ノイシュヴァンシュタイン城
ロマンティック街道の終点に鎮座するドイツ観光の超目玉。バイエルン王ルートヴィッヒ2世によって建てられた。1869年に建設が始まり、完成は1886年であった。軍事目的というよりも「趣味のお城」に近い。その証拠に正式名称は「Schloss Neuschwanstein」という。「ブルク」ではなくて「シュロス」になっている。
普仏戦争が1870年に始まリ翌年に終わっていることを思い出すまでも無く、19世紀後半のこの時期におよそ軍事的には無意味だったとされているのだが、建設費だけは莫大で国の負担は大変なものだった。
一方、ドイツ帝国の成立に腐心するプロイセンは、バイエルン王国の協力を欲していた。ウイルヘルム1世のドイツ帝国皇帝への即位を、「ドイツ諸邦の推挙によるもの」という体裁を整えるためにバイエルン王ルートヴィヒ2世の書簡を必要としていたのだ。いわゆる「皇帝推戴冠親書」である。バイエルン王にとってプロイセン主導のドイツ統一なんぞ内心面白くないに決まっているから、この説得には時間がかかった。
バイエルン王国に対しかなりの自治を認める扱いが事実上決め手となった。書簡の発信と引き換えに1800万マルクが支払われたという話もあるにはあるのだが、実際はもっと複雑。書簡発信への同意は、持参金の決定より前だったらしいのだ。王が造営費用欲しさに妥協したという説は成り立たなくななる。
やれやれ、ともあれこの大金がノイシュヴァンシュタイン城の建設費用に当てられたとされている。プロイセンからの資金援助で完成したのは事実らしいが、ウイルヘルム1世の即位の式典には、ルートヴィッヒ2世本人は歯痛を理由に代理を立てて出席せず、ビスマルクを悔しがらせた。
現代この城が獲得する外貨を考えると法外な費用とばかりも言えまい。
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