北ドイツ連邦
普墺戦争に勝利したプロイセンが、マイン川以北の領邦に呼びかけて成立した。1867年7月1日の発足。戦勝が1866年8月だから準備におよそ1年かかったということになる。英仏露の列強に遠慮して「連邦」という位置づけにとどまっている。プロイセン国王は「連邦議長」という肩書き。「ドイツ帝国」「皇帝」などという文言が踊るのに比べれば、インパクトはかなり薄まるから、案の定現代日本の歴史の教科書も1871年のドイツ帝国のほうが手厚く扱っている。
普墺戦争でプロイセン側についた領邦は、体制を温存され君主の権限が維持された。軍事外交の権限を除いて大きく自治が認められた。列強に遠慮しつつ、着々と既成事実を積み上げる作戦。せっかくだから、北ドイツ連邦所属の諸国を以下に列挙する。
- プロイセン王国
- ザクセン王国 普墺戦争でオーストリア側についたのに例外的に廃絶を免れた。
- メクレンブルク・シュベヴェリン大公国
- ザクセン・ヴァイマール・アイゼナハ大公国
- メクレンブルク・シュトレーリッツ大公国
- オルデンブルク大公国
- ヘッセン大公国 マイン川以北の領地のみ北ドイツ連邦。ピアノ五重奏を献呈されたアンナの国。
- ブラウンシュヴァイク公国
- ザクセン・マイニンゲン公国 ここの宮廷オケをビューローが育てて、第4交響曲を初演。
- ザクセン・アルテンブルク公国
- ザクセン・コーブルク・ゴーダ公国
- アンハルト公国
- シュヴァルツブルク・ルードルシュタット侯国
- シュヴァルツブルク・ゾンテルスハウゼン侯国
- シャウムブルク・リッペ侯国
- リッペ侯国 ブラームスが最初に奉職したデテモルト。
- ヴァルデック侯邦
- ロイス侯国(兄系)
- ロイス侯国(弟系)
- 自由ハンザ都市リューベック
- 自由ハンザ都市ブレーメン
- 自由ハンザ都市ハンブルク もちろんブラームスの故郷。
こうしてみるとブラームスの伝記にもちょくちょく現れる。
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