ビスマルクとワーグナー
あくまでもプロイセン主導によるドイツ統一を目指すビスマルクにとって、普墺戦争勝利によって、オーストリアを枠外に置くことに成功した後の課題はバイエルン王国だった。バイエルン王国の協力無しにドイツの統一はあり得ぬとまで思い込む。
普墺戦争開戦前夜、ビスマルクはバイエルンがオーストリア側に付かないようルートヴィヒ2世を説得してくれというメッセージを何とワーグナーに送る。ビスマルクのゲッティンゲン大学時代の学友で、ワーグナーとも懇意にしていたフランソワ・ヴィレに親書を託した。ちょうどワーグナーがルートヴィヒ2世に「天下三分の計」を献策していた時期だ。ルートヴィヒ2世がワーグナーの意見に耳を傾けるという関係を知っての奇策。
ワーグナーはこの要請を拒否する。表向きの理由は「ルートヴィヒは気紛れで自分の言うことなど聞かない」というものだったが、普墺戦争の結果を予見していた節がある。普墺戦争がプロイセンの圧勝に終わった後、バイエルン王国内の親オーストリア派は一掃され、国論がプロイセンとの共闘已む無しに傾くのと平行して、ワーグナーは次第にビスマルクに傾倒して行く。カトリックの牙城であるバイエルンとプロテスタントのプロイセンの連携に走らせたものとは、ただただフランスの脅威だった。
これはフランスの脅威を煽るビスマルクの巧妙な宣伝作戦によるところが多い。
かくして普仏戦争開戦前夜にはミュンヘンで「ワルキューレ」が初演され、戦後のドイツ帝国の発足に当たり、ワーグナーは喜びを隠していない。
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