弱腰外交
普墺戦争で勝ったプロイセンは、敗者オーストリアに対して寛大だった。
- 領土の要求をしていない。共同統治だったシュレスヴィヒ・ホルシュタインを取り上げたが、オーストリア本来の領土はそのままにした。一方オーストリア側に付いた領邦からはキチンと領土を接収しているから、オーストリアの特別扱いが目立つ。
- ウイーンへプロシア軍を入城させなかった。
- 賠償金を取っていない。
- ハプスブルク家も維持された。
プロイセンの世論はこれを「弱腰」と叩いたが、ビスマルクの目は既に次の敵フランスを見ていた。ケーニヒスグレーツの勝利を見て、フランスが武装仲裁に入る動きを見せた。戦いを長引かせて介入されたら、土地の一つもくれてやる必要が出てくるし、形勢逆転もあり得る。
これに対する一番の対処法こそが、すみやかな和平だ。さっさとオーストリアと講和してしまえば、フランスの介入を封じることが出来る。その上寛大な扱いでオーストリアに恩を売っておける。ビスマルク外交の真骨頂だ。普墺戦争はドイツ連邦内でのオーストリアとプロイセンの立場逆転だけを認めさせて結着した。わずか7週間である。
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