選挙日程
選挙をいつやるかは勝敗を占うにはバカにできない要素。普墺戦争勝利が、国会運営に行き詰まっていたビスマルクを救った話はよく知られている。議会無視、憲法の不備をつく強引な政局運営を続けたビスマルクだったが、1つの戦闘における勝利で事態が好転した。
その周辺を調べていて興味深い情報に出会った。
1866年7月3日普墺が雌雄を決するケーニヒスグレーツの戦いが起きたその日が、プロイセン下院の投票日だったらしいのだ。野党は106から53への議席を激減させる一方で、与党は35から136に大躍進を果たした。投票日7月3日は規定路線だったと解されるが、ケーニヒスグレーツの戦いは不意に始まったから、一致は偶然だ。
対墺戦に際しモルトケやビスマルクには、根拠のある勝算があったのだろうが、天下分け目の会戦の日が投票日とは驚く。当日の戦況など有権者は知る由も無いから、圧倒的な与党支持は、既に独墺開戦の段階で決していたと考えてよい。天王山を戦った兵士たちは不在者投票だったのだろうか。
そこで獲得した大議席の中、過去5年間の強引な予算措置をまとめて承認させる「事後承諾法案」が可決した。
この選挙、ハンブルク人のブラームスには選挙権がなかったと思われる。
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