プロイセン
プロイセンは、バルト海南東部を指すドイツ語の言い回しだった。バルト三国のすぐ南の地域だ。現在はロシアの飛び地カリーニングラード州になっている。12世紀に始まったドイツ人の東方殖民によってエルベ川の東側へのドイツ人の侵攻の最終到達点が、このあたりである。カリーニングラードは、当時ケーニヒスベルクと呼ばれていた。プロシアは英語風の標記である。
このあたりの先住民がプルーセン人といい、プロイセンはプルーセン人の土地を意味するらしい。Preussenと綴る。プルーセンの語源は不明だそうだが、水辺や川に因むという説と、ポーランドから見て「ロシア」(Rus)に向かう途中という意味だという説とが知られている。
さまざまな事情があって虫食い上にはなっていたものの、ブラームスの生きていた頃、プロイセンの領土は最終的にケーニヒスベルクまでのバルト海沿岸、現ポーランドの北西部一帯に加え旧東ドイツ、さらに旧西ドイツの北半分にまで拡大する。こうした実績を背景にドイツ統一を主導したということだ。一連のプロイセンの台頭は、富国強兵を旗印に近代化を目指す日本の手本になったこと周知のとおりである。
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