ビスマルク特集
次女のオケをドイツまでおっかけた記憶を次々に記事にしてきた。興奮冷めやらぬ中、昨日で無理やり一区切りをつけた。ドイツの土を踏み、空気を浴びたことで脳味噌が刺激を受けた。
次なる企画は「ビスマルク」だ。「ドイツの歴史」と大きく振りかぶりたいところをぐっとこらえて、ビスマルク周辺に的を絞ることで、ブラームスの同時代を覗く企画とする。より正確に申せば、ビスマルクを軸にドイツの歴史に関する記事を取り上げる。
主役ビスマルク本名オットー・エドゥワルト・レオポルド・フォン・ビスマルク=シューンハウゼンは、1815年4月1日に生まれたプロイセンの政治家。1862年プロイセン王ウィルヘルム1世から宰相に指名されて表舞台に現れた。この就任に際しての演説から「鉄血宰相」とあだ名されている。プロイセン国力の強大化に勤め、ドイツ帝国を樹立しその宰相となる。1890年に引退して1898年7月30日に没した。
活躍の時期がブラームスと重なるからブラームスの伝でもしばしばビスマルクが言及される。まず何よりもブラームスがビスマルクを賛美していたことは記憶しておきたい。1889年5月23日にハンブルク名誉市民となったブラームスだが、ビスマルクもまた名誉市民に列せられていたことを喜んだ。
ドイツ旅行に刺激されて、気合が入ったため、かなりの長丁場になる見込み。
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