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    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

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    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

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2012年4月30日 (月)

マリーフォンタッデン

ビスマルクの妻ヨハンナ・フォン・プトカマーをビスマルクに紹介した女性。ビスマルクの前に現れたとき既にビスマルクの親友モーリッツ・フォン・ブランケンブルクの婚約者だった。ブランケンブルクを通じて何回か会ううちビスマルクは彼女に惹かれ始める。同じく彼女もビスマルクに惹かれる。

信仰深く才色兼備の女性だったと伝えられるのだが、道ならぬ恋であるということは2人とも自覚していた。おそらく、その苦しみから逃れるためだろう。彼女は自らの親友をビスマルクに引き合わせた。それが後のビスマルク夫人ヨハンナだった。

1844年にマリーはモーリッツと結婚したが、何と1846年11月には25歳でこの世を去った。ビスマルクがヨハンナと婚約するのはマリーの死から2ヵ月後1847年1月のことだ。このあたりの辻褄が妙に切ない。

1847年7月28日32歳のビスマルクが結婚した。連合州議会に初当選を果たした直後、23歳のヨハンナ・フォン・プトカマーを伴侶に選ぶ。挙式は新婦の故郷で執り行われた。

男の子2人と女の子1人に恵まれた睦まじい夫婦。ヨハンナはビスマルクより3年早く70歳で死去。ビスマルクはヨハンナの隣に埋葬するように希望した。

2012年4月29日 (日)

悪運

悪い事をしてもその報いを受けないことを「悪運が強い」という。

何の前触れも無く、マリアテレジア率いるオーストリアのシュレジーエン地方に侵入したのがプロシアのフリードリヒ大王。シュレジーエン地方は当時、石炭や鉄鉱石などの地下資源に恵まれた他に農業生産も高く、神聖ローマ帝国内で有数の豊かな地域だった。仕返しに燃えるマリアテレジアが、あろうことかポンパドール夫人と結んでフランスを引き入れてプロイセンに戦いを挑んだのが七年戦争だ。1765年のことだ。さらにこれまた女帝エリザベータのロシアも私怨から参戦。フランス・ロシア・オーストリア連合軍とプロイセンの戦争になった。

名前の通り7年戦ったのだが、フリードリヒ大王が自決を考えるほど追い込まれた。英国の援助も大きくものを言ったが、最後に窮地を救ったのがロシア・エリザベータの崩御だ。これによりロシアが戦争から離脱したことが大きい。プロイセンはいわば引き分けに持ち込んだ。とにもかくにも三強を相手に7年持ちこたえたことで、プロイセンは列強の仲間入りを果たす。

もしエリザベータの崩御が1年遅かったら、プロイセンは滅ぼされていたかもしれない。ということはつまりプロイセン主導によるドイツ統一は無く、ブラームスが勝利の歌を作曲することもなかったかもしれない。

フリードリヒ大王の悪運の話だ。

2012年4月28日 (土)

プロイセン

プロイセンは、バルト海南東部を指すドイツ語の言い回しだった。バルト三国のすぐ南の地域だ。現在はロシアの飛び地カリーニングラード州になっている。12世紀に始まったドイツ人の東方殖民によってエルベ川の東側へのドイツ人の侵攻の最終到達点が、このあたりである。カリーニングラードは、当時ケーニヒスベルクと呼ばれていた。プロシアは英語風の標記である。

このあたりの先住民がプルーセン人といい、プロイセンはプルーセン人の土地を意味するらしい。Preussenと綴る。プルーセンの語源は不明だそうだが、水辺や川に因むという説と、ポーランドから見て「ロシア」(Rus)に向かう途中という意味だという説とが知られている。

さまざまな事情があって虫食い上にはなっていたものの、ブラームスの生きていた頃、プロイセンの領土は最終的にケーニヒスベルクまでのバルト海沿岸、現ポーランドの北西部一帯に加え旧東ドイツ、さらに旧西ドイツの北半分にまで拡大する。こうした実績を背景にドイツ統一を主導したということだ。一連のプロイセンの台頭は、富国強兵を旗印に近代化を目指す日本の手本になったこと周知のとおりである。

2012年4月27日 (金)

ラインラント

ナポレオン没落後の欧州秩序を話し合ったのがウィーン会議だった。オーストリア宰相メッテルニヒが、ロシアと英国を仕切った。このときプロイセンはかろうじて勝者側だった。ナポレオン軍には数回決定的な敗戦を喫し、国土もほぼナポレオンに掌握されていた。逆転のターニングポイントはロシアの冬将軍だった。諸国民戦争で最終的に勝利を得たライプチヒの戦いでは、オーストリアの参戦がキーになった。

だからオーストリア、ロシア、イギリスに比べると肩身が狭かったのだ。プロイセンのザクセン併合の要求は案の定列強によって退けられた。代わりにとばかりにあてがわれたのが本日話題の「ラインラント」だ。文字通りライン川沿岸の地だ。プロイセン本国との間には他国領が横たわっていて、飛び地が増えたということになる。

何よりもナポレオンは除かれたと言ってもフランスはまだ強大だった。ラインラントを領有するということは、ライン川を介してフランスと国境を接するということだ。列強にとっては厄介な「ラインの護り」をプロイセンに押し付けたようにも見える。

押し付けたつもりの列強は後日羨むことになる。あるいはプロイセンが狙って獲ったのなら凄いことだ。このときにプロイセンが獲得したラインラントには莫大な石炭資源が眠っていたのだ。この地域がプロイセン産業革命の心臓部とも言うべきルール工業地帯になる。わずか50年でドイツ最大あるいは欧州最大とも目される工業地帯へと発展する。

2012年4月26日 (木)

ナポレオン

ベートーヴェンの時代でこそ風雲児ナポレオンが何かと話題になったが、ブラームスの時代になるとフランス以外では影響も薄まったと見ていい。ベートーヴェンの第三交響曲にまつわるエピソードも今は昔の感がある。ブラームスのアイドルはビスマルクであったという。ところがブラームスの同時代史としてビスマルク目線での記事を集める企画を開始するにあたって、ナポレオンは話の大前提としてはずせない。プロイセンはナポレオンに蹂躙された歴史を持つ。

とはいえ、ナポレオンの話題は書籍でもネットでも膨大な領域を形成しているから、私があらたまって記事にする必要もないので、脱線する。

同じ名前のトランプ遊びがある。5人で遊ぶのがベストなゲームだ。学生時代にはこれにもはまっていた。麻雀はいかんせん男ばかりが相手だったが、ナポレオンとなると女性にも愛好家が多かった。合宿の行き帰りや合宿先でメンツを集めてナポレオンを楽しんだ。

なかなか奥が深い上に、微妙なローカルルールもあって飽きが来ない。私もこれが好きで徹夜もよくやった。明け方になると意識がもうろうとして、「切り札何だっけ」「副官何だった」という質問が飛ぶようになる。副官でもナポレオンでも無いプレイヤーは、ひたすらおしゃべりに徹し、楽しみはセイム2とよろめきだけみたいな展開も珍しくない。亡き妻と初めて話をしたのは、夏合宿に向かう電車の中でのナポレオンだったような記憶がある。

2012年4月25日 (水)

ビスマルク特集

次女のオケをドイツまでおっかけた記憶を次々に記事にしてきた。興奮冷めやらぬ中、昨日で無理やり一区切りをつけた。ドイツの土を踏み、空気を浴びたことで脳味噌が刺激を受けた。

次なる企画は「ビスマルク」だ。「ドイツの歴史」と大きく振りかぶりたいところをぐっとこらえて、ビスマルク周辺に的を絞ることで、ブラームスの同時代を覗く企画とする。より正確に申せば、ビスマルクを軸にドイツの歴史に関する記事を取り上げる。

主役ビスマルク本名オットー・エドゥワルト・レオポルド・フォン・ビスマルク=シューンハウゼンは、1815年4月1日に生まれたプロイセンの政治家。1862年プロイセン王ウィルヘルム1世から宰相に指名されて表舞台に現れた。この就任に際しての演説から「鉄血宰相」とあだ名されている。プロイセン国力の強大化に勤め、ドイツ帝国を樹立しその宰相となる。1890年に引退して1898年7月30日に没した。

活躍の時期がブラームスと重なるからブラームスの伝でもしばしばビスマルクが言及される。まず何よりもブラームスがビスマルクを賛美していたことは記憶しておきたい。1889年5月23日にハンブルク名誉市民となったブラームスだが、ビスマルクもまた名誉市民に列せられていたことを喜んだ。

ドイツ旅行に刺激されて、気合が入ったため、かなりの長丁場になる見込み。

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2012年4月24日 (火)

ドイツコンテナ

近所のホームセンターでプラスティックのコンテナボックスを買ってきた。それにドイツ旅行の記念品を全て納めるためだ。写真や一部のパンフレット、およびチケットの類はアルバムに収納するが、その他衣料品系のお土産以外全部。バッグやぬいぐるみなど家族個人に買ってきたものは含まない。

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こんな感じ。始めは「バカじゃねーの」と言っていた長男が、知らぬ間に入れている。こういう小物は、きちんとわかるように保存しておかないと、長い間には散逸してしまうものだ。旅の思い出に限らず家族の大切な記録の整理は父親の役目。だから長男にはよい修行。収納物は以下の通り。

  • 旅行代理店から送られてきた書類一式(請求書、旅程表など)
  • お土産をいれていた袋。
  • お菓子の包み紙
  • タオルマフラーのタグ
  • キーホルダー
  • サッカーの選手カード
  • サッカーのファンブック
  • 博物館のパンフ
  • 駅のパンフ
  • 絵葉書
  • 写真データのバックアップファイル
  • 領収書

旅の記憶を保存する物証の数々。旅の記憶が磨耗するのを防ぐほか、記憶を呼び覚ますための助けになる。写真のアルバム程は見やすくないから、しょっちゅう開けて眺めることもなかろうが、ここに一式全部入っているという安心感はまた格別だ。

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  1. 2012年4月06日 独逸遠征
  2. 2012年4月07日 マイスタージンガーハレ
  3. 2012年4月08日 それぞれの目的
  4. 2012年4月09日 大写真紀行
  5. 2012年4月10日 成長のしるし
  6. 2012年4月11日 デュッセルドルフ
  7. 2012年4月12日 墓参
  8. 2012年4月13日 バイエルンダービー
  9. 2012年4月14日 裏ツアー
  10. 2012年4月15日 いかにいます父母
  11. 2012年4月16日 所作
  12. 2012年4月17日 ハプニングツアー
  13. 2012年4月18日 成人旅行 
  14. 2012年4月19日 感謝の行方
  15. 2012年4月20日 マーキング3冊
  16. 2012年4月21日 旅程表 
  17. 2012年4月22日 青雲高校
  18. 2012年4月23日 顧問の先生 
  19. 2012年4月24日 本日のこの記事。

きっちりと詰め込んだところで、ドイツ旅行特集に一旦区切りをつける。

2012年4月23日 (月)

顧問の先生

学校の部活動には顧問の先生がいる。大きな所帯になると複数の教師が駆り出されることもある。次女のいるオーケストラ部にはたしか5人だった。校内での練習はもちろん学外に出る場合には引率となる。

そしてオーケストラの演奏に不可欠の指揮者も、顧問の先生が務めている。次女の高校の音楽の先生で仮にK先生とでもしておこう。指揮と声楽を学んだ経歴がある。先生のモットーは、「音楽はハート」「部活動は情操教育」というものだ。口先だけでない証拠に、子供たちからの信頼は分厚い。確固たる信念と音楽性で生徒たちを導いている。演奏を聴けばその信頼関係が万全であることはすぐに判る。過酷な練習を生徒たちに課す一方で、礼儀、勉強への指導も忘れない。ときどきオヤジギャグを挟んで和ませる。生徒たちだけではなく、保護者からの信頼も厚い。私も心から尊敬し共感している。子供を安心して預けている。おそらく一生の肥やしだと思う。無理やり「巨人の星」で申せば伴宙太と天野先生を足して二乗したくらいの存在。

一連のドイツ公演の記事で、いやそれどころか昨年の入学以来、K先生に対する直接の言及は抑えてきた。ここで一気に放出するためだ。私が生で観た中では最高の指揮者だとあえて断言する。つまりそれはショルティより上ということをも意味する。この1年間のオケの活動に接してみて人柄音楽性を心から尊敬する。高校オケ2年間をK先生と過ごす次女の幸せを心から嬉しく思う。

ドイツ公演のヤマ場で図らずも作動し始めたスプリンクラー。動揺する客席の雰囲気が否応無くステージにも波及しかねない状況で、敢然とした姿勢を貫いて子どもたちを動揺から守りきった無言の指導力は見事の一語。彼の精神力やとっさの機転を称賛するには日本語の語彙はあまりに不完全だ。

「三角帽子」5曲目をエンディングに導いた後、彼は少しだけ客席後方のスプリンクラーを見遣るものの、オケのメンバーはその方向を見ようとするものなど一人も無く、ただ指揮者の次の指示を待つ。この瞬間に私は生徒たちとK先生の間の信頼関係の厚みを深く思い識った。K先生が意を決したようにメンバーに向き直るとき、私はその先生の表情を正面から見る位置にいた。あのキリリとした表情を私は一生忘れないだろう。緊張で固い表情とも違う。「恐れるな行くぞ」という静かな決意の乗った表情。家父長的ダンディズム。同年代の男としてうらやましい限りだ。

さあK先生のその決意が生徒らに伝わらぬハズがない。タクト一閃とともに始まった「終幕の踊り」は「スプリンクラーをねじ伏せた演奏」としてずっと後世に語り継がれるべきものだ。音楽とはまことに不思議なもので一致団結のオケの気迫は、あっけなくドイツ人にも伝わってしまう。演奏後に発生した大喝采は異質ともいえる分厚さだった。

演奏会で3度もらったスタンディングオベージョンは、指揮者K先生なくしてはあり得ない。

2012年4月22日 (日)

青雲高校

私の少年時代。「巨人の星」という人気アニメがあった。主人公は東京に住む少年。母を幼い頃になくし、父と姉と暮らす。父は元巨人軍の三塁手だが、自分の果たせなかった夢を息子に託して、厳しく野球を教え込む。高校への進学にあたっては、息子の野球環境を第一に考えて、学校を選ぶ。そのとき選ばれたのが「青雲高校」だ。

そこの野球部は弱小で、あろうことか柔道部の部長でPTA会長の息子が幅を利かせており、何かと主人公と衝突するのだが、やがては深い友情が芽生える。伴宙太というキャチャーの登場だ。無名だった野球部は予選を勝ち抜き、甲子園大会に進出。そこでも快進撃を見せ決勝にまでたどりつく。

似た話があるではないか。

私も次女の進む高校を探した。何としてもオーケストラでヴァイオリンを弾かせたいから、オーケストラ部のある学校を比較した。中2の娘を連れて行った演奏会にすっかり感激した私は、今次女が通う学校に決めた。進路選定に当たって次女との意見の食い違いも露呈したが、今では感謝されている。私は子どもの部活環境だけを考えて高校を選んだ父だ。

今ドイツから戻ってつくづく私の選んだ「青雲高校」は正しかったと思った。娘の通う学校に柔道部は無く、伴宙太こそいなかったが数多くの仲間に恵まれた。ドイツはいわば甲子園みたいなものだ。

2012年4月21日 (土)

旅程表

次女のドイツ演奏旅行に同行した。親と生徒は別行動。2度の演奏会およびニュルンベルク市庁訪問だけ合流する。以下親の部の旅程を公開する。

<初日> 

  • ルフトハンザ航空711便にて成田空港からフランクフルトへ
  • バスでレヴァークーゼンに移動。ベストウエスタンホテルに宿泊

016

<2日目>

  • 午前 ケルン市内見学 大聖堂
  • 午後 デュッセルドルフ市内見学 旧市庁舎、ライン川
  • 夜   デュッセルドルフ・聖ヨハネ教会にてコンサート
  • 宿泊 レヴァークーゼン ベストウエスタンホテル

088

<3日目>

  • 午前 ボン市内見学 中央墓地→こちら、ベートーヴェンハウス
  • 午後 ローテンブルクに移動
  • 宿泊 ローテンブルク・プリンツェンに宿泊

147

<4日目>

  • 午前 ローテンブルク市内観光
  • 午後 ニュルンベルクに移動後観光
  • 夜  ブンデスリーガ ニュルンベルク-バイエルンミュンヘン観戦→こちら
  • 宿泊 ニュルンベルク ホテルマリティムに宿泊

223

<5日目>

  • 午前 バンベルク市内見学
  • 夕方 ニュルンベルク・マイスタージンガーハレにてコンサート→こちらこちら
  • 宿泊 ニュルンベルク ホテルマリティムに宿泊 

335

<6日目>

  • 午前 カイザーブルク城見学、市庁訪問
  • 午後 自由時間 ICEにてレーゲンスブルクへ
  • 宿泊 ニュルンベルク ホテルマリティムに宿泊

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<7日目>

  • 午前 フランクフルトに移動
  • 午後 ルフトハンザ機にて成田へ

<8日目>

  • 朝 成田着

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2012年4月20日 (金)

マーキング3冊

次女のオケを追いかけるドイツ旅行に「ブラームスの辞書」5冊を持参した。お世話になる方や思いがけない知人に贈るためだ。あいにく最大の献呈先と目したシューマン協会へは持参し忘れて後から贈ったが5冊は無事に役目を果たした。

5冊のうち2冊は旅の間お世話になった添乗員の方2名に差し上げた。残りの3冊は以下の通りドイツにとどまることになる。

  1. 娘たちオケの先輩 2008年のニュルンベルク公演のメンバーだった先輩が、今語学留学でベルリンに来ていて、先日はわざわざニュルンベルクまで公演を聴きに来てくれた。
  2. ニュルンベルクのガイドさん もちろん日本人なのだがドイツ生活が長く音楽にも造詣が深い。ブラームスがお好きとのことでかなりストライクゾーン。
  3. ニュルンベルク音楽大学 上記2の方が同大学にコネをお持ちとのことで、図書館への献本をお願いした。結果はのちほど判明するだろう。

「ブラームスの辞書」は1冊およそ660gだ。5冊をスーツケースに詰めたから4kg近くになる。何としてもあちらで配ってしまわないとお土産が入らないという妙なプレッシャーがあった。逆に申せば下手にもらうと荷物になって気の毒なのだがやむをえない。上記1番はやがて日本に帰ってきてしまうが、残り2冊はあちらに残る。シューマン協会に贈ったものは、4月16日に無事現地に届いたようだ。昨日丁寧なお礼のメールがロベルト・シューマン協会から届いた。いやはやぞくぞくする。

2012年4月19日 (木)

感謝の行方

ドイツ遠征に挑む娘らメンバーはもちろん、それを追いかける一行も全て下のようなステッカーをスーツケースに貼っていた。

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昨年の震災以降1ヶ月の間ドイツの教会では毎日のように祈りのミサが捧げられるなど、日本の震災に対する思いは深い。寄付などの金銭的な援助に加え、精神的にも日本を気遣ってくれた。私たちは直接大きな被害を受けることはなかったけれど、あるいはそれだからこそみんなで元気にドイツを訪問することが出来た。それでもドイツ人は我々を「あの震災の日本からはるばる」という思いで見つめてくれた。

震災で受けた恩を日本を代表してお礼するという意識は二次的なものだった。生徒たち自身はあまりそこを起点に考えていない。大切なことだが微妙。それが目的になるとかえって道を踏み外す。うんと極端に申せば震災がなくても生徒たちの意気込みは大きく落ち込むことはなかったと思う。現地のメディアでは震災に絡めた報道が多かったし、今回に限っては集まったお金を震災遺児のために寄付するけれど、あくまでもそれは後付け。

旅行の前後頻繁に、生徒たちは関係者への感謝を口にした。暖かなドイツの人々がまずは感謝の対象だ。そのためにずっと準備を重ねてきたと申してよい。どうしたら気持ちが伝わるかを突き詰めたのが今回の公演だ。しかしそれ以外にも、感謝せねばならない人は実に多い。現地で準備に当たったコーディネーターや旅行代理店、カメラマン、同行の医師や看護師など、顧問やトレーナー以外にもたくさんの人々の協力で成り立っている。

私ごときが言わんでも生徒たちはみなわかっているが、それでもやはりみんなに感謝。そしてブラームスのご加護を。

2012年4月18日 (水)

成人旅行

3月15日に二十歳になったばかりの長男との旅行は、彼の成人記念旅行という側面があった。彼の興味はサッカーとコミュニケーション。とりわけ現地の人々との交流を楽しみにしていた。そのために少々のツールを用意した。現地の人々とのコミュニケーションのキッカケ作成ツールだ。

  1. 手作りの名札。ドイツ語で名前を書いてある。「Mein Name ist~」という具合。ついでに日の丸も描いておくことで、「ニーハオ」と声がけされないためのお守りになる。
  2. 自分の娘が第二ヴァイオリンである旨ドイツ語で大書したA4横の紙を用意した。「ブラームスの辞書」op97の持ち主でもあるドイツ語の先生にお教えいただいた由緒正しいドイツ語。ウムラウトの点はサインペンで後から打った。この力作、演奏会のホールで絶大な威力を発揮した。ロビーでくつろぐドイツ人に見せまくると大抵握手を求められた。(写真↓)
  3. 絵葉書。100円ショップで2枚100円で買ったもの。北斎や広重の絵を中心に40枚ほど用意した。ベッドメイキングのお礼や、バスの運転手さん、シャッターをお願いした人に渡した。シューマン協会で配った他ビールをおごってくれたカナダ人には5枚を奮発した。

長男は名札を見せながら現地の人に話しかけ写真を撮らせてもらうという手で、たくさんの思い出を作った。

旅行2日目デュッセルドルフでのランチの時。彼は生まれて初めてビールを口にした。当地の名物アルトビアが彼のビール初体験だ。アルト成人の祝いをアルトビアで乾杯した。ツアー同行のメンバーに祝ってもらったが、苦いといってその後はずっとコーラを飲んでいた。

いやはや珍道中だった。彼の希望でデジカメを持たせて好き勝手に写真を撮らせた。同じツアーに参加して同じ場所をうろついたとは思えないほど別のものを写していた。街の細かな表情や、子供たち、サッカーのサポーターなどドイツ人の表情が驚くほど豊かだ。全部で108枚の渾身の写真集をお見せできないのが残念。

景色や人々とのふれあいを文字通り寸暇を惜しんで楽しんでいた。毎朝の早起きでの散歩もいやがるどころかすすんで出かけるし、夕食後の散歩にも行きたがって。私はもちろん望むところなのだが、妙に嬉しかった。

持たせた小遣いの使い途も私の想像の斜め上を行くものばかり。同行したツアーのメンバーとも折り合っていたようだ。

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和訳)私の娘はセカンドヴァイオリンです。

   ここで演奏するのを楽しみにしていました。

   娘たちはこの日のために一生懸命練習しました。

2012年4月17日 (火)

ハプニングツアー

娘のオケを追いかけた6泊8日のツアーは実のところハプニングの連続だった。

  1. 出発が3時間半遅れた。使用機の到着が遅れたためだ。何でもドイツの管制官のストライキが原因らしい。ドイツでの滞在が短くなるのだからおだやかではない。航空会社から一人2000円分のミールチケットが出たので、それを使って寿司で朝食を摂った。
  2. やっと離陸した機内での出来事。長男がドリンクのカップを捨てるために席をたった。入れ違いに赤ん坊を抱いた母親が通路をトイレに急ぐ。途中で赤ん坊が嘔吐。汚物が長男の席にかかった。運よく席を立っていた長男はすぐに自分のハンカチを取り出して後片付けをしようとしたが、スチュワーデスさんに止められた。席はもう使えずに別席をあてがわれた。平謝りの母親に長男は笑顔で対応。赤ん坊をやさしくあやして、手持ちのおもちゃを与えた。このやりとりで場の空気が和んだ。わが子ながらあっぱれ。
  3. デュッセルドルフのシューマンハウスにシューマン協会を訪ねた。「ブラームスの辞書」を手渡すためだ。それなのに肝心な「ブラームスの辞書」をバスに置き忘れた。あとから送る約束したが残念。
  4. 2日目の朝レヴァークーゼンのホテルを出ようとしたら、バス2号車のバッテリーが上がってエンジンがかからない。しかたなく1号車に乗れるだけ乗って残りはタクシーでケルンに向かった。
  5. 4日目バンベルクで、2号車の運転手が交通違反。警官が調書をとるので、2号車発車出来ず。また1号車と合流した。
  6. 演奏会当日のスプリンクラー事件。
  7. 泡の消えたヴァイスビアをリンゴジュースと間違えた事件もあった。ヴァイスビアはビールの中に酵母Hefeが残っていて白くにごっている。泡が消えてしまうとリンゴジュースそっくりだ。
  8. 5日目。長男とニュルンベルクで午後の自由時間を利用してドイツの新幹線ICEに乗車。ドナウ川を見にレーゲンスブルクに行った。おまけにここの大聖堂は世界遺産で、片道およそ一時間と手ごろ。帰路適当に飛び乗ったのが運のつき。車両間の行き来できないところがあって、指定席にたどりつけなくなった。途方にくれているととある男性が助けてくれた。どうせ席につけないならと開き直って食堂車で過ごすことにしたら、その男性がやってきてビールをおごらせてくれといってきた。パスポートを見せて怪しいものではないと自己紹介までしてくれたので甘えることにした。長男はコーラで同行の女性3名もコーラ。私だけがビールだったが、とてもおいしかった。カナダ人にビールをおごらせた男である。

いやはやいろいろあったが、やっぱりドイツが好きだ。住んでみたいくらい好きだ。

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名物「ドナウ川のさざなみ」

2012年4月16日 (月)

所作

好きな言葉だ。

娘たちのオケの演奏を聴いていつも思うことがある。特にドイツではそうだった。音楽の周辺にある子供たちの立ち居振る舞いが、演奏から生ずる感動に一役買っている気がしている。音程や縦の線があっているほかに、音楽の目指すところが明快な上にメンバーがそれを共有しているのが大きい。おそらくこれにお互いの音を良く聴けていることも加えてよいだろう。

さらに彼女らがステージで見せる所作が演奏の印象向上に大きく貢献している感じだ。

弦楽器奏者たちの弓順がピタリとあっている。タクトが降りる直前の管楽器奏者たちのブレス。コンマスのボディアクション。指揮者を見据える目。これらは演奏の最中に頻繁に確認できる。

演奏の前、ステージに入ってくるメンバーの歩き方が実にすばらしい。あくせくはしていないのだが、無駄な所作が一切無く規律を絵に描いたよう。演奏の前後、起立するときの揃い方は見事だ。難解なソロがあった奏者を、指揮者が一人で立たせる場面。変に照れることなく、堂々と立ち上がって拍手を受ける。一般の演奏会と違って、管楽器では組曲の1曲ごとに、持ち場が変わる。つまり曲の合間に座席移動があるということだ。娘たちの演奏会に関して申せば、曲間のこの移動がまったくストレスにならない。むしろあまりに整然と遂行される様子が鑑賞の対象でさえある。

まだある。「朧月夜」を歌うために管楽器全員が音も無くスックと立ち上がる光景は、それだけで感動的だった。まだ一音も発する前に既にこちらの心に届くものがある。あるいは起立して拍手を受けている間の、楽器の持ち方がとても美しい。頭のてっぺんからつま先まで気持ちが行き届いているとでも申すべきか。それでいてほんのりとした笑顔も忘れない。規律と呼ぶにはあまりに優雅。

ドイツの聴衆に気持ちを届けようと必死なのだ。演奏の内容はもちろんのこととして、それ以外でも出来ることは何でもするという決意が所作に現れている。どうしたら気持ちを伝えられるかを、生徒たち自らがじっくり突き詰めた結果だ。どうも生徒らは、演奏会トータルでものを考えている形跡がある。お客様をお迎えする開場から、ロビーでのお見送りまでをセットで考え、演奏そのものはあくまでもその一部。全体の運営がユルユルで演奏だけが極上などということはあり得ない。演奏会の細部にこだわり、流れが事細かに決められて忠実にそれを遵守する。突き詰められたその頂点に演奏が鎮座する。

揃っているのは音だけではない。心が揃っているとでも申すべきか。

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続々と詰めかける聴衆。親戚のコネの無いドイツでこの入りを見ただけで感動。

2012年4月15日 (日)

いかにいます父母

娘らはプログラムのラスト「OKINAWA」の後と、1曲目のアンコール「オーメンズ」の後で、総立ちのスタンディングオベーションを受けていた。次のアンコール曲が唱歌「ふるさと」だった。メンバーが入れ替わり立ち代り歌う。冒頭は管楽器メンバーの歌唱。弦楽器が伴奏に回る。2コーラス目今度は木管楽器の伴奏にのって弦楽器のメンバーが歌いだす。

「いかにます父母」「つつが無しや友がき」

弦楽器のメンバーが少しだけ身体を客席に向けて歌うのだ。これで保護者の涙腺がほぼ完全に決壊。親と友を思い遣る繊細で優しい歌詞が、ぐっと胸に迫る。ここはドイツだという思い。そこでわが子がドイツ聴衆の喝采を浴びているというスペシャルな感慨。そこにかぶさる聴きなれた「ふるさと」の旋律が、ああここに来てよかったという確信を呼び覚ます。

続いてはヴォーカルを含まずにオケが器楽でワンコーラス入れる。何という優しい旋律。ショスタコやファリャと同じオケだなんて信じられないくらい。

そしてラストコーラスは再び管楽器が歌う。「志を果たして、いつの日にか帰らん。山は青きふるさと。水は清きふるさと」歌いだしの瞬間鳥肌がたった。今まで聴いた中で最高の「ふるさと」だった。

アンコール2曲目のこの「ふるさと」がドイツ公演最後の演目だとみな知っている。「志を果たして」は2年間準備した2年生にとっても1年間携わった1年生にとってもまさに実感だったはず。そして今ラストの演目を心を込めて歌っている。「いつの日にか帰らん」と歌う自然な流れ。ピアニシモでしっとりと終わったあと、一瞬の間をおいてとてもウエットな拍手。間違いなくドイツ人にも伝わっている。テキストの意味を知るはずもないドイツ人が真綿のような拍手。指揮者がメンバーを立たせ、3度目のスタンディングオベーションが始まるまで言いようもない暖かな拍手だった。

Dankeschon Deutscheland!

2012年4月14日 (土)

裏ツアー

次女を追いかける6泊8日のツアーは、某旅行代理店により綿密に練り上げられたものだ。娘らの演奏会2回を中心に、デュッセルドルフやボンなどのブラームスゆかりの地も織り込まれている。さらにボンからローテンブルクへの移動はアウトバーンを使わずにコブレンツ経由でライン川沿いをマインツに抜ける景勝ルートが採用されていた。芸が細かくて関心した。

実に良くできたツアーなのだがそこはあくまでも団体行動だ。単独行動は許されない。けれども長男と私はそこに一工夫をした。朝早起きして出発前にホテル周辺を探検するのだ。あるいは、昼間のわずかな自由時間を有効活用するのだ。連日の過密日程に疲れ果てて朝寝坊などというのはもってのほか。「寝るなら日本で」が長男との合言葉になった。6度訪れる朝全てで2時間散歩すれば12時間になる。バカにならぬ収穫の一端を示す。

  1. 2日目。レヴァークーゼンの朝。時差ぼけのせいで4時には余裕で起床。5時にホテルを出てレヴァークーゼン駅へ5分ほどの道を歩いた。店はほぼ全部しまっているが駅前のカフェはちらほら開いていた。レヴァークーゼンミッテ駅でうろついていると、駅前に地図。よくよくみるとブンデスリーガ1部レヴァークゼンのホームスタジアム、バイアレナまで徒歩10分と判明。一旦ホテルに戻ってバイキングの朝食をすませた後、7時に出直してバイアレナに向かう。絵に描いたような小川があって、その畔を気持ちよく歩く。本当に10分でスタジアムにつく。クラブハウスには人がいたので、フィールドを見せてほしいとお願いしたが、それはさすがに無理だったものの、同クラブのファンブックを無料で持ち帰ることが出来た。
  2. 2日目。みながケルン大聖堂を見学している間、ケルン中央駅に行く。駅からの大聖堂の眺めが凄い。駅はツアーに入っていないから写真をとるならゲリラしかない。
  3. 2日目。午後の自由時間にシューマンハウスに突撃。まんまとシューマン協会に潜入した後、市電でデュッセルドルフに行く。駅に入ってここでもさんざん撮影。
  4. 3日目。同じくレヴァークーゼンの朝。同行したツアー客の中のサッカー好きの親子に声をかけてもう一度スタジアムへ。雨の中の散歩になったがそれもまた風情がある。
  5. 4日目。ローテンブルクの朝。おもちゃのようなローテンブルク駅に向かう。1本到着する列車を待つが客がいない。駅前の地図でスタジアムを探してそちらに向かう。駅前のカフェでパンを買ってかじりながらの散歩。スタジアムとは名ばかりでイスが少々ついた練習場というニュアンス。どんな街にもサッカー場があるという見本だが、前日のバイアレナとは雲泥の差。朝食後にまた散歩。市街にとってかえして人出が始まる前に名所を撮影。
  6. 4日目。サッカー観戦の後夕食をすませてから、街に出た。あちこちの残っているサポーターと交流を深めるためだ。首尾よく何枚か写真がとれた。その後駅に出向いてレーゲンスブルクまでのICEのチケット購入。
  7. 5日目。朝食前にさっそくニュルンベルク駅に向かう。さすがに大きい駅なので開いている店も人も多い。改札がないからホームまでは無料で行ける。長男はマックでポテトとチーズバーガーを食べる。朝なのに朝食メニューではなかった。ホテルでの朝食後、前日サッカーに出かけたために市内観光が出来なかったので、その埋め合わせのために市内をブラブラと歩く。死刑執行人の橋がお目当てだが、鉄道模型のメルクリンのショップも見つけた。
  8. 5日目。娘らの演奏会前に着替えのための休憩が1時間。女性はほとんどお色直しなのだが、私ら親子はこの隙にホテルから近い鉄道博物館に突撃した。ショップでの買い物も含めておよそ45分でホテルに帰還。ニュルンベルクでの自由行動が月曜日で、博物館は休みのための苦肉の策。
  9. 6日目。演奏会翌日だがめげずに今度はニュルンベルク市街へ。
  10. 6日目。午後ニュルンベルクでの自由行動。ツアーの中で最長の自由時間を使ってドイツの新幹線ICEに乗車。レーゲンスブルクまで片道60分の鉄道の旅。ドナウ川を見て、ドイツ最古のソーセージ屋台を見て、世界遺産の大聖堂を見て60分の滞在でとんぼ帰り。車内でカナダ人にビールおごらせた。
  11. 6日目。レーゲンスブルクから戻って夕食までの時間を街で。駅のスシバーで寿司を買い食いする長男。
  12. 7日目朝。最後の朝。思い切って地下鉄に乗る。隣町のフュルトまで16分の旅。1835年にドイツ発の鉄道が敷かれたのがニュルンベルク-フュルト間だから、鉄道好きにとっては当然のチョイス。帰りは地下鉄でなく在来線に乗る。普通の通勤電車だ。

上記の行動は、ツアーの予定外だ。同じ価格で人より多く楽しむためのささやかな工夫。ドイツの街の空気を少しでも吸っていたいと親子の意見はいつも一致する。そして何よりもブラームスは朝の散歩を愛した。

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2012年4月13日 (金)

バイエルンダービー

ドイツブンデスリーガ1部、バイエルンミュンヘンとニュルンベルクの対戦のこと。ミュンヘンとニュルンベルクは直線距離でおよそ150km離れているのだが、同じバイエルン州ということもあって、バイエルンダービーと言われている。次女を追いかけるドイツ旅行のもう一つの楽しみがサッカーだった。長男の目的はむしろこっちだ。ドイツは気候のいい夏に旅行されるケースが多いが、演奏会やサッカーを考えると冬も悪くない。2部や3部まで入れれば平日でも何かしらのカードがテレビで観戦できる。

1部は毎週末金土日に試合がある。金曜日に1試合、日曜日に2試合で残りが土曜日。3月31日から4月2日までニュルンベルクに滞在するから、うまく日程が合えばと楽しみにしていた。

当節の対戦はニュルンベルクvsバイエルンミュンヘンのバイエルンダービー。これが3月31日になった場合のみ観戦が可能だったのだが、見事ピタリとはまった。翌1日の日曜になっていたら、次女たちの演奏会と重なるので観戦は無理であった。前日はローテンブルク宿泊だから、どちらにずれてもNGだったのに、強運が発動された。

バイエルンダービーの場所は、ニュルンベルク市郊外のイージークレジットシュタディオンだ。演奏会の会場マイスタージンガーハレにも近い。15時30分のキックオフより少し前にテンションを高めて会場入り。何度も観戦したJリーグの試合とは別次元の興奮である。しかも当地では年に一度のバイエルンダービーとあって、雰囲気が既に極上。

熱気もなのだが、サポーターにはやはり大男が多くて、180cmある私と長男も埋もれ気味。喧嘩寸前の小競り合いは何度も見た。名GKノイアーが守るバイエルンゴールを真横から見る位置。後半にはロッベンがコーナーキックを蹴りにやってきた。前半スコアレスで折り返したもののとうとう後半にバイエルンが先制。アウェイながらかなりのサポーターがいた。

長男も私も大満足。グッズをしこたま買い込んだ。

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2012年4月12日 (木)

墓参

旅行前半のヤマはデュッセルドルフのシューマンハウスとともにボンの墓参り。訪問は旅行3日目の3月30日。レヴァークーゼンのホテルを出てボンに直行。バスの駐車場からあっけないほど簡単にシューマンの墓にたどり着いた。天気は小雨。

1856年7月31日ロベルト・シューマンがここに埋葬された。もちろんブラームスは参列。棺も担いでいる。そこから40年後の1896年5月クララがここに埋葬される際にもブラームスが立ち会った。列車の乗り継ぎのトラブルでギリギリ埋葬に間に合った。

何より現在の華麗な墓碑は1880年5月にブラームスら愛好家が募金を集めて建立したものだ。除幕式は5月3日。前日のコンサートではブラームスがタクトをとった。

ここはそういう場所。「由緒ある」などという言葉で片付けられないパワースポットだ。失態が一つある。花束の一つも用意すればよかった。

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2012年4月11日 (水)

デュッセルドルフ

1853年10月1日シューマン邸をブラームスが訪ねたことで音楽史が変わった。そのシューマン邸があったのがここデュッセルドルフ。2日目3月29日午後に訪問した。昼食の後市庁舎前のライン川に行く。ちょうど1854年2月27日にロベルトが投身したといわれている場所に近い。とうとう来てしまったかという感じ。ケーニヒスアレーに戻って解散し自由行動。ビルカーシュトラーセ15番地にあるシューマンハウスに一目散だった。もちろん練りに練った予定の行動。

夫妻の部屋は2階だそうだが1階にシューマン協会の事務所がある。ドアは施錠されている。思い切って呼び鈴を押すと中に人の気配。協会のお兄さんが出迎えて、中に招き入れてくれた。日本から来たブラームス好きですとつたえ、レクイエムの3楽章の独唱を口ずさんで見せると「レクイエム」という嬉しい反応があって意気投合。訪問者名簿にサインした。感動して声が上ずってしまう。

ここで大失態が発覚。献呈するつもりだった「ブラームスの辞書」をバスにおいてきた。あちゃーという顔をした私を、長男が慰める。日本に帰ってから私の著書を送るから受け取ってくれと伝えると、名刺を取り出して住所欄にマーカーを引き私に差し出す。お礼に日本から持参した北斎の絵葉書を渡すとえらく喜んでくれた。

シューマン協会オリジナルの絵葉書32種類壁に飾ってある。1枚40円程度なので全部くれと申し出ると驚いた表情。一度に全部買う客は初めてだそうだ。長男が彼と私のツーショットで写真を撮ってくれたが、個人情報なので非公開。

門を出るとき、長男にドアをたたく仕草をさせて一枚撮った。シューマン邸を訪ねたブラームスは二十歳だった。3月15日に二十歳になったばかりの長男の出番というわけでこれを公開する。

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長男の希望で市電に乗って駅に行く。夕食まで少し街を観察することにした。

夕食後デュッセルドルフの中心街ケーニヒスアレーの東すぐに位置する聖ヨハネ教会で次女たちのオケが最初の演奏会を開いた。3月29日19時の開演。

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プログラムは以下の通り。

  • 和太鼓演奏 菅谷大樹:「ひかり」 「日本から来ました」という名刺代わり。打楽器担当の生徒8人が大小さまざまな打楽器9種類を演奏する。「気をつけ。礼」という挨拶に始まって同様の挨拶で終わる。本当にユニークで和の魂にあふれたオープニングでアウェイ聴衆の心をいきなり鷲づかみ。弦楽器の席を全部取り払った場所での演奏。次の作品の前に弦楽器奏者の椅子を並べねばならないのだが、その手際のよさは見事なものだ。整然としたその動きを見ているだけですがすがしい気持ちになる。

<セレモニー>

日本国デュッセルドルフ総領事の挨拶。日本青年館の挨拶。デュッセルドルフ市長からの挨拶。県知事からの親書と記念品の贈呈があった。

  • ワーグナー:マイスタージンガー前奏曲 
  • オルガン独奏 バッハ:「主イエスキリストよ我ら汝に感謝し奉る」BWV623
  • オルガン独奏 バッハ:「神よ我らを助けたまえ」BWV624 日本ではありえぬくらいの長い残響。教会独特の響きがもっともマッチする。客席からはオルガンの席は見えない。演奏のはじめと終わりにバルコニーみたいなところに出てきてお辞儀。本場の教会で聞くオルガン。
  • 高野辰之作曲、岡野貞一作詞「朧月夜」 
  • 山田耕作作曲、三木露風作詞「赤とんぼ」  
  • シャルパンティエ:テデウム ここから現地のユースオケとの合同演奏。
  • ビゼー:カルメン組曲より「前奏曲」 
  • ビゼー:カルメン組曲より「ジプシーの歌」 
  • 川手誠:「OKINAWA」 世界初演。再び次女たちのオケだけの演奏。
  • マスカーニ:「カバレリアルスティカーナ」より間奏曲 

200人の聴衆にはお年寄りも多い。杖をつきながら倒れこむように着席してじっと聞き入ってくれた人もいる。およそ15万円の寄付が集まり、全額を小児ホスピスに寄付となった。

さて、昨日シューマン協会へ「ブラームスの辞書」を贈る手配をした。SchwarzKatzeで名高い会社の海外便を使って3100円だ。およそ1週間で届くはずだ。

2012年4月10日 (火)

成長のしるし

次女たちの高校オケのドイツ公演は2年おき。実質部活動は3年の5月に終わるから、やめずに続けていればみんなが必ず参加できる計算になる。けれども、そのドイツ公演に2年生として参加するか、1年生で参加するかはめぐり合わせ次第となる。こればかりは本人の意思や努力ではコントロールできない。

ドイツでのステージで前面に出るのは2年生だし、流れを仕切っているのも2年生だ。1年生にだって役割はあるし、かけがえの無いメンバーであることは間違いないのだが、弦楽器はともかく管楽器奏者にとっては微妙。

そこのところを娘に訊いてみた。「ドイツには2年生で行きたかった?それとも1年生で行きたかった?」という意味。次女は「1年生」と即答。この大イベントが部活現役生活の最後に来るというのもストーリー性があってよいけれど、この経験を元にもう一年やれるというのが貴重だからという理由も即答だった。

おろかな質問をしたものだ。アンコントローラブルな事柄なのだから、それらを受け入れるしかない。受け入れる以上「やっぱり2年で行きたかった」などどウジウジ考えるハズもない。自分なりに答えを見つけて割り切っているに決まっている。

もし2014年公演が実現すると、そのとき主役の2年生は、今年入って来る子たちになる。次女にとっては一つ後輩だ。その後輩にドイツの経験を話し、主役を張る自覚を持ってもらうことが私の役目だなどと驚きの発言まで飛び出した。

それこそがオケの伝統なのだと痛感した。1年間ですっかりオケシップが身についた。昨日その新入生を迎える入学式で、演奏を披露した。式後勧誘のためのアンサンブルにも参加したという。4日に帰国してから1日だけ休んですぐまた忙しい部活である。

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レヴァークーゼンの小川のほとりでみつけたスイセン↑

2012年4月 9日 (月)

大写真紀行

帰国した翌々日から部活が復活した次女。バタバタしていて旅の感想をまとめて聞く機会が持てていないが、印象はよかったようだ。「また行きたい」という一言が全てを物語っている。

次回またドイツ公演があるとすれば、今年入学してくる新入生が主力となるはず。彼らにドイツのすばらしさをきちんと伝えるのが私たちの役目だと殊勝なことを言っている。なんだか成長した感じ。

さて、我々親子3人は、6泊8日のドイツ旅行で、1600枚の写真を撮影してきた。シャッターを切った数ならもっと多い。ピンボケやダブリなどを削除してこの数だ。内訳は次女90枚、私550枚、長男1000枚だ。このほどその写真が整理できた。250枚収納のアルバムにして7冊になる。撮影の時間順に並べるのではなく、「鉄道」「ビール」「演奏会」「人物」「景色」「建物」「グッズ」などのテーマ別の構成になっている。我が家の宝物が加わった感じ。

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全7巻。中央の小さなアルバムは失敗写真用↑

  1. 青 レヴァークーゼン・ケルン・デュッセルドルフ・ボン
  2. 青 ボン・ライン・ローテンブルク
  3. 青 ニュルンベルク・バンベルク
  4. 赤 人物・サッカー・グッズ
  5. 赤 看板・乗り物。演奏会
  6. 緑 ビール・食べ物・路面電車・地下鉄
  7. 緑 鉄道・インデックスプリント
  8. 黒 失敗作・予備

青色のアルバムでは旅行全体の流れを追いかける。ローテンブルク、バンベルク、ニュルンベルクなどの歴史的景観、あるいはボン、デュッセルドルフなどの街並みはこちらで。

赤色のアルバムは主に長男のプロヂュース。緑色は私の担当。黒はピンボケ写真や同等の写真の重複を避けるためにアルバムからは排除された写真。これだけでも100枚以上ある。捨てる訳にもまいらず別途収納。

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これはデータのCD↑

次女の写真。最近の携帯電話の画質はすばらしい。何気ない景色が驚くほどシャープできれい。長男は何と言っても量。ICEやアウトバーン走行中の車窓からの景色が丹念に拾われている。街の表情の切り取り方にも独特の個性がある。サッカー場の写真も多い。ピントがずれた写真が多いのが残念。私のは鉄道関係が充実。さすがに演奏会の写真も多い。これは次女が撮影できないから私と長男でまかなうほか無かった。

このうちブログで公開しても差し支えのないものだけ公開することにした。左サイドバナーおみくじの下、掛け軸の上からアクセス出来る。今回はこちらからもどうぞ。新しいものほど上にあるので、一覧表の最下段の写真から入り前へ前へとたどると時間順にご覧いただけます。

2012年4月 8日 (日)

それぞれの目的

ドイツに渡る長男、次女そして私には以下の通りそれぞれに目的があった。

<次女>私と長男をドイツに連れてゆく功労者。

  1. ドイツでの2回の演奏を成功させること。これは達成した。
  2. きれいな景色を見ること。これも達成した。
  3. かわいい小物を買うこと。結局みんな達成。

<長男>20歳の記念にちゃっかり便乗。

  1. サッカーを見ること。グッズを買うこと。のちほど記事にします。
  2. 現地の人と出来るだけコミュニケーションすること。これは特に大きく達成。

<私>念願かなう。

  1. 次女の演奏に念を送ること。ダメだった。逆にドイツ人から念をもらった。
  2. 鉄道関連情報を集めること。ツアーには入っていないのにがんばった。
  3. サッカーを見ること。後で話します。
  4. ビールを飲みまくること。朝食以外は毎食ビール。
  5. ブログネタの収集。これも上出来。

特に長男の二番目の目標は大きな成果となった。あちこちの街で積極的に現地の人に声をかけ、写真を撮らせてもらった。ドイツ人の笑顔ばかり集めた写真集を作ることが出来た。顔は個人情報の最たるものだから、ブログ上で公開できないのが残念だ。「いつ撮ったの」と同行した私が呆れるくらいの数。絶景の写真と同じくらい素晴らしい。

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ニュルンベルクの桜↑

2012年4月 7日 (土)

マイスタージンガーハレ

思わぬハプニングが、かえってメンバーの闘志に火をつけた4月1日のニュルンベルク公演だった。その会場の名前が「Meistersingerhalle」という。ニュルンベルク市直轄のホール。ここの大ホール(GrosserSaal)で演奏させてもらった。2200人収容のホールなのだが、満席。お客さんの入りを見ただけで感動。入場無料とはいえ大したモンだ。生徒たちにとっての夢舞台。親たちにとっても感動モンで正直なところ膝が震えた。

演奏会のプログラムは以下の通り。

  • 和太鼓演奏 菅谷大樹:「ひかり」 「日本から来ました」という名刺代わり。打楽器担当の生徒8人による熱演。アウェイ聴衆の心をいきなり鷲づかみ。
  • ワーグナー:マイスタージンガー前奏曲 そりゃここはニュルンベルクで、ホールはマイスタージンガーハレだから。今度こそフルオケのご挨拶。
  • ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」全曲 前半のヤマ。およそ35分の大熱演。5曲目の途中でスプリンクラーが泣き出すほどの熱演。最後にもらった喝采の奥行きに涙が出そうになった。

<休憩> 事故処理のため結果として60分の休憩後、ニュルンベルク市長の歓迎の挨拶があって学校長の答辞が続く。

  • ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」第4楽章 あんな事故があったのに、何とか演奏会を続けられる喜びをのせた演奏。ファリャエンディングの勢いがそのまま持ち越された感じ。第2部いきなりのパンチ。スプリンクラーの落涙を正面から見る位置にいたティンパニの勝利の打撃で曲を終えると帰らなくて良かったとばかりの大喝采。
  • オルガン独奏 バッハ:「主イエスキリストよ我ら汝に感謝し奉る」BWV623
  • オルガン独奏 バッハ:「神よ我らを助けたまえ」BWV624 もちろん生徒の演奏。ホールに充満する響き。イスによじ登るようにたどりついた少女の堂々たる演奏。
  • 吉俣良作:篤姫のテーマ 和太鼓の力強いソロで始まるドイツ旅行バージョン。
  • 吉俣良作:江のテーマ 静謐なピアノ独奏で始まるが、これも第一ヴァイオリンの生徒でピアノとのかけもち。
  • マスカーニ:歌劇「カヴァレリアルスティカーナ」より間奏曲 冒頭いつくしむような第一ヴァイオリンの音色に目頭があつい。はっとして耳を疑うばかりの美音。ベタな表現ながらビロードのよう。途中でオルガンが重なったときの響きの厚みは比類が無い。この子らの本領は、ファリャやショスタコよりもむしろこっちかもと思わせる。表現の幅にただただ脱帽。
  • 高野辰之作曲、岡野貞一作詞「朧月夜」 指揮者の合図で管楽器の生徒が音も無くスックと立ち上がる。この所作の段階で、既に何かが伝わってしまった感じ。弦楽合奏つきの女声合唱だ。日本の歌っていい。ドイツ人は歌詞の意味なんぞわからハズなのに、打撃性の低いウエットな拍手。
  • 山田耕作作曲、三木露風作詞「赤とんぼ」 朧月夜と同じく生徒たちが歌う。こちらは新世界交響曲第2楽章にも似た金管の芳醇な和音も楽しめる。
  • 川手誠:「OKINAWA」 民族衣装を着た生徒7人がサンシンの伴奏で踊りを披露。舞台袖のコンミスを含む4名がサンシンを弾きながら、悠々と歌う。これに乗って踊り手7名がつばの広い帽子をかぶりうつむき気味に歩いて入場。時間の目盛りが今までの演奏とは完全に異質。AndanteだAdagioだという価値観とは隔絶したトーン。手に隠し持ったカスタネット風の打楽器の乾いた打音がキリリとした緊張感をかもし出す。踊り手の顔は見えない。かすかに口紅の赤だけがチラリと見え隠れする。最初と同じく時間をかけて袖に引っ込むと沖縄民謡に題材を求めた事実上の交響詩。今まで踊っていた7人が、一旦引っ込んだ後、民族衣装のまま持ち場に戻ってケロリと弾き始める。どうなることかと思ったら、総立ちのスタンディングオベーションが待っていた。左前方の男性が立ち上がったと思ったらまたたくまにほぼ全員が立ち上がった。座っているのは我々日本人だけみたいな感じ。

<アンコール>

  • 「オーメンズオブラブ」 ノリノリのポップオケに変身。フィギュアスケートのエキシビション演技のノリ。曲の途中で2人のサックス奏者が中央に躍り出てソロを吹く。ソロが終わるとペコリとお辞儀をしてやんやの喝采。一人が第一ヴァイオリン、もう一人がコントラバスに戻って弾き始めるとまたバカ受け。演奏後はスタンディングオベーションのお代わり。
  • 高野辰之作曲、岡野貞一作詞「ふるさと」 キレッキレ、バカ受けのあと、超しっとり系のしめくくり。各セクションのかわるがわる歌うバージョン。「いかにいます父母」のところは弦楽器が木管を伴奏に歌う。親はもちろん涙なのだが、1階3列目の在ニュルンベルク日本人の女性も泣いていた。
  • 鳴りやまぬ歓声を抑えて、指揮者が再びメンバーに向かう。優雅にタクトが下りると生徒たちが声を合わせて「Eins zwei drei!auf wieder sehen」と語りかけ、皆で手を振る。歓声が一旦爆笑に変わり、そしてすぐにスタンディングオベージョンが再開。ステージでは生徒たちどうしで握手とハイタッチが繰り広げられた。

もりだくさんの内容15時半の開演で19時終演。ここ1年かけてずっと磨き上げてきた曲ばかりで、日本でも何度も聴いたのだが、ドイツではまた格別な味わいがあった。子供らの演奏がどうというより、それを聴いたドイツ人の反応が感動的。その反応に子供らが乗せられてという相乗効果。それを親として体験できた私は幸せ者。私が親バカという論理では説明がつかないドイツ聴衆の反応。涙にくれる我々が生徒たちの保護者だとわかると、もらい泣きのドイツ婦人が手をさしのべて抱き合うという暖かな光景を実際に目の前で見た。

お開き後、生徒たちは楽屋に楽器をおいてロビーに出る。寄付のお願い。一人ひとりに手作りのフラワーアートを手渡す。同行の保護者も入り混じって笑顔の輪があちこちに。集まった寄付は、紙幣のみの速報値ながら日本円でおよそ130万円だという。

ここに私を導いてくれた娘に感謝。

2012年4月 6日 (金)

独逸遠征

一昨日、次女がドイツ演奏旅行から帰国した。3月28日出発で4月4日帰国の8日間。デュッセルドルフとニュルンベルクで演奏会を開いた。

生徒たちのドイツ演奏旅行を追いかける保護者向けのツアーが募集されたので、私と長男も参加した。夢のような8日間。今は何から話そうかという状態。アラビアンナイト計画を少し中断して、その模様を特集にする。

次女の高校進学で、私が今の学校を推薦したのはまさにこの演奏旅行が最大の要因だった。日本のクラシック音楽愛好家にとってドイツは憧れの地。高校生の部活オケの分際でそんな本場に乗り込んで日頃鍛えた業を披露するなど、そうそうある話ではない。ホームアンドアェイが文化として底流するサッカーであれば、アウェイではそれ相応の理不尽も覚悟せねばならぬ。本場ドイツの聴衆の反応が楽しみというより心配だった。

全くの杞憂。

何と言ってもメインは4月1日のニュルンベルク公演だったのだが、そこで想像を絶するハプニングに遭遇した。一部の最後を飾るファリャ作曲バレエ組曲「三角帽子」の第5曲中盤、ホール客席後方でいきなり破裂音。最初はシンバルか何かを落したのか思って、音のした方向を眺めると、壁板が外れてスプリンクラーから水煙が上がっていた。辺りの椅子が既にびしょぬれの状態。ざわつく客席、動揺が広がって行く。

生徒たちはと見れば、そちらの方向に意識をとられることもなく演奏を続けているが、聴衆の狼狽は徐々に拡大伝染している。指揮者は第5曲をエンディングまで導いた後、客席後方の異変に明らかに気づいた様子だったが、一瞬の間のあと意を決したようにオケに向き直り、さあ行くぞとばかりにタクトを一閃させた。オケのメンバーは何事も無かったように棒に従う。「2年間準備してきたニュルンベルク公演をこれしきのトラブルで台無しにされてたまるか」という、気迫が演奏に乗りうつる。結果かつてない「終幕の踊り」になった。尋常ならざる気迫が込められた凄絶なファリャ。

その決意は音を通して直ちに聴衆に伝わる。相変らず噴霧を続けるスプリンクラーの存在は次第に意識の隅に追いやられてゆく。オケにも聴衆にもこのハプニングをねじ伏せてやるぞという気合が充満し始めた。結果として過去最高のファリャ。終止和音と同時に、ものすごい喝采が沸き上がった。およそ歓声4、拍手3、口笛2、噴霧音1の割合。演奏を終えたオケにかわって聴衆の喝采がノイズをねじ伏せたかのよう。それはそれは感動的な光景。これを見たメンバーの一部が泣き出す始末。

程なく場内アナウンスが、ホールからの退去を促す。ロビーに集まった聴衆は、コーヒーやビールを片手にくつろぎ始めた。我々親は不安いっぱいだったが、ドイツの聴衆は再開を疑っていない風情。やがてロービーからも退去を命じられる。少しずつ駐車場に向かう人も出始めた。これら諸現象の原因が把握できるまで再開は見込めない様子。幸い間もなくロビーへの入場が認められた。程なく30分後に再開とアナウンスされたとき、耳を疑った。ロビーで待つ聴衆から盛大な拍手が沸きあがったのだ。待ってるから続きを聞かせろの意思表示だ。これには目頭が熱くなった。楽屋にいた生徒たちにぜひとも伝えたい話。

考えても見て欲しい。演奏会の本番中に、客席にむかってスプリンクラーが作動した経験の持ち主が、どれほどいるというのだろう。大多数の人にとって初体験想定外のハプニングに遭遇した生徒らの態度は立派の一言。「我々が演奏をやめるのは指揮者が止めたときだけ」と腹に決め、団結して棒に従う姿勢は見事。音のする方向に目をやるものなど一人もいない。はっきりいってこのハプニングをキッカケに音色が変わった。会場の雰囲気も変わった。聴衆との一体感がアップした。震災に負けない日本の決意がうそではない証拠をドイツ聴衆につきつけたようなものだ。

CDやDVDにする予定の公演だから、その噴霧音は歓迎されざるノイズ。聴衆を帰したあと、オケだけでリテイクも考慮されたが、生徒たちはそれを圧倒的多数で否決する。「あんなテンションの演奏は二度と出来ない」「客のいないホールで、ただ録音のための演奏であの気迫を再現できるはずもない」というのがその理由だという。見上げた見識だ。演奏会後の打ち上げで、渾身の力でオケをささえ続けた打楽器のパートリーダーの挨拶が極上だった。「私たちの演奏でスプリンクラーまでも泣かせた」とメンバーの心意気を代弁したのだ。

この話から始めざるを得ない強烈なインパクト。

2012年4月 5日 (木)

学生歌特集総集編

学生歌特集の総集編をお送りする。

  1. 2011年12月06日 ホッホシューレ 大学祝典序曲の非公式初演。
  2. 2011年12月07日 学生歌特集のはじまり。
  3. 2011年12月08日  Deutsche Studentenlieder 頼りになるCD。
  4. 2011年12月09日 またもヴェルニゲローデ 頼りになるCD。
  5. 2011年12月10日 民謡と学生歌 切っても切れない。
  6. 2011年12月11日 合わせ技 学生歌特集の序奏としての民謡。 
  7. 2011年12月12日 何でも学生歌 民謡と学生歌の曖昧な境界。
  8. 2011年12月13日 ドイツ学生歌の世界 古書店での掘り出し物。
  9. 2011年12月14日 私家版学生歌ベスト10 おなじみの学生歌。 
  10. 2011年12月15日 メッテルニッヒ体制 学生運動の引き金。
  11. 2011年12月16日 学生歌を織り込む 学生歌を引用した作曲家。
  12. 2011年12月17日 学士会所属の作曲家 加入状況調査①
  13. 2011年12月18日 学士会所属の有名人 加入状況調査②
  14. 2011年12月19日  三月革命 学生運動の加速。
  15. 2011年12月20日 ドヴォルザークと学生歌 どうも関わりが薄い。
  16. 2011年12月21日 南に向かって プラハ・カレル大学の学生歌。
  17. 2011年12月22日 ゲッティンゲン大学 ゲッティンゲン大学の名称。
  18. 2011年12月25日 もみの木 古い学生歌。
  19. 2011年12月26日 カールスバート決議 学士会の弾圧。
  20. 2011年12月27日 連弾試演 大学祝典序曲をクララと連弾。
  21. 2011年12月28日 ドイツ学生連盟 学士会の上部団体。
  22. 2011年12月30日 細か過ぎる大学祝典序曲 学生歌ネタは皆解説。
  23. 2011年12月31日 歓喜に寄す 第九とは別旋律の学生歌。
  24. 2012年01月01日 学士会用語辞典 学生歌のための独和辞典。
  25. 2012年01月03日  万能下の句 根岸の里の侘び住まい。
  26. 2012年01月04日 ベルンハルト・ショルツ 大学祝典序曲初演。
  27. 2012年01月05日 ファーラースレーベン 国歌作詞の詩人。
  28. 2012年01月06日 受賞の理由 ラテン語の肩書き。
  29. 2012年01月07日 ブレスラウという接点 ファーラースレーベンと。
  30. 2012年01月08日 乾杯の歌 学生時代の儀式。
  31. 2012年01月11日  クナイペ 居酒屋転じて学士会の宴会。
  32. 2012年01月12日 大学進学率 19世紀ドイツの数値。
  33. 2012年01月13日 口笛紋章 学士会を象徴する旋律。
  34. 2012年01月14日 Bundeslied 学士歌は替え歌。
  35. 2012年01月15日 学生牢 学生たちを収監する。 
  36. 2012年01月16日 Katzenmusik 猫の音楽とは。
  37. 2012年01月17日 ビスマルクの罪状 驚くべき決闘の回数。
  38. 2012年01月18日 シャウエンブルク学生歌集 学生歌の集大成。
  39. 2012年01月19日 宴会の作法 大酒飲みは必須。
  40. 2012年01月20日 呉越同舟 エルクとジルヒャー。
  41. 2012年01月21日 独逸日記 留学生は学士会を知っていたか。
  42. 2012年01月22日 ラインの守り 同志社大学のカレッジソング。
  43. 2012年01月23日 軍楽隊の編成 大学祝典序曲の軍楽隊版。
  44. 2012年01月24日 Das Fuchslied 新入生の歌。
  45. 2012年01月25日 FAF異聞 学生歌の歌詞に見るFAF。
  46. 2012年01月27日 オスミンとペドリロ 酒宴作法の反映。
  47. 2012年01月28日 シューマンの学生歌 黒赤金。
  48. 2012年01月29日 便溺 岩倉使節団の見た学生。 
  49. 2012年01月30日 カルミラブラーナ 学生歌の源泉。
  50. 2012年01月31日 学士会の名前 学士たちの命名センス。
  51. 2012年02月02日 Paukarzt 決闘に立ち会う医学生。
  52. 2012年02月03日 ゲーテの決闘 ゲーテ決闘の記録。 
  53. 2012年02月04日 Pauken ティンパニのほかにも。
  54. 2012年02月05日 我が思いの全ては これも学生歌。 
  55. 2012年02月06日  狐の騎行 新入生の通過儀礼。
  56. 2012年02月07日  狐の年 シューマンは新入生。
  57. 2012年02月08日 シュモリスとフィドゥツィット 盟友関係の確認。
  58. 2012年02月09日 親称と敬称 いわゆる「Du」と「Sie」
  59. 2012年02月10日 Dutzen Duと呼び合う仲になる。
  60. 2012年02月11日 黒赤金 シューマンの学生歌のCD。
  61. 2012年02月12日 死神 これもまた学生歌。
  62. 2012年02月13日  びっくりの続き 死神のシューマン版。
  63. 2012年02月14日 鹿狩 キャンパスの鹿狩り。
  64. 2012年02月16日 学生歌のノリ シューマンのこだわり。
  65. 2012年02月18日 何千回もあいさつを またまたグッドジョブ。
  66. 2012年02月20日 仮入会 ゲッティンゲン大学学士会手続き。
  67. 2012年02月22日 ゲルマン部族の名前 ドイツの古代史を彩る。
  68. 2012年02月23日  学士会名誉会員 ブラームスを名誉会員に。
  69. 2012年02月24日 DS 合唱系学士会。
  70. 2012年02月25日 正確な歌唱 ちゃんと歌える。
  71. 2012年02月26日 絶妙な辻褄 学生歌は必然。 
  72. 2012年02月27日 ある仮説 ヴィアドリーナを諦めた理由。
  73. 2012年02月28日 Dudeldei WoO33-25だった。 
  74. 2012年03月02日  根本的な疑問 ブレスラウ大学の学士会名が不明。
  75. 2012年03月03日 左手pizz チェロの難所。
  76. 2012年03月04日 無修飾センプレ 大学祝典序曲166小節目。
  77. 2012年03月05日 後打ち強調 「新入生の歌」の特徴。
  78. 2012年03月06日 大学生聯合会 鴎外「独逸日記」中の学士会ネタ。
  79. 2012年03月07日 鵞鳥売りの少女 ゲッティンゲンのシンボル。
  80. 2012年03月10日 転校 ドイツの学生は転校が多い。
  81. 2012年03月12日 Eiche ドイツを象徴する木。 
  82. 2012年03月13日 ランデスファーター 撃剣系学士会の儀式。  
  83. 2012年03月14日 美しい整合性 収集民謡の中の学生歌。
  84. 2012年03月16日 セカンドの見せ場 ランデスファーターの桧舞台。
  85. 2012年03月17日 ラテン語 学生たち愛用。 
  86. 2012年03月18日 tenerae amabiles ガウデアムウスの婦人礼賛。
  87. 2012年03月19日  Pater Patriae ローマ皇帝の称号。
  88. 2012年03月20日 クォドリベート再考 ガウデアムスの歌詞の中。
  89. 2012年03月21日 バッハと学生歌 学内裁判の描写。 
  90. 2012年03月22日 我らは立派な校舎を建てた 引用の1曲目。
  91. 2012年03月23日 第5第6のネタ 4曲にとどまらぬ引用。
  92. 2012年03月24日 イェーナの学士会 コッツェブーの悲劇。 
  93. 2012年03月25日 一学部一教授 教授=学部長らしい。 
  94. 2012年03月26日 ドクター 博士号所有者の称号。
  95. 2012年03月27日 ヴィアドリーナ再考 やめた理由。
  96. 2012年03月28日 ザラマンダー再考 重要な酒宴作法。
  97. 2012年03月29日 ユニバーシアード 福岡大会の思い出。
  98. 2012年03月30日 スッペ風 スッペの隠れた癖。
  99. 2012年03月31日 読む大学祝典序曲 世界一詳しい大学祝典序曲。
  100. 2012年04月01日 大学祝典序曲再考 新たな提案または確認。
  101. 2012年04月03日 学生歌ネタ100本 本特集が大台突破。
  102. 2012年04月04日 Beanus  長女念願の大学入学。
  103. 2012年04月05日 学生歌特集総集編。本日のこの記事。

2012年4月 4日 (水)

Beanus

おそらく「ビアヌス」と読む。新入生のことだ。ラテン語然とした語感だが成り立ちは複雑だ。ラテン語で「Banus est Animal Necius Vitam Studiosorm」の頭文字を繋げたもの。全体では「新入生とは学生の生活を知らぬ生き物だ」という意味だ。「Vitam」の「V」は「U」に差し替えられている。

さんざん話題にしてきた「Fuchs」よりも古い時代の言い回しだ。

長女本日念願の大学入学。

2012年4月 3日 (火)

学生歌ネタ100本

一昨日の記事で「学生歌特集」に属する記事が100本に到達した。いやはやかなりのサプライズだ。「歌曲」「民謡」が「交響曲」や「室内楽」より多いのは周知の通りだが、民謡から派生した「学生歌ネタ」がこれほど膨らむとは思っていなかった。

ブラームスもきっと喜んでくれる。

おっと今日はブラームスの命日。

2012年4月 2日 (月)

最近ちょっと変

今日ブログ「ブラームスの辞書」は開設から2500日を迎えた。その間1日も記事の更新を欠かすことがなかった。その記念の日がつまりブラームスの命日4月3日と1日違いだ。

ところが、2500本目の記事を公開したのは本年2月15日で、バレンタインデーと1日違いだった。さらにブログ開設から2400日目の節目は昨年のクリスマスイブ、つまりクリスマスと1日違いだった。

最近ちょっと変だ。

2012年4月 1日 (日)

大学祝典序曲再考

「大学祝典序曲」op80を演奏したことが、中学高校と6年続いたベートーヴェンへの傾斜に終止符を打った。19歳の夏、一番好きな作曲家がブラームスになるキッカケになった曲だ。以来何度も聴いてきた。

解説書にはブレスラウ大学からの学位授与に対する返礼であることが記され、4つの学生歌が登場することも必ず言及される。だから、それらの背景を知りたくて学生歌を調べてみた。たとえて言えば未盗掘古墳みたいなものだ。お宝情報の山だった。

学生歌の引用は「大学祝典序曲」があまりに有名なために、かえって周辺の細かい事情に疎くなっていたと反省せざるを得ない。日本ではお受験のテーマにもなるほどのメジャーな旋律だから、解説書がその周辺に言及するだけで判ったような気になっていた。

少なくともドイツ語圏においてクラシックと呼び慣わされている業界の作曲家が、学生歌を知識として持ち、それらを作曲したり引用したりというのは、日常茶飯のことだったと考えねばならない。「大学祝典序曲」は例外ではなくて「ワン・オブ・ゼム」だということだ。ドイツ語圏の社会には学士会活動が広く認知され許容されている。ブラームスの生きた19世紀後半は、台頭した中流市民が貴族に成り代わって音楽を下支えした。ここでいう中流階級が、大学経験者つまり学士会経験者だと考えるとどれほどの誤差を含むのだろう。

ドイツの著名人の多くが学士会活動に関わっていたことを知るにつけ、その裾野の広さを痛感させられた。学生歌を引用すると言うことは、そうした基礎が聴き手大衆の側にキチンと存在することを踏まえていると解さざるを得ない。ブラームスが「大学祝典序曲」で引用した学生歌は、知らぬ者のない学生歌なのだ。曲中にこれらが出現すれば、旋律はおろか歌詞まで即座に思い浮かぶ人々に向かって放たれたと見るべきだ。

ブレスラウ大学への返礼のために「学生歌を繋げた」というような取って付けたような位置づけではあり得ない。民謡に注ぎ込まれた熱意と愛情と同等の思いが、学生歌にも注がれたと考えねば、「大学祝典序曲」そのものを見誤る。

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