つ。左手pizzはチェロの方が容易だからかもしれないが、謎は深い。

2012年3月 2日 (金)

根本的な疑問

「大学祝典序曲」op80がブレスラウ大学からの学位授与への返礼だったことは名高い。その「大学祝典序曲」がよく知られた学生歌を手際よく織り込んだ構造を採用していることも含めて、盛んに言及される。

学生歌を調べていて、ドイツ語圏における大学にはほぼ全てに学士会が組織されていたこともわかってきた。学士会は各大学に一つとは限らないこともあって、それぞれに名前がついていた。

ブラームスが、「大学祝典序曲」を献じたブレスラウ大学の学士会の名前にたどりつけない。引用された学生歌がヒントになりはしないかと思ってはいるのだが、尻尾がつかめない。

2012年3月 1日 (木)

パーリー

次女のオケではパートリーダーの略だ。私の大学オケでは、パートチーフと称していた。私は初心者でヴィオラを始めたのに3年の冬と4年の夏の演奏会でパートチーフをやった。

何と言うことか、次女がセカンドヴァイオリンの次期パーリーに就任することが内定したらしい。セカンドヴァイオリンのメンバーたちの互選で決まったという。今まで育ててきた限り、どうも仲間の先頭に立ってというキャラではないと思っていたから意外だった。その点私似ではなくて妻似だ。次女は多くを語らないが、選出の基準はテクばかりでもなさそうだ。私自身テクでパートチーフを務めたわけではないからよくわかる。5月のスペシャルコンサート後から1年間、役目を果たさねばならない。私のDNAが次女の中で覚醒してくれれば、きっと務まる。

昨年の入部以降、人に教えるのが苦手だと言っていたのだが、途中からは何だか自分かもとひそかに感じていたらしい。そういう種類の自覚は行動はもちろん音にも出るものだ。昨年暮れからの練習振りと上達振りが、その兆候だったと感じる。先週には決まっていたのに、私には黙っていたみたいだ。「あれぇ。言わなかったっけ」などと申しているが、怪しい。私の経験から申せばパーリー体験は、オーケストラの部活動をさらに有意義なものに押し上げるだろう。

「なかなか体験できないから」とか「やるしかない」とか前向きな言葉がポツリポツリと口をついて出る。大声ではないのだが、断固たる決意が感じられる。中学時代のブラバンでは、パーリーなんてとんでもないという腰の引け方一辺倒だったのと比べると隔世の感がある。嬉し過ぎる。課題は勉強との両立だとも言っている。「部活だけの高校って無いかな?」と屈託がない。なんだかポカポカしてきた。

パートリーダーに挑む次女にブラームスのご加護を。

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