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2012年4月29日 (日)

悪運

悪い事をしてもその報いを受けないことを「悪運が強い」という。

何の前触れも無く、マリアテレジア率いるオーストリアのシュレジーエン地方に侵入したのがプロシアのフリードリヒ大王。シュレジーエン地方は当時、石炭や鉄鉱石などの地下資源に恵まれた他に農業生産も高く、神聖ローマ帝国内で有数の豊かな地域だった。仕返しに燃えるマリアテレジアが、あろうことかポンパドール夫人と結んでフランスを引き入れてプロイセンに戦いを挑んだのが七年戦争だ。1765年のことだ。さらにこれまた女帝エリザベータのロシアも私怨から参戦。フランス・ロシア・オーストリア連合軍とプロイセンの戦争になった。

名前の通り7年戦ったのだが、フリードリヒ大王が自決を考えるほど追い込まれた。英国の援助も大きくものを言ったが、最後に窮地を救ったのがロシア・エリザベータの崩御だ。これによりロシアが戦争から離脱したことが大きい。プロイセンはいわば引き分けに持ち込んだ。とにもかくにも三強を相手に7年持ちこたえたことで、プロイセンは列強の仲間入りを果たす。

もしエリザベータの崩御が1年遅かったら、プロイセンは滅ぼされていたかもしれない。ということはつまりプロイセン主導によるドイツ統一は無く、ブラームスが勝利の歌を作曲することもなかったかもしれない。

フリードリヒ大王の悪運の話だ。

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