外交の達人
普墺戦争に勝ったビスマルクは、不思議なことにオーストリアに対して領土的要求をしていない。シュレスヴィヒ公国とホルスタイン公国の領土に対する単独支配権こそ認めさせたが、オーストリアの領土を切り取っていない。普仏戦争後のフランスに対する領土要求とは雲泥の差だ。
オーストリアは人口の3割を占めるドイツ人が支配する国である。ドイツ統一の方向性を決めるための手段として一戦交えたが、その後はやはり同盟国でいてくれねば困るのだ。万が一フランスと同盟でも結ばれたら取り返しのつかぬことになる。
つまりビスマルクの頭の中は「対フランス」で固まっているのだ。外交手段を駆使してフランスを包囲することが第一の外交方針だった。そのためにはロシアや英国との連携も辞さないという構えだ。何がそうまでして彼を「フランス憎し」に走らせるのか。「槍族」と「短剣族」の遺恨がずっと続いていたのではあるまいか。
ドイツのそうした路線はビスマルクの失脚で敢え無く崩れ去る。その後ドイツはフランスとの敵対はそのままに、ロシアや英国との関係もこじらせてしまう。
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