ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« オルロフ侯爵夫人 | トップページ | 憲法の不備 »

2012年5月11日 (金)

1862年

ビスマルクの宰相就任は1862年9月だ。実はブラームスが故郷ハンブルクを離れ活動の本拠をウィーンに移したのが1862年9月だった。ブラームスの飛躍はそこから始まったと言っていい。ビスマルクの国際舞台デビューと同時とは驚いた。

ビスマルクが画策した3度の戦争

  • 1864年 デンマーク戦争→ブラームスの父の故郷がプロイセン領になる。
  • 1866年 普墺戦争→スイスに疎開。
  • 1868年 (ドイツレクイエム初演)
  • 1870年 普仏戦争→志願も考えた。勝利の歌作曲。

によりプロイセンは欧州列強の仲間入りを果たす。ブラームスの伝記ではあまり語られることは無いが、ブラームスのウィーンでの活躍とプロイセンの雄飛は時期的にピタリと重なる。ブラームスはプロイセンにとっての宿敵オーストリアの首都に居ながら、オーストリアとプロイセンの国力の逆転を見守っていたことになる。

ブラームスのビスマルクへの傾倒は、そうした体験の中から自然に身について行ったものだとわかる。

« オルロフ侯爵夫人 | トップページ | 憲法の不備 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 1862年:

« オルロフ侯爵夫人 | トップページ | 憲法の不備 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ