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2012年5月23日 (水)

サドヴァの屈辱

ケーニヒスグレーツにおけるオーストリアの大敗をフランスから見た言い方。「サドヴァ」は地名。チェコ語による現地名だ。普墺戦争は同盟を考慮に入れると、プロイセンがドイツ連邦の有力国を相手に戦ったと位置付けられる。ブラームスの故郷ハンブルクはプロイセン側だが、バイエルン、ザクセン、ハノーファー、ヘッセンなど有力領邦がオーストリアについた。

傍から見ていたフランスは、内心「オーストリアが勝つ」と思っていた。普墺戦争でのオーストリア勝利、プロイセン敗北を前提とした外交姿勢だった。プロイセンが追い詰められたところに、仲裁に入ってオーストリアに恩を売りつつあわよくばライン川一帯の領土を割譲させるという青写真だ。

ケーニヒスグレーツでのオーストリアの惨敗で青写真は崩れた。このことを指して「サドヴァの屈辱」と言っているのだ。オーストリアが「屈辱」というなら理解できるが、自分が負けたわけでもないのに、予定が狂っただけで「惨敗」というのはいささか虫がいい。裏を返せばこの結果がどれほどの番狂わせを表している。

ビスマルクにとっては予定通り。

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