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2012年3月24日 (土)

イェーナの学士会

学生歌「我らは立派な校舎を建てた」の由来についてずっと調べている。「大学祝典序曲」op80で最初に登場する学生歌だが、どうも学生歌関連の書物に現れない。手許の解説書には、イェーナの学士会が解散に追い込まれた際に作られたとある。

イェーナの学士会は、1873年にリストを名誉会員に迎えたことで知られている。リストは委嘱に答えた作品の中で名高い学生歌「ガウデアムス」を引用している。解散に追い込まれたのは1819年のスキャンダルが原因だった。学士会活動の自由主義的風潮を指摘したコッツェブーという作家が、イェーナの学生に刺殺されるという事件が起きた。学生会活動は20世紀に入ってナチスによって統制され、かなりの数の学士会が解散に追い込まれたこともあったが、イェーナのケースは殺人事件だから深刻だ。イェーナに再び学士会が発足するのは1848年のことである。

これにより学士会のメンバーたちはちりぢりになった。この事件は周囲の学士会にも大いに影響を与えたとされている。このときに生まれたのが「我らは立派な校舎を建てた」だというのだ。ドイツの学士会活動にとっての大事件だけに、学士会関連の資料で言及されることも多いのだが、「大学祝典序曲」との関連については全く語られていない。「我らは立派な校舎を建てた」とは別のタイトルで認知されていた可能性もあるから断言は禁物だが、我が家のCDにも同じ旋律は全く出てこない。

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