シーズンチケット
スポーツチームやオーケストラなどプロの興行には、年間の通し券が設定されている場合がある。1回あたりの単価は低くなっているが、支払いの合計はそこそこまとまった金額になる。だからこれを購入することは一種のステイタスになっている。年間を通して定期演奏会に出かけるとなると相当コアなファンだということだ。
この1年次女たちオーケストラの演奏に数多く接した。以下に列挙する。
- 入学式 →こちら
- スペシャルコンサート →次女のオケデビュウ 34代引退。
- 駅コン →第35代デビュウ
- 美術館コンサート →ファリャ初公開
- 文化祭コンサート →ショスタコ初公開
- コンクールリハーサル →一週間前の実情
- コンクール →革命の終楽章 前を向け。
- オーケストラフェスタ →年末恒例
- ジョイントコンサート →初トップ
- アンサンブルコンクール →セントポール組曲
- 説明会コンサート ドイツ演奏旅行の説明会に参集した保護者向けの演奏会。ドイツ本番を1ヵ月後に控えて、「たくさん間違えなさい」と訓示された子供たちの熱演。休憩なしノンストップ80分は体力の限界に挑む主旨もあった。
- 聖ヨハネ教会コンサート 国内ゲネプロ ドイツ演奏旅行を8日後に控えてリハーサルが保護者にも公開された。和太鼓アンサンブルを初めて聴いた。
- ニュルンベルクコンサート 国内ゲネプロ 出発3日前の公開リハ。これだけ欠席。
- デュッセルドルフ聖ヨハネ教会コンサート →ドイツ公演一回目
- ニュルンベルク公演 →ハプニングねじ伏せ
- 合同定期演奏会 →あと1回
- スペシャルコンサート →誇り高き5月
親が鑑賞可能な機会には出来るだけ出かけるように心がけた。事実上シーズンチケットを持っているようなものだ。毎回違う作品が聴けるわけではなくて、あらかじめ決められた作品群が完成度を高めて行く過程を楽しむという感覚だ。上記の2番と17番にあるスペシャルコンサートが区切りになる。そこで3年生が引退するからだ。そこまで1年間の集大成と位置づけられている。3番の駅コンから16番のスペシャルコンサートまでが一つのユニットになる。
同じ作品を何度も聴く。たとえばショスタコーヴィチの交響曲第5番のフィナーレは上記の5.6.7.8.11.13.15.17という具合に8回演奏され、そのうち7回聴いた。飽きるなどということは全くない。回を追うごとに完成度が高まるのが判る。ほんの1ヶ月前と別人の演奏になる。
忘れてならないのが、上記16の合同定期演奏会から、上記17のスペシャルコンサートに至る8日間の緊張。5月6日のゲネプロからの言いようの無い高揚感。娘の姿を横から見守るだけだというのに、親の私が痺れた。「ショスタコ」や「ファリャ」や「マイスタージンガー」の個人練習を家で聴くのも残りわずかかと思い、時間よ止まれとさえ祈った。
もっとも大切なこと。これらの中にブラームスの音符は一つもなかった。我がブログ的には脱線もいいとこなのだが、もはやそうした視点は霞の彼方に追いやられてしまっている。
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