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2012年5月24日 (木)

何故ケーニヒスグレーツか

普墺戦争におけるプロイセン大勝の理由として、周到な準備が指摘されることが多い。プロイセン側が、決戦の場所をケーニヒスグレーツに設定して早くから準備をしていた。プラハの東北東およそ120kmの位置にあるケーニヒスグレーツが、何故決戦の場に選ばれたのだろうか?

第一の理由は、フランスやオーストリアなど古くから中央集権が進んだ国は、大変首都を大事にするということだ。パリやウィーンを征服から守ろうとする。敵地に攻め入る場合は首都の征服を目標にすえる。プロイセンは首都に対してそこまでは思いつめない。首都よりも陸軍主力の方が大事というスタンス。軍さえ無事なら首都なんぞいつでも取り戻せるという発想だ。

だから、オーストリア軍は必ずベルリンを目指して最短コースをたどるハズだとモルトケは考えた。ケーニヒスグレーツは、ウィーンからベルリンを目指す最短コース上にあることに加えてエルベ川の渡河地点になっているし、当時はプロイセン領ではなくハプスブルク領だった。

そして世間の予想は、「オーストリア有利」であった。オーストリアがウイーン篭城を選択することはない。

ブラームスのウィーン進出以降、とりわけ1864年のデンマーク戦争以降、普墺間の風雲は急を告げていた。

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