ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« ケーニヒスグレーツ | トップページ | 何故ケーニヒスグレーツか »

2012年5月23日 (水)

サドヴァの屈辱

ケーニヒスグレーツにおけるオーストリアの大敗をフランスから見た言い方。「サドヴァ」は地名。チェコ語による現地名だ。普墺戦争は同盟を考慮に入れると、プロイセンがドイツ連邦の有力国を相手に戦ったと位置付けられる。ブラームスの故郷ハンブルクはプロイセン側だが、バイエルン、ザクセン、ハノーファー、ヘッセンなど有力領邦がオーストリアについた。

傍から見ていたフランスは、内心「オーストリアが勝つ」と思っていた。普墺戦争でのオーストリア勝利、プロイセン敗北を前提とした外交姿勢だった。プロイセンが追い詰められたところに、仲裁に入ってオーストリアに恩を売りつつあわよくばライン川一帯の領土を割譲させるという青写真だ。

ケーニヒスグレーツでのオーストリアの惨敗で青写真は崩れた。このことを指して「サドヴァの屈辱」と言っているのだ。オーストリアが「屈辱」というなら理解できるが、自分が負けたわけでもないのに、予定が狂っただけで「惨敗」というのはいささか虫がいい。裏を返せばこの結果がどれほどの番狂わせを表している。

ビスマルクにとっては予定通り。

« ケーニヒスグレーツ | トップページ | 何故ケーニヒスグレーツか »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: サドヴァの屈辱:

« ケーニヒスグレーツ | トップページ | 何故ケーニヒスグレーツか »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ