ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« 鉄血忌 | トップページ | 国葬じゃない »

2012年7月31日 (火)

ビスマルクの墓所

オットー・フォン・ビスマルク「鉄血宰相」とあだ名されるドイツ帝国成立の立役者である。ブラームスに先んじてハンブルク名誉市民に選定されているが、ブラームス自身も彼を崇拝していた。ドイツ帝国皇帝ウイルヘルム1世が薨去し、後をついだウィルヘルム2世とウマが合わず解任されてハンブルク郊外に隠居した。1898年7月30日に没して同地に埋葬されている。

その隠居の地がフリードリヒスルーという。ドイツ語では「Friedrichsruh」と綴る。語尾の「ruh」は「休息」くらいの意味で、第一交響曲初演の地として名高い「カールスルーエ」(Karlsruhe)と同じ意味。さしずめ「フリードリヒの休息」くらいの意味だ。FALK社製20万分の1ドイツ道路地図の巻末索引には載っていない。とてもよく似た「フリードリヒスルーエ」(Friedrichsruhe)は載っているがハンブルクの東100kmの距離があるので近郊と呼ぶには無理がある。穴が開くほど地図を見直してとうとう見つけた。ハンブルク中心街から東に25km、「Aumuhle」(uはウムラウト)という集落の中に「Friedrichsruh」があった。駅前に「Bismarckmuseum」と書いてあるからここで間違いあるまい。

ドイツ帝国創立の勲功により東西10km南北8kmの広大なザクセンの森が丸ごと下賜された。フリードリヒスルーはその中心集落だが、ビスマルク邸の周囲2kmには家が無かったという。駅も無人駅で、普通列車さえほとんど通過した。大戦中には熾烈を極めたハンブルク爆撃ではあったが、ビスマルク侯の墓所は被害を免れた。何らかの意図も感じられる。

« 鉄血忌 | トップページ | 国葬じゃない »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ビスマルクの墓所:

« 鉄血忌 | トップページ | 国葬じゃない »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ