大学生聯合会
森鴎外がドイツ留学中に記した「独逸日記」には、1886年5月22日に学生の決闘についての言及があることは、割と知られている。実はもう一箇所私が怪しいとにらんでいる記述がある。
1886年3月15日の記事だ。「大学生聯合会Bavariaに赴く」とある。大学生聯合会とは何だろう。学士会を指す「Burschenschaft」は独逸日記の別の場所に出てくるから、大学生聨合会が「Burschenschaft」と同一ではなさそうだ。もしかすると多数の学士会が所属する上部団体かもしれない。「Bavaria」はバイエルンのラテン語系だから矛盾がない。
1886年3月8日に鴎外はミュンヘンに来る。ミュンヘン大学で衛生学の泰斗ペッテンコーファーに学ぶためだ。だからその1週間後にミュンヘン大学の学士会に赴くのはとても自然なことだ。ライプチヒ大学でも学んではいるのだが、そこでは学士会を思わせる記述は無い。学士会に挨拶に行ったとなると、狐の騎行に興じたりしてないか心配になる。
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