ビスマルクの墓所
オットー・フォン・ビスマルク「鉄血宰相」とあだ名されるドイツ帝国成立の立役者である。ブラームスに先んじてハンブルク名誉市民に選定されているが、ブラームス自身も彼を崇拝していた。ドイツ帝国皇帝ウイルヘルム1世が薨去し、後をついだウィルヘルム2世とウマが合わず解任されてハンブルク郊外に隠居した。1898年7月30日に没して同地に埋葬されている。
その隠居の地がフリードリヒスルーという。ドイツ語では「Friedrichsruh」と綴る。語尾の「ruh」は「休息」くらいの意味で、第一交響曲初演の地として名高い「カールスルーエ」(Karlsruhe)と同じ意味。さしずめ「フリードリヒの休息」くらいの意味だ。FALK社製20万分の1ドイツ道路地図の巻末索引には載っていない。とてもよく似た「フリードリヒスルーエ」(Friedrichsruhe)は載っているがハンブルクの東100kmの距離があるので近郊と呼ぶには無理がある。穴が開くほど地図を見直してとうとう見つけた。ハンブルク中心街から東に25km、「Aumuhle」(uはウムラウト)という集落の中に「Friedrichsruh」があった。駅前に「Bismarckmuseum」と書いてあるからここで間違いあるまい。
ドイツ帝国創立の勲功により東西10km南北8kmの広大なザクセンの森が丸ごと下賜された。フリードリヒスルーはその中心集落だが、ビスマルク邸の周囲2kmには家が無かったという。駅も無人駅で、普通列車さえほとんど通過した。大戦中には熾烈を極めたハンブルク爆撃ではあったが、ビスマルク侯の墓所は被害を免れた。何らかの意図も感じられる。
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