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2012年7月15日 (日)

エムス電報事件

そもそもの始まりはスペイン。1868年マドリードで起きた軍事クーデターにより、女王イザベル2世が追放された。新王朝を作るために候補者を探すことになった。白羽の矢が立ったのが、ホーエンツォレルン・ジグマリンゲン家のレオポルド王子。早い話がプロシアのウイルヘルム1世にとっては本家筋の従兄弟。

案の定フランスは大反発。そりゃあそうで、スペインにプロイセンの親戚王朝が出来たらまずいに決まっている。ウイルヘルム1世は「やぶさかではない」くらいのノリだったが、フランスは断固反対。ビスマルクの陰謀だと新聞が書きたてる。

保養地エムスに滞在中のウイルヘルム1世に対して、レオポルド王子がスペイン王にならないよう圧力をかけてほしいと要請する。結果としてレオポルド王子の即位は見送られたのだが、よせばいいのに「今後スペイン王座に触手を伸ばさぬ確約」を求めて会見を要請した。ウイルヘルム1世はいい加減うっとおしくなって、会見を拒否した。一連の経過はビスマルクに電報で知らされたのだが、ビスマルクはこの電報を適当にカットし「会見を拒否した」部分だけをマスコミにリークした。

独仏どちらの国民が読んでも「無礼」と感じる内容に修正したということだ。朝刊紙「北ドイツ日報」掲載が7月14日の話。フランスの夕刊紙が当日すぐに過激に反応し、ビスマルクがほくそ笑んだ。これで独仏両国に戦争気分が盛り上がった。プロイセンはフランス国内の空気を読んで、宣戦布告を待たずに動員に着手した。

4日後の7月18日にフランスがプロイセンに宣戦布告する。戦争準備が整っていたプロイセンが、戦争を仕掛けられるという体裁をとるに至ったことになる。まさにこれこそビスマルクの思う壺。バイエルンなど南部諸邦がこれによりプロイセン側につくことが確定したからだ。

その南部の雄邦バイエルン王国の都はミュンヘンだ。7月14日ブラームスはまさにそのミュンヘンでワーグナーの楽劇おそらく「ラインの黄金」を鑑賞した。さらに17日、フランスの宣戦布告の前日にはこれまたおそらく「ワルキューレ」を見た。ということはつまりエムス電報事件を伝えた新聞をブラームスはミュンヘンで読んだ可能性が高い。「北ドイツ新報」がミュンヘンで手に入るかどうか不明だが、当日の夕刊にフランス各紙が反応したのを見れば遅くも15日の朝刊で知り得たに違いない。

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