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2012年7月 1日 (日)

侍従武官デュルクハイム

1886年6月10日未明バイエルン王ルートヴィヒ2世は、自らが心血を注いで造営したノイシュヴァンシュタイン城にいた。そこに精神病という鑑定をバックに王を逮捕するための委員会が乗り込んでくる。精神病をでっち上げられた末事実上のクーデターだった。首謀者ははっきりしないが、ルートヴィヒ2世の退位に伴い、後継王が直ちに即位したところを見ると入念な根回しがあったと見て間違いない。

王に付き従うのは侍従武官のデュルクハイム。ミュンヘンの政府や宮廷は皆結託していて信用出来ない状況で、彼は王を守ろうと奮闘する。夜が明けるとミュンヘンでは王の退位と病気が公表された。デュルクハイムは城を脱出した。ミュンヘンに戻り市民の前に姿を見せろと説得しつつ、国外に援助要請の電報を打つ。そのあて先の中にオーストリア皇帝夫妻そしてビスマルクがいた。

オーストリア后妃は母の従兄弟だからかもしれないが、ビスマルクは不可解だ。ウィルヘルム1世宛てで無いところが切ない。ルートヴィヒ2世から見ればプロイセン王家は母の実家なのだが、幼少の頃から母との折り合いを欠いていたのが微妙に影響している。頼られたビスマルクはバイエルンへの内政干渉を配慮しつつ「ミュンヘンに赴いて国民の前に出よ」と返信するが結局12日早朝に拘束される。オーストリア皇妃シシィも救いの手を差し伸べたとも言われているが、公式には何もないことになっている。

後日ビスマルクはバイエルンの後継王ルイトポルトにこのやり方を批判している。

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