天下三分の計
三国志の逸話で名高い。三顧の礼によって軍師に迎えられた諸葛亮が、劉備に説いた策。華北の魏、江南の呉に対抗して劉備は四川に拠ることで、魏呉蜀の3国鼎立状態を志向せよという考え方だ。3国の中でももっとも強大な魏でさえも単独で天下を統一する力は無かったことに乗じて、四川盆地の天然の要害に依存しながら蜀で身を立てよということだ。
1866年普墺戦争前夜のことだ。バイエルン宮廷を追われスイスに逃れた後もなお、バイエルン王ルートヴィヒ2世と交友があったリヒャルト・ワーグナーは作曲と同様、政治的感覚もすぐれていた。バイエルンを奉じてのドイツ統一を夢見ていたワーグナーは、プロイセンとオーストリアの対立を好機と捉えていた。バイエルンは今こそ、毅然たる態度でオーストリアとプロイセンの仲裁役となり、両者と対等の立場を維持しつつドイツ統一の主役になるべきだとルートヴィヒ2世に書き送る。ワーグナーの狙いは、「オーストリア」「プロイセン」の対立に乗じて「バイエルン」の影響力を維持することだ。まさに「天下三分の計」だ。
ルートヴィヒ2世は、議会を強引に丸め込むほどの影響力は発揮できず、オーストリアとプロイセンの関係悪化のペースについてゆけなかった。何も影響力を行使できないうちに普墺戦争があっという間にプロイセンの圧勝で終わり、天下三分は夢と帰す。
プロイセンのビスマルクは、バイエルン王ルートヴィッヒ2世に対するワーグナーの影響力に注目することになる。
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