造営費
バイエルン王ルートヴィヒ2世は、時代の流れを省みず孤独に閉じこもったまま、ワーグナーに巨額の援助をしたというのが通説。これに劣らず築城にも興味とお金を注いでいた。ノイシュヴァンシュタイン城を含む3つの城の造営にかけた費用が3600万マルクといわれている。議会が承認した王室費の中からの出費だ。王から見れば「国が認めた俺の金」だというロジック。後日精神病認定される理由の一つになっている。
当時の感覚はもちろん尊重されるべきなのだが、現在の感覚で眺めると王にも一理あるような気がする。当時欧州を揺るがした普仏戦争。バイエルン王国も取り決めに従ってプロイセンについてフランスと戦ったのだが、この戦争でのバイエルン王国の戦費は5600万マルクだったという。およそ1年の戦争で5600万マルクを使った。城の造営費3600万マルクのおよそ1.5倍。加えて普仏戦争ではドイツ側で13万人、フランス側で28万人が戦死した。「城の造営では一人も兵を失っていない」とルートヴィヒ2世は言うに違いない。王は城の造営に従事する労働者のために保険制度も採用している。
とても狂った王の所業と断ずる気にはなれない。そしてその3つの城が現代ドイツでどれほどの外貨を稼いでいるかを見るとき、これを先見の明とさえ呼びたくなる。
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