ドクター
ブラームスの演奏を記録した蝋管がある話は有名だ。エジソンの蓄音機を宣伝するためにブラームスに白羽の矢が立ったのだ。1889年12月の出来事。音質は粗悪だといわれている。演奏の前にしゃべり声が録音されているのだが、これがほぼブラームス本人の声だと信じられている。
聞き取りずらいそのスピーチは「Haus von Herrn Dr.Fellinger,I am Dr.Brahms,Johannes Brahms」だと解釈されている。ドイツ語と英語のチャンポンになっているのだが、これにより録音場所がウィーンのフェリンガー邸だったことが判るし、これはフェリンガー家の人々の証言とも一致している。
英語とのチャンポンである点に加えて興味深いのはブラームスが自分を「ドクター」と呼んでいるという点だ。これには明快な根拠がある。1880年にブラームスはブレスラウ大学から名誉博士号を授与されている。大学祝典序曲の解説では必ず言及される出来事。だからブラームスはれっきとした「ドクター」である。公式な文書上では必ずそのことが反映する。この年の9月にはハンブルク名誉市民に選ばれているのだが、このときの名誉市民証にも「Dr.phil.h.c」と記されている。博士号を有する人に「Dr」抜きで呼びかけるのは大変な失礼に当たるという。貴族にとっての「von」と同じ位置づけた。初めての録音行為に当たり、相当緊張していたブラームスがしのばれる。
1889年はハンブルク名誉市民にも選ばれたし、レオポルド勲章も授与された。ドイツが認める名士になったということだ。
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