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2012年5月11日 (金)

1862年

ビスマルクの宰相就任は1862年9月だ。実はブラームスが故郷ハンブルクを離れ活動の本拠をウィーンに移したのが1862年9月だった。ブラームスの飛躍はそこから始まったと言っていい。ビスマルクの国際舞台デビューと同時とは驚いた。

ビスマルクが画策した3度の戦争

  • 1864年 デンマーク戦争→ブラームスの父の故郷がプロイセン領になる。
  • 1866年 普墺戦争→スイスに疎開。
  • 1868年 (ドイツレクイエム初演)
  • 1870年 普仏戦争→志願も考えた。勝利の歌作曲。

によりプロイセンは欧州列強の仲間入りを果たす。ブラームスの伝記ではあまり語られることは無いが、ブラームスのウィーンでの活躍とプロイセンの雄飛は時期的にピタリと重なる。ブラームスはプロイセンにとっての宿敵オーストリアの首都に居ながら、オーストリアとプロイセンの国力の逆転を見守っていたことになる。

ブラームスのビスマルクへの傾倒は、そうした体験の中から自然に身について行ったものだとわかる。

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