顧問の先生
学校の部活動には顧問の先生がいる。大きな所帯になると複数の教師が駆り出されることもある。次女のいるオーケストラ部にはたしか5人だった。校内での練習はもちろん学外に出る場合には引率となる。
そしてオーケストラの演奏に不可欠の指揮者も、顧問の先生が務めている。次女の高校の音楽の先生で仮にK先生とでもしておこう。指揮と声楽を学んだ経歴がある。先生のモットーは、「音楽はハート」「部活動は情操教育」というものだ。口先だけでない証拠に、子供たちからの信頼は分厚い。確固たる信念と音楽性で生徒たちを導いている。演奏を聴けばその信頼関係が万全であることはすぐに判る。過酷な練習を生徒たちに課す一方で、礼儀、勉強への指導も忘れない。ときどきオヤジギャグを挟んで和ませる。生徒たちだけではなく、保護者からの信頼も厚い。私も心から尊敬し共感している。子供を安心して預けている。おそらく一生の肥やしだと思う。無理やり「巨人の星」で申せば伴宙太と天野先生を足して二乗したくらいの存在。
一連のドイツ公演の記事で、いやそれどころか昨年の入学以来、K先生に対する直接の言及は抑えてきた。ここで一気に放出するためだ。私が生で観た中では最高の指揮者だとあえて断言する。つまりそれはショルティより上ということをも意味する。この1年間のオケの活動に接してみて人柄音楽性を心から尊敬する。高校オケ2年間をK先生と過ごす次女の幸せを心から嬉しく思う。
ドイツ公演のヤマ場で図らずも作動し始めたスプリンクラー。動揺する客席の雰囲気が否応無くステージにも波及しかねない状況で、敢然とした姿勢を貫いて子どもたちを動揺から守りきった無言の指導力は見事の一語。彼の精神力やとっさの機転を称賛するには日本語の語彙はあまりに不完全だ。
「三角帽子」5曲目をエンディングに導いた後、彼は少しだけ客席後方のスプリンクラーを見遣るものの、オケのメンバーはその方向を見ようとするものなど一人も無く、ただ指揮者の次の指示を待つ。この瞬間に私は生徒たちとK先生の間の信頼関係の厚みを深く思い識った。K先生が意を決したようにメンバーに向き直るとき、私はその先生の表情を正面から見る位置にいた。あのキリリとした表情を私は一生忘れないだろう。緊張で固い表情とも違う。「恐れるな行くぞ」という静かな決意の乗った表情。家父長的ダンディズム。同年代の男としてうらやましい限りだ。
さあK先生のその決意が生徒らに伝わらぬハズがない。タクト一閃とともに始まった「終幕の踊り」は「スプリンクラーをねじ伏せた演奏」としてずっと後世に語り継がれるべきものだ。音楽とはまことに不思議なもので一致団結のオケの気迫は、あっけなくドイツ人にも伝わってしまう。演奏後に発生した大喝采は異質ともいえる分厚さだった。
演奏会で3度もらったスタンディングオベージョンは、指揮者K先生なくしてはあり得ない。
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