ピアリッツの密約
1865年10月のこととされている。南仏の保養地ピアリッツに滞在していたフランス皇帝ナポレオン3世をプロイセン宰相ビスマルクが訪問した。
そこで交わされた会話。ビスマルクがナポレオン3世から独墺開戦の折には、フランス中立の約束を取り付けたといわれている。見返りはルクセンブルクとベルギーのフランスへの併合を黙認するというもの。合意には至ったらしいが記録文書はない。単なる口約束だ。
ビスマルクはフランスさえ黙っていてくれたらオーストリアには勝てると踏んでいた。ナポレオン3世は、この戦いはどちらにしろ長期戦で、そもそもプロイセンが勝つとは思っていなかった。
普墺戦争はその9ヵ月後。大方の予想を裏切ってプロイセンの圧勝。しかも7週間で決着した。ナポレオン3世は独墺の休戦交渉が始まってからのこのこと密約の実行を求めてきたが、ビスマルクは「はて」とばかりに取り合おうとしない。
フランス側が「サドヴァの屈辱」というのは、このあたり一帯の外交上の失態までも含んでいる。
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