私事都合
1870年7月15日の朝刊でエムス電報事件が広く人々の知るところとなった。このあたりの欧州情勢は日々緊迫の度を加えるというもので、毎日が事件の連続という形になっている。
バイエルンがプロイセンへの加担を公式に決定するがのが16日だ。18日がフランスの対プロイセン宣戦布告。21日にはルートヴィヒ2世が参戦決定について市民から歓呼を受けたと、ミュンヘンにいたスメタナが書いている。ワルキューレの上演のために音楽家がミュンヘンに集まっていたということだ。
音楽家で思い出した。リストの娘コジマと結婚したハンスフォンビューローは、当初ワーグナー寄りの姿勢だったが、妻コジマがワーグナーの子を宿すなど理不尽な目にあって、やがてはブラームスに接近した。ビューローとコジマの離婚が正式に決定したのが7月18日だった。宣戦布告の日に離婚成立とは出来過ぎか。
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