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2012年6月18日 (月)

赤壁

三国志前半のヤマ場としてマニアには名高い。ところがフランスにも赤壁があった。

1870年7月30日、プロイセン軍は独仏国境に進軍を開始する。ザールブリュッケンの南を流れるザール川沿いに侵攻する。現代の地図を見れば判るが、ザール川沿いの狭い谷あいを鉄道や高速道路がひしめいている。独仏通行の要衝で大軍で攻め入るにはここしかないというポイント。その谷あいの道の南側にスピシュランという標高300mほどの台地がある。頂上にはフランスの砲台があって、眼下の道はもちろん、川を挟んで対岸のザールブリュッケンさえも見下ろす位置。ここに立てこもる1万の兵が、殺到するプロイセン軍20万を阻む。

対岸ドイツ側の丘に大本営を構えたプロイセンは、スピシュランの制圧なくして国境の突破は無いと悟る。その丘の北側斜面は切り立った赤土のガケで、プロイセンの大本営からは赤く見えたので赤壁と名づけられた。赤壁よじのぼりの決死隊が組織され、フランス軍の虚をつく。丸一日の攻防の結果プロイセンが丘を制圧した。勝ったプロイセンの死傷者がフランス側の死傷者を上回ったという。

参謀総長モルトケの対仏戦構想は、プロイセン軍をフランス側に送り込むことが大前提になっていたから、スピシュラン制圧の軍事的意味は大きい。三国志の赤壁にも相当する。

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