誇り高き5月
昨日次女二回目のスペシャルコンサートがあった。第7回ドイツ公演記念演奏会と題されたプログラムは以下の通り。現役部員たちは全てドイツで演奏したレパートリーから。
<第一部>
- 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲
- オルガン独奏 「主イエス・キリストよ我ら汝に感謝し奉る」BWV623
- オルガン独奏 「神よ我らを助けたまえ」BWV624
- ショスタコーヴィチ交響曲第5番より第4楽章
- ビゼー「アルルの女」より前奏曲~卒業生による演奏
- ビゼー「アルルの女」よりカリヨン~卒業生による演奏
- ビゼー「アルルの女」よりファランドール~卒業生による演奏
<第二部>
- 「OKINAWA」
- 「Omens of Love」
- 歌劇「カヴァレリアルスティカーナ」より間奏曲
- ファリャ:バレエ組曲「三角帽子」
<アンコール>
- 引退演奏 芥川也寸志「交響管弦楽のための音楽」より 3年生のみ。
- ラデツキー行進曲
Jリーグの試合のマッチレポートでもあるまいし、ここで1曲1曲の出来を論じたところで熱気の10分の1も伝えられないが、次女とのやりとりからいくつか。
5月4日の合同定期演奏会の後、ファリャ「三角帽子」の出来について次女を誉めた。あのスプリンクラー以降、本当によくなったねと。珍しく嬉しそうに話に食いついてきた。「第2曲粉屋の女房の踊りのリズムが変わったでしょ」と自慢げ。4分の3拍子の3拍目をためるようにしたらしい。3拍目を2つに割る8分音符のアクセントをう~んと強調するようにしたという。スペイン舞曲「ファンタンゴ」の気分を出すための措置だそうだ。前からやっていたつもりだけど、ドイツの録音を聴いてもっと強調しようと決まったようだ。その通りのリズム感が出せていた。
「昨年7月の美術館コンサートに比べると別人だよね」と私。「あ~はいはい」と当然とでも言いたげな次女。「そりゃあ、あの頃は全然弾けずにごまかしてたからね」と珍しくどや顔。「つーことは今は弾けてるっていうこと?」と意地悪い質問を投げると「うん」という低い声の返事が間をおかずに返ってきた。実際昨年夏にはトップと弓が逆なシーンが多くて見ててハラハラしてたのだが、昨日はもう当然のように弾きこなしていた。
「どうだ?去年のスペシャルコンサートと違うだろ」と訊くと、身を乗り出しつつ「そうだよね」と次女。去年は4月に入部して1ヶ月、それまでの流れを何も知らぬままスペシャルコンサートに割り込んだ形。先輩方の演奏を凄いなとは思ったけれど、当時の3年生と2年生の積み重ねの厚みをまったく実感できていなかったと感慨深げ。今年はまったく違う。部活生活の最後に鎮座する「スペコン」の意味が呑み込めているから、達成感が違うという。
本当によくがんばった。念のために申せば高校生のヴァイオリン奏者にとって易しくない。とりわけファリャ「三角帽子」は、異質なリズムの急速な交代、めまぐるしい曲想の変化。おいしい旋律があっても、単一のパートがそれをじっくりという場面が少ない。骨太の旋律をゆったりたっぷりというブラームスとは対照的だ。加えて手書き風パート譜の見にくさは、譜読みの障害になる。そうした中セカンドヴァイオリンはヴィオラと結託してオケをがっちり下支えしたかと思うと、ファーストヴァイオリンにピッタリと寄り添ってオクターブ下を支える。とりわけ3曲目「ぶどう」と4曲目「近所の人々の踊り」は厄介だ。8分の6と4分の3の錯綜せめぎ合いをこれでもかこれでもかと強調する。それらを要所にのみ配置してスパイスとするブラームスの対極にある。こうした乱高下、てんやわんや、とりわけ厄介なトリルの連続がセカンドヴァイオリンに集約される。演奏にあたって求められる「注意力」「集中力」に限ればファーストヴァイオリンをしのぐと感じる。以前はそれらのハードルの高さへの意識がしばしば演奏に現れていたが、ドイツ以降すっかり影を潜めた感じ。理不尽もろともすべて呑み込んでしまったかのようだ。
カヴァレリアルスティカーナ「間奏曲」を終え、開演から2時間経過した後に、満を持して「三角帽子」を放つという豪胆なプログラム。それを喝采に結びつける渾身の演奏だった。
万雷の拍手。指揮をした顧問の先生からのハグのねぎらい。仲間との涙のハイタッチ。そして涙にくれる親たち。
誇り高き5月。
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