関税同盟
ブラームスの若い頃、たとえばベルリンからスイスまで行こうとした場合、最短のルートをたどると、10ヶ国もの小領邦を通過せねばならなかった。今でこそスイスはドイツの南に接する隣国で、列車で国境を越えてもパスポートのチェックが省略されるくらいに自由な往来が保証されているのだが、当時は事情が違った。さらに厄介なことにその同じルートで貨物を送ろうと思ったら国境を越えるたびに関税を徴収された。
経済発展の妨げ以外の何者でもない。域内関税の撤廃を約する多国間協定が「関税同盟」である。各小領邦は、小さいながらも王がいて主権が認めれていて、徴税権まで持っていたのた。ドイツ統一によって王権が縮小ないしは消滅することには抵抗するが、市場は大きいほうがいいと虫のいことを考えていた。横行する密貿易の取り締まりコストのほうが関税収入より高くつくという笑えない話もあったらしい。最大手のプロイセンの総税収における関税の割合はおよそ25%に達していたから、域内の関税を撤廃するのは痛いには痛いのだが、経済が発展して、所得税や法人税が膨らめばよいハズだ。
ドイツの統一はそれを構成する諸邦の王権の制限でもある。ドイツの人々は王を敬う気持ちが強いから、闇雲に王権を制限するとかえって反発を招く。あくまでも王権を保存しながらドイツ帝国の建設を進めねばならない。そのツールが関税同盟だった。王の地位を保証してやる一方で、プロイセン主導の関税同盟に組み入れ、さらには通貨、金融の統一を進めるという巧妙な手順。
1834年ドイツ統一に先んじて関税同盟が成立する。ブラームス生誕の翌年の話である。
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