ブログ開設7周年
本日ブログ「ブラームスの辞書」は、開設以来満7年の節目を迎えた。めでたいにはめでたいのだが、ビスマルク特集と次女の高校オケネタの折り合いでアップアップの状態。感慨にふける余裕はない。来年7月までを会期とする「アラビアンナイト計画」は、次女のオーケストラライフと時期的に重なる。この先現役生活最後の1年となる次女のオケネタが膨張するに決まっている。
それにつけても心苦しい。
ブラームスの作品を味わうのに、ビスマルクの知識が要るのかと問われれば、そこはさすがに「No」の一手。私だって高校の世界史レベルの知識しかないまま、19歳でブラームスに魅せられたから、ブラームス作品の味わいにビスマルクは不要だ。まずは潔くこのことを認めざるを得ない。
本日は、それなのに何故、延々とビスマルク特集なのか言い訳をさせていただく。
- 記事の本数稼ぎ 2033年5月7日のブラームス生誕200年までにブログを継続するには10252本の記事が必要になる。こうでもしないととても確保が難しい。これが最大の理由。本当はこれに尽きる。
- ドイツ史の黎明から現代までを満遍なく取り上げるのは、さすがに憚られる。とりわけビスマルクを選んだ理由は、ビスマルクの活躍した時代は、ほぼ等身大的にブラームスの生涯と一致することだ。これが大きい。
- ビスマルクネタの羅列列挙は、どんなに細かいことでも、ブラームスの生きた時代の空気を反映したものだ。新聞を隅から隅まで読んだブラームスは、音楽にかかわる時間以外では、いっぱしの見識を持った大人だった。政治や世相には重大な関心を持っていた。少なくとも世間知らずの天才肌ではなかった。
- 音楽家の伝記は、全体の記述における政治世相ネタが薄すぎる。
- ブラームス自身がビスマルクの熱心な支持者だった。ブラームスが、シューマン夫妻やバッハ、あるいはドヴォルザークを愛した話は繰り返し語られるけれども、ビスマルクを賛美した話はサラリと言及されるだけだ。
- 先般のドイツ旅行。ドイツの空気に生で触れたことによる精神の高揚も見逃せない。
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